2004年8月6日ヒロシマ大行動 写真ドキュメント


▼重慶訪問団の方々
高原さん:75歳
重慶爆撃の幸存者。 重慶大爆撃被害者民間対日賠償請求原告団長。
1939年の5月3日、4日の重慶大爆撃と1940年7月31日の重慶大爆撃で
肉親を殺され家財を一切破壊された。
程銘さん:68歳
重慶爆撃の幸存者。
重慶大爆撃被害者民間対日賠償請求原告団副秘書長。
1941年8月の重慶大爆撃で家財の一切を破壊され、それ以降苦しい生活を強いられた
徐勇さん:54歳
北京大学教授。歴史学者。重慶爆撃を研究。
主な論文に「日本軍による塩遮断作戦と中国「井塩基地」の抗戦活動−自貢製塩場を中心に−」
(『軍事史学第130号記念特集号 日中戦争の諸相』軍事史学会編)

陳可之さん:43歳
重慶在住の油絵画家。
絵を通じて世界平和を訴える。

ハオさん:
陳さんの助手をして油絵制作に携わる。

▼中国地図(クリックすると地図ページに飛びます)




2002年5月 中国自貢市にて

←↑写真上・左
自貢市档案局にて
▲自貢市塩業歴史博物館にて、自貢を訪れた日本人に展示資料を説明している徐勇さん(左から3人目)



2004年8月初旬 中国重慶市内にて

 重慶訪問団が訪日前に行った打ち合わせの場には、たくさんの重慶市民が集まりました。
西南師範大学の歴史学教授、潘洵さん▲
訪日団が日本に持っていく横断幕に寄せ書きをする重慶市民たち▲
▲程銘さん 激励に訪れた重慶の若者たち▲
▲陳可之さんの絵を掲げた部屋で会合が行われた




2004年8月6日

@平和記念公園にて

▲慰霊碑を訪問する高原さん(左)と程銘さん(右) ▲陳可之さん(左)とハオさん(右)
▲広島県日中友好協会青年委員会委員長の由木栄司さん(左)と徐勇さん(右)
▲在日韓国人被爆者慰霊碑を訪れた訪日団(由来はクリックで拡大されます)

▲原爆ドームの前で


 A8.6ヒロシマ大行動集会

8月6日12時〜15時まで、広島県立総合体育館(小アリーナ)にて
▲開会の挨拶をする元参議院議員の栗原君子さん
重慶爆撃で死亡した妹・高達瑜さんの写真を掲げる高原さん(右)と程銘さん(左)▼
▲「原爆の悲劇は日本の侵略戦争によってもたらされた」と述べる徐勇さん
▲陳可之さん(左)と通訳の老田裕美さん(右)
▲栗原さんから平和貢献賞賞状を受け取る陳さん
▲集会の呼びかけ人と発言者の皆さん
▲ありったけの力を集めて戦争を止めよう!と集まった人々
▼戦火のイラクからの反戦の訴え
ビキニ水爆実験で被爆した第五福竜丸の悲劇を繰り返してはならないと語る大石又七さん▲
▼韓国のチェ・ボンテ弁護士と大邱市訪問団のみなさん
韓国のチェ・ボンテ弁護士(左)・イラクのサリッヒ医師(中央)・中国の程銘さん(右)▲

←(写真)
集会の最後に
まとめの挨拶をする
由木栄司さん
▲▼栗原君子さんと一緒に。


Bデモ行進

集会後、15時から17時まで二時間にわたって広島市内を練り歩き、反戦平和を訴えました
▼デモ参加者は解散地点の平和公園でまとめの集会を開きました。
▲デモ行進後に平和公園で挨拶する栗原君子さん
▲午後5時、平和公園で解散


C交流会
陳さん(左)と吉田義久相模女子大教授(右)▼
▲陳さんから栗原さんへ書が贈られた ▲広島県内の感想を述べるハオさん
▼広島県朝鮮人被爆者協議会会長の李実根さん
(左から)程銘さん・李さん・チェ弁護士・高原さん▲
▲インターナショナルの合唱 程銘さん・吉田教授・高原さん▲



2004年8月7日

@原爆資料館にて
▲広島平和記念資料館副館長の高野和彦さん(左端)と一緒に
▲被爆当日の広島市内の街並みを再現したパネルを見ている高原さん・程銘さんたち。
 高原さんたちも爆撃を受けた重慶市内の街並みの再現を計画している。
見学を終えて▲


A重慶大爆撃幸存者の証言を聞く集い
 8月7日(土)13時から、広島ロードビル(国労会館)3階大会議室にて
▲発言する程銘さん
▲陳可之さん
▲爆撃により死亡した妹さんの写真を示す高原さん
▲自貢市に対する日本軍の爆撃の様子を、製塩場の写真を示して説明する徐勇さん
▼日本の重慶爆撃研究者の前田哲男さん(右から二番目)と一緒に
徐勇さんは前田哲男さんに自らの書いた論文を贈り、説明をした▲
毒ガス製造談を語った藤本安馬さん ▲栗原君子さん

←(写真左)
毒ガス島歴史研究所の
山内静代さん

←(写真右)
山内静代さん(右端)
から本を贈られる
高原さん(中央)


B交流会
▼交流会の最初、挨拶をする由木さん
▼中国の唄を披露する陳さん ご証言お疲れ様でした。乾杯!▲