記
1.本件訴訟で第一審判決は、旧日本陸軍中央の指令に基づく細菌戦実行の事実を率直に認め、その結果罪もない無数の中国人を死傷させ、その被害は「まことに悲惨かつ甚大で、非人道的なものであった」と述べ、これにより国際慣習法による国家責任が生じていると解するのが相当と判示した。
2.この国家責任を如何に果すかが問われている本件訴訟は、日本が再び戦争の道へ踏み込むか、あるいは平和外交に徹するかの岐路に立つ現在にあって、極めて大きな意義を持っている。それは真の正義とは何かを自らに問い、自ら答えることに繋がるからである。
3.テロはそれ自体悪であり、その悪を滅ぼすためには、その原因を問うことを省略してあらゆる武力の行使が許され、それが正義の戦いであるという論理に従うか、自ら犯した悪の歴史を自らの手で明らかにし、その償いを果たし、再び繰返さないことを誓うことこそが正義であるという論理に従うかという問題である。本件をこのような問題に結びつけることは、決して論理の飛躍ではない。
4.日本はアジアの一員であり、アジア諸国の人々と平和に共存する以外に日本の生きる道はない。日本がアメリカの起こす戦争に加担し、再びアジアを敵として闘うことを想定して、外交、軍事、経済の諸政策を打ち出すことは、まさに自殺行為にほかならない。
5.アジアとの信頼関係を取り戻す唯一の道は、潔く過去を償い宥しを乞うという真の正義の道を選ぶことである。これは、決して安易な「謝罪外交」でもなければ「自虐史観」でもなく、むしろ強い勇気を必要とする誇りある行為である。この姿勢こそが、日本を名誉ある地位に押し上げ、方針を失った若者たちに、誇りと自信とを与える正道なのである。
6.それにも拘らず日本の指導者たちは、国連の人権委員会ILO、ICJ等の度重なる勧告即ち歴史と正面から向き合へとの日本に対する厳しい国際輿論を無視し、ひたすら過去の罪を否定し、隠蔽し、歴史を偽り続けるという卑劣な態度を維持しており、これは醜態というほかはない。
弁護団長意見陳述書2(土屋公献)
記
1.昨日9月29日東京地方裁判所民事35部で、中国の旧日本軍遺棄毒ガスによる被害賠償請求事件の判決が言い渡された。
同判決は、旧日本軍が終戦時に中国に遺棄した毒ガス兵器や砲弾で被害を受けた中国人被害者と遺族計13人が日本政府を被告として国家賠償法に基き損害賠償を求めた訴えに対するもので、被害を防止する措置を怠った日本政府の不作為は、違法な公権力の行使に当るとし、政府に1人2000万円の賠償を命じたのである。
この判決で、裁判所は、除斥期間の適用につき、1986年に中国で中国公民出入国管理法が施行されるまでは中国国民が私事で出国することが出来なかったのであるからそれまで訴えの提起をする機会がなく、従って除斥期間はそれまで進行しなかったとし、その適用は正義公平の原則に反するとして却けた。更に、日本国が自らの民法で除斥期間の制度を設けながら、自らその利益を受けるのは不合理である旨の論旨も見られる。更に又、判決の中には、政府の作為義務が条理によって認められるという論旨、国家賠償法の相互主義が口頭弁論終結時に相互保証が存在すれば足りるという論旨等が見られ、これらはいずれも我々を首肯させるものである。
2.昨日の判決以前にも、最近の地裁判決の中には、例えば、平成13年8月24日の京都地裁浮島丸判決で、又平成14年4月26日の福岡地裁三井鉱山強制労働判決で、除斥期間の適用を正義公平の原則に反するとして却けた例があり、とくに福岡判決では日中共同声明は個人請求権を放棄したものではないとも宣明している。
3.更に、本年1月15日の京都地裁大江山中国人強制連行判決では、軍隊が法的根拠がないのに強制力を用いて連行した事は公権力の行使に当らないとの理由のもとに、国側の国家無答責の主張を却け、殊に本年3月11日の東京地裁中国人強制連行判決では、論旨のうち他の部分はともかく、国家無答責の点について、『戦前の裁判判例及び学説に照らすと、「国家無答責」なる不文の「法理」が確立しているとの理解を背景として、上記のような解釈が採られていたことがうかがえるものの、現時点においては、「国家無答責の法理」に正当性ないし合意理性を見いだし難いことも、原告らの主張するとおりである。・・・実定法上明文の根拠を有するものでない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け、その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い。』として、これを却けたのである。
4.以上のように、下級審判決は、徐々に国際慣習法や正義公平原則、条理等によって国側又は企業側の主張を却け、立法を促すことをも含めて、戦後処理の正しいあり方を示唆し、正義を実現しようとする方向に向いているといえよう。国際法の伝統的な考え方如何に拘らず、現在では加害国に対する個人請求権が認められており、その請求は、過去の日本軍の行為を対象とするものの現在の訴訟で行われているのであるから、現在の法解釈によって裁かれなければならない。
5.本月18日より上海で行われた日本の過去の清算を求める国際会議(中国本土、台湾、南北朝鮮、フィリピン、アメリカ、日本が参加)においても、去る8月4日の黒龍江省チチハルで起きた日本軍毒ガスによる死亡事件に対し、日本政府が日中共同声明を楯に正式の責任を逃れようとしている態度に対し、激しい非難が捲き起こった事実をもつけ加えておく。
6.日本政府が、過去の清算を怠り、時の経過によって問題が消え去ると高を括っている姿は、被害者の属する国々の人々のみならず、廣く国際社会からも蔑まれ、「名誉ある地位」とは逆に不名誉な孤立を招き、これは明らかに「国益」にも反するものである。
7.歴史を消し去ることは出来ない。年月を経れば経る程、記憶が薄れるどころか、過去を証明する資料が次々と発見され、それが次々と人々に拡がり、更に資料の発見へと繋がって、その結果、罪は罪として厳しく糾弾されるに至るのである。日本にとって、最も容易に、最も速く、最も確実に永久の平和を手に入れる最短の道は、決して軍備などではなく、正に歴史の直視と謙虚な清算である。
日中共同声明意見陳述書(西村正治)
1 本件事件の原審判決が、日中共同声明によって国際法上の日本国の責任が解決したと判示して以降、国が、日中共同声明による解決論を喧しく唱えはじめた感がある。つい先日5月15日の毒ガス慰留問題についての判決に際しての国の朝 日新聞に対するコメントがまさにそうであった。
しかし、これはとんでもない誤りであることをはっきりさせなければならない。
2 日中共同声明には、確かに、中国側が「戦争賠償の請求を放棄」とある。
(1) しかし、まず、中国側が、賠償請求権を放棄したのではない点が重要である。
すなわち、「賠償問題は日華条約で解決済み」という日本政府の立場と日華条約では、条約の適用範囲が限定されており、中国大陸には及ばないという条約の解釈の狭間で、中国本土における対日戦争賠償請求権は、1952
年日華平和条約によっても、1972年の日中共同声明によっても、決して放棄されていないこととなってしまっているのである。したがって、日中共
同声明と日中平和友好条約によって、「国際法上は」「決着したものといわざ るを得ない」とする原判決の理解は誤りなのである。
(2) 第2に、「戦争賠償請求の放棄」は、個人による請求は含まれないことは、当然のことである。
(3) 第3の問題は、細菌戦という人道に反する重大な戦争犯罪行為までも、中国政府が請求放棄=免責したはずがないということである。
1949年8月12日に成立したジュネーブ条約(第4条約)第147条に よれば、生物学的実験を含む非人道的待遇等の重大な違反行為に対して、賠
償請求の免責を禁止した(1953年日本国加入。)。本件細菌戦のような「重大な違反行為」については、請求権を放棄できないこととなっているのである。
中国政府が、日本に対する戦争賠償請求を放棄したのは、それによって日本国民を苦しめることが将来の友好の妨げになるという観点からである。周
恩来首相は、「我々は両国の人民の友好関係から考え、日本人民に賠償の支払で苦しませたくないから戦争賠償請求権を放棄しようとしたのである」と述べている。
したがって、そこで想定された賠償の内容は、戦闘行為に伴い中国国家が支出した戦費や、通常の戦闘行為に伴う中国国家が被った物的損害などを念頭に置いたものであり、中国の民間人が被った個別の特別な損害などはもと
もと含まれていない。
明白な戦争犯罪によって中国民間人が被った損害についてまで、賠償請求 を放棄して犯罪行為を宥恕するなどということは、論外のはずであって、そ
れまで放棄の対象に含めるなどという考えは毛頭ないものというほかない。
日本軍の将兵に対して比較的寛大であった中国政府も、戦争犯罪に対して は厳しく断罪する姿勢を示してきた。
中華人民共和国成立後も、中国政府は、戦争犯罪に対しては、それを断罪 する態度であり、十分な自己批判なしには、犯人を許さなかった。
決して、中国政府が、細菌戦被害についてまで、賠償請求を放棄したものではないことは明らかなのである。
3 したがって、日中共同声明によって中国政府は、細菌戦のような残虐な戦争犯罪についてまで賠償請求放棄を述べているものではないことが明らかである。にもかかわらず、日本の裁判所が、日中共同声明によって中国政府が細菌戦の賠償請求を放棄したと断言することは、大きな国際的な問題を惹起するものであると いわなければならないのである。
以 上
条理意見陳述書(萱野一樹)
1 原判決は、控訴人らの条理に基づく損害賠償請求に対し、「国家無答責の法理」を根拠にして斥けた。
すなわち、当時においては、国の当該権力的行為が違法であっても損害賠償責任を負わないという「法」が確立しており、本件細菌戦による損害の賠償責任に係る裁判規範として「法」が欠けていたわけではないから、本件において条理によって違法な公権力の行使に起因する損害賠償請求権を認めることはできないとする。
また、原判決は、条理に基づく損失補償又は特殊な補償請求についても「国家無答責の法理」を根拠にして斥けた。
すなわち、細菌戦が行われた当時、我が国においては「国家無答責の法理」により国の公権力行使による損害賠償責任は否定されていたのであるから、当時の法体系中にこれについて損失補償その他の特別な補償をすべきであるという条理が存在していたと認めることはできないというのである。
2 「国家無答責の法理」を主張することの不当性については、別項で詳細に論じているので譲るとして、ここではつぎの点を指摘しておく。
「国家無答責の法理」は、権利の発生を阻止するものではなく、発生した権利を国家に対して行使することを許さないという抗弁である。したがって、仮に本件細菌戦が行われた当時、「国家無答責の法理」が存在したとしても、戦後憲法及び国家賠償法が施行され、「国家無答責の法理」が消滅して以降は、発生した権利を国家に対して行使することを妨げる法律上の障害はなくなったのであるから、原判決のように今日の段階で、「国家無答責の法理」を抗弁として認めることは許されない。
2003年3月11日に判決のあった強制連行訴訟(東京地方裁判所平成9年泊謔P9625号)において、裁判所は、以下のとおり判示した。
「戦前の裁判例及び学説に照らすと、『国家無答責』なる不文の『法理』が確立しているとの理解を背景として、上記のような解釈が採られていたことがうかがわれるものの、現時点においては、『国家無答責の法理』に正当性ないし合理性が見出しがたいことも、控訴人らが主張するとおりである」
この判決も、戦前・戦中はともかくとして、戦後の現時点において「国家無答責の法理」を主張することに正当性ないし合理性がない旨判示しており、上記と同様の考え方に基づくものと思われる。
よって、原判決が、控訴人らの条理に基づく補償請求を、「国家無答責の法理」をもって斥けたことは、全く誤っていると言わなければならない。
3 そもそも条理に基づく補償請求に対して、「国家無答責の法理」は抗弁たりえないのである。なぜなら、条理に基づく補償請求は、国家に対しその不法行為に基づく損害賠償を求めるのとは法的性格が異なるからである。原審における2001年7月18日付の控訴人らの準備書面で詳細に述べたとおり、現行法上の国家補償の範疇を考察すると、@不法な公権力の行使により生ずる損害に対する国家賠償、A適法な公権力の行使により生ずる法の予想していた財産的損失に対する損失補償、B単に結果的現状に着目して行われる社会保障、C上記@ないしBと異なる特殊な国家補償制度がある。
「国家無答責の法理」が抗弁として意味を持ちうるのは、上記@ないしCのうち@のみである。すなわち、不法な公権力の行使により生ずる損害に対する国家賠償責任を免責するというのが「国家無答責の法理」の趣旨である。したがって、上記AないしCの補償の場面では、「国家無答責の法理」は働かないのである。
この点からも、原判決の誤りは明らかである。
4 原判決は、条理はその本質上抽象的なもので具体的な裁判規範の形をとりにくいものであるから、これを安易に使用するときは、条理の名の下に裁判官が自らの主観的な信念に基づき判断をしてしまうおそれがあるなどと述べて、本件において条理に基づいて裁判することを拒否した。この言葉ほど原審裁判所の無責任さを示すものはない。原審裁判所は、控訴人らが主張した細菌戦の事実を全面的に認め、控訴人ら中国人民に史上類を見ないほどの悲惨で非人道的な被害を与え、それが国際法等に違反するものであったことを認めておきながら、その救済を拒否したのである。上記のような細菌戦に関する控訴人の主張を全面的に認めるならば、たとえ立法がなくとも、いや、立法がないからこそ裁判所が端的に条理に基づいて救済をはかるべきでなのである。どうしてそれが「安易に使用」「主観的信念に基づいて判断してしまうおそれ」にあたるのか。
裁判所は、戦後60年の長きにわたり行政、立法が細菌戦被害者を無視抹殺してきた中で、今こそ人権救済の最後の砦として独自の役割を果たすべきである。それを怠るときには、永遠に司法不作為のそしりを免れないと言わざるをえない。
以上
国際法意見陳述書(鬼塚忠則)
ここでは、ハーグ陸戦条約第3条に基づく被控訴人の国家責任について述べる。
第1 ハーグ条約3条に基づく国家責任の性質と賠償請求権の主体について
1 ハーグ条約第3条は、軍隊構成員が戦争法規に違反する行為をした場合に、その被害者個人が、加害国に直接に損害賠償を請求する権利を定めたものである。この点は控訴人らのハーグ条約3条に関する基本的な解釈である。
2 この点に関し、原判決は、「ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則の趣旨・目的は,同条約及び同規則の規定に照らすと,陸戦において軍隊の遵守すべき事項を定め,もって戦争の惨害を軽減しようとする点にあるものと解される。もとより,戦争の惨害は最終的には個人に帰するものであるから,同条約及び同規則の究極の趣旨・目的は,陸戦の過程における非戦闘員を含めた個人の保護にあると解することができる」と認めている。
にもかかわらず、原判決は、ハーグ条約3条は、「被害者個人の加害者の属する国家に対する損害賠償請求権を認めたものではなく,被害者の属する国と加害者の属する国との間の権利義務関係について定めたものと解すべきである」として、結局個人の請求権を否定した。
3 しかし、仮に原判決が判示するように、ハーグ条約第3条に基づく賠償請求権が国家に帰属すると解したとしても、中国国家はハーグ条約3条に基づく被控訴人に対する損害賠償請求権を有しており、したがって、立法不作為の根拠となる被控訴人の国家としての責任はいまだ果たされておらず、その責任は現在においても存続すると言わなければならない。
第2 被控訴人の国家責任は未だ存続している
1 控訴人は、被控訴人の細菌戦被害の救済に関する立法不作為が控訴人らに対する新たな不法行為となることを主張するものである。
この立法不作為論の中心的論点は、被控訴人に細菌戦被害救済の立法義務が認められるか否かである。
この立法義務の成否を判断するにあたっては、本件細菌戦が明白な国際法違反(ジュネーブ・ガス議定書違反)行為であり、国際法(ハーグ陸戦条約第3条。同条約3条を内容とする国際慣習法を含む。以下同じ)によって定められた損害賠償責任が被控訴人に生じていたことが検討の核心にすえられるべきである。
本件細菌戦被害に対するハーグ陸戦条約3条に基づく被控訴人の国家責任(損害賠償責任)は、法的にはすでに本件細菌戦が行われた1940年乃至1942年の時点で発生していた。被控訴人の国家責任は、それ以来現在まで実に60年以上にわたって不履行状態が続いているのである。
2 しかしながら、原判決は、ハーグ条約3条に基づく、本件細菌戦による被控訴人の国家責任を認定しながら、その国家責任は1972年の日中共同声明で中国がその損害賠償請求権を放棄したので、既に「決着がついた」というのである。
しかし、以下に述べるように、被控訴人の国家責任が日中共同声明によって「決着した」という原判決の解釈は誤っている。日中共同声明から30年が経過した現在においても、被控訴人のハーグ条約3条に基づく国家責任は存続していると言わなければならない。
第3 ハーグ条約3条に基づく賠償請求権と日中共同声明における「賠償請求の放棄」について
1 ハーグ条約3条に基づく中国の損害賠償請求権と日中共同声明
ハーグ条約3条に基づく、中国国家に対する被控訴人の国家責任は果たされておらず、日中共同声明によっても未だ決着はついていない。
2 すなわち、第1は、中国政府が日中共同声明で放棄したのは、戦費等の賠償請求権であり、ハーグ条約3条に基づく賠償請求権は含まれていないのである。
日中共同声明第5項は、中国政府が、「中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」という条項であが、この条項によって、中国は日本に対する「戦争賠償の請求を放棄」したが、ここで放棄された「戦争賠償」の範囲は、戦費調達等の戦争賠償にほかならない、のであって、ハーグ条約3条に基づく戦争賠償請求のような、戦争法規に違反する違法行為によって生じた個人の被害に関する損害賠償請求は含まれていないと言うべきである。
第2に、ハーグ条約3条に基づく賠償請求権も含めて中国が放棄したと解したとしても、ここで放棄されたのは、中国の国家としての外交保護権であり、個人の請求権は国家によっては放棄されない。
原判決は、ハーグ条約3条の権利の帰属主体について、「個人が他国の国際違法行為によって損害を受けた場合には、当該個人は加害国の国際責任を追及するための国際請求を提出し得る主体としては認められず、その個人の属する本国が、当該個人の事件を取り上げ外交保護権を行使することによって、自らに対する法的な侵害として引き受け、国家間関係に切り替えて相手国(加害国)に国家責任を追及するものと解されている」と判示している。
この原判決の立場に立つとしても、ハーグ条約3条の本来の目的が、被害者個人に対する賠償にあり、国家は外交保護権を行使してそれを実現しようとするのであるから、国家が放棄できるのは、外交保護権だけであって、加害国に対する被害者個人の損害賠償請求権まで放棄することはできないのである。
第3に、日中共同声明第5項の「戦争賠償」の中には、本件細菌戦に関する賠償請求権は含まれていないと解すこともできる。
すなわち、本件細菌戦は国際法に違反する残虐行為であり「賠償請求の放棄」に入らないと解すべきである。
本件細菌戦は、明白な国際法違反であるうえ、被控訴人が意図的に計画し組織的に実行された戦争犯罪である。さらに、細菌戦の実行は、最初から非戦闘員たる一般住民を無差別大量に殺戮することを目的としており、いかなる意味でも正当化されない行為である。
本件細菌戦のような違法行為によって控訴人ら中国の一般住民が被った損害については、いわゆる戦後処理として、国家間で取り決められる通常の「戦争賠償」の処理の中には含まれない。日中共同声明において中国政府が放棄した「戦争賠償」は、通常の意味での戦争賠償に限られるのであり、本件細菌戦のような国際法違反の残虐な行為については、放棄の対象に含まれないと解するべきである。
第4 結論
以上述べたとおり、日中共同声明によっても、中国国家が被控訴人に対する本件細菌戦に基づく賠償請求権は消滅しておらず、現在もなお存続している。
したがって、被控訴人の国家責任も当然は現在においても存続していると解さなければならない。
このように、ハーグ条約3条に基づく損害賠償請求権は国家にあるという原判決の立場に立っても、被控訴人の国家責任は存続しており、被控訴人は、この国家責任に基づき、控訴人らの損害を救済する旨の立法を行う法的義務があると言わなければならない。
以 上
国家無答責意見陳述書(一瀬敬一郎)
1 原判決は、日本軍731部隊が細菌戦をやった事実を認定しながら、日本
の国内法にもとづく法的責任を否定したが、その最大の根拠を国家無答責の法理においている。すなわち、原判決は、戦前は公権力の行使による私人の損害については国の損害賠償責任を認める法律上の根拠がなく、公権力の行使が違法であっても国は損害賠償責任を負わない旨を認定した。
しかし、このような原判決の認定は根本的に誤っている。
2 国家無答責の法理については、従来、厳密な検証もなされないまま、戦前
の法理論としては当然視されてきた。しかし、現在の裁判の法理として国家無答責の法理を適用することは全く間違っている。そもそも従来判例分析において私経済作用と分類されてきた裁判事案も、実際には公権力の行使と解すべき事例が多く含まれている。戦前でも違法な公権力の行使について国の損害賠償責任を認める司法判断は広い範囲で運用されていたのである。
また学説をみると、例えば渡邊宗太郎は、昭和10年発行の『日本行政法』の中で「国家が自己の違法行為に依って私人に財産上の損害を加えたる場合には固より国家はそれを賠償する義務を負担する。私人の利益が法に依って権利として保護される以上、それの違法の侵害あるときにはその行為者の何びとであるを問わず原則として私人はその損害の賠償を請求し得べく、行為者は之を賠償すべき義務を負う。特別の法の規定なき限り国家と雖も当然にこの義務から免除せられると為すを得ないのである。而してこのことは国家の違法行為が公法行為たると私法行為たるとに依って、また権力行為たると対等行為たるとに依って異なるところはない。」と述べ、国民の損害が権力的作用に基づくか、非権力作用に基づくかは区別する必要がないので損害賠償を認めるべきと論じていた。
このようにそも国家無答責の法理は、判例法および当時の学説としても確立してはおらず、また同法理の適用範囲も理由も極めて曖昧なものであった。
3 まして本件細菌戦は、原判決が認定するように、ジュネーブ・ガス議定書
に違反し、同議定書を内容とする国際慣習法に違反し、かつ賠償責任を定めたハーグ陸戦条約第3条に違反する戦争犯罪の中でも特別な残虐性をもっている。
日本軍731部隊が中国で強行した本件細菌戦は、明白な国際法違反の残虐な戦争行為であり、いかなる意味でも国の賠償責任を否定することは不正義である。
4 最近、東京地方裁判所民事第25部2003年3月11日判決は、中国人
強制連行事件に関して、「現時点においては、『国家無答責の法理』に正当性ないし合理性を見いだし難いことも、原告らが主張するとおりである。当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり、実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け、その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い」と、「従前の例による」ことが、国家無答責を適用しうる根拠とならないことを判示している。
いずれにしても 日本国憲法17条は、国の賠償責任を明記し、国家無答責の法理を否定した。現在の裁判所は日本国憲法の価値原理に則って法令の解釈適用をすべきであり、過去の法令の解釈についても、現時点で当時の法令の解釈をし直すべきである。
「国家無答責の法理」は、本件細菌戦には適用されない。
以 上
立法不作為論意見陳述書(荻野淳)
1,私たち控訴人らは,今回の裁判で,正義の実現を求めてきた。
原審判決は,細菌戦の事実を認め,その事実によって日本国はハーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法に違反する国家責任を負うことを認めた点で,正義に一歩近づいたと言える。
しかしながら,結局,私たちの請求は認められていない。細菌戦の事実を認めながら,どうして,最終的な正義は実現されないのか。私たちには,そして,一般常識を有する全ての人々は,到底理解できない。
2,立法不作為論でいえば,私たちは,原審で,まず,いわゆる関釜判決(山口地方裁判所下関支部平成10年4月27日判決)で明らかになった理論を援用して,本件立法不作為の違法性等を明らかにした。この点については,控訴審裁判所においても,原審での,当方の主張を検討していただければ,明らかである。
しかしながら,原審は,昭和60年11月21日最高裁第1小法廷判決を根拠に,これを否定した。しかし,この判決に,到底説得力がないことは,私たちが,原審での主張で明らかにした通りである。
3,そして,仮りに,百歩譲って,この最高裁判決によったとしても,その文言を素直に理解するならば,「その内容が憲法の一義的な文言の反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行い又は立法をせずに放置したというよう」な場合に限られず,「その内容が憲法の一義的な文言に反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行い又は立法をせずに放置したというよう」な場合を一つの例として,このような,「容易に想定しがたいような例外的な場合」には,立法義務が認められると右最高裁判決を読むべきことは,ハンセン病に関する熊本地方裁判所平成13年5月11日判決を引くまでもなく,明らかである。このことも,私たちが,原審で主張した通りである。
4,また,原審判決は,右最高裁判決によりつつ,日本国の国家責任は,日中共同声明等によって,決着したと判示し,そのことも理由として,立法不作為による請求を棄却している。しかし,日中共同声明等のこのような理解は,誤りである。私たちは,今回の第1準備書面第5章では,この点に焦点を当てて,原審の誤りを,明らかにした。
即ち,日中共同声明時に,本件細菌戦の被害を意識した判断はなされていない等から考えて,日中共同声明等で,中国国民個人ひとりひとりの請求権が放棄されたとは到底考えることは出来ないこと等を明らかにした。
これらについても,今回の私たちの準備書面を,よく検討していただきたい。
5,私たちは,当然,控訴審裁判所に対しても,正義の実現を求める。
まず,細菌戦の事実は,原審で明らかになった。それが,国際慣習法上も違法であり,日本国が国家責任を負うべきことも明らかになった。
次は,法理論的にも,私たちの請求が認められるのみである。
その為の法理論として,わたしたちは,様々な主張をしている。どれも説得的であるが,立法不作為についても,私たちは,このように十分な根拠を主張している。
前記最高裁判決に従っても,十分に,私たちの請求が認められることさえ,明らかにした。
6,原審の言うとおり,細菌戦があたえた損害は,誠に悲惨かつ甚大であり,旧日本軍による細菌戦は非人道的なものであった。であるならば,私たちの請求が,認められて当然である。正義を求め,一般常識を有する全ての人々はそう判断する。ここで,正義を実現するために,裁判所がなすべきことは,明らかである。
私たちの,原審・控訴審での主張・立証を,十分に審理し,検討してほしい。そうすれば,おのずと,正義を実現する為に,控訴審裁判所が,なすべきことは,明らかになる。
7,本裁判が,控訴人らに限らず,中国の人々から,アジアの人々から,世界の人々から,そして,こころある日本の人々から,本当に正義を実現するか注目されていることを忘れないで欲しい。
8,ここで,私たちは,請求を基礎付ける法理論の一つとして,立法不作為論を主張しているが,控訴審裁判所が,正義を実現することを懈怠して,司法不作為になることがないように,強く求める。
以上
意見陳述要旨(731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟弁護団)
第1 731部隊による本件細菌戦の実行とその被害の実態について
(弁護士萱野一樹陳述)
1 本件控訴審は、2003年5月20日に第1回口頭弁論が開かれて以来、 1年10ヶ月に及ぶ審理を経て本日結審を迎えた。控訴人らは、控訴審において、731部隊による本件細菌戦の実行とその被害の実態について認定し、それがジュネーブ・ガス議定書やハーグ陸戦条約3条などの国際慣習法に違反していたことを認めながら原告らの請求を退けた原判決の誤りを全面的に批判し尽くす主張立証を行ってきた。必ずや原判決は破棄され、控訴人らの請求が必ずや認容されるものと信ずる。
2 控訴審の結審を迎えるにあたって、控訴人らをはじめとする中国人民の 本件細菌戦に対する怒りと戦後60有余年を経て未だに何らの謝罪も賠償もしようとしない日本政府に対する怒りという本件細菌戦訴訟を提訴するにいたった原点に立ち戻る必要があると考える。
細菌戦は、ナチス・ドイツによるホロコーストに比すべき残虐で非人道的な犯罪行為である。旧日本軍731部隊などの細菌戦部隊が中国各地で行った細菌戦は、戦争犯罪という言葉だけでは言い尽くせない、実におぞましい悪魔の所業というべきものであった。細菌戦のために軍医を集めて秘密部隊を創り、その細菌戦部隊の中でペスト菌を生産し、鼠をペストに感染させ、ペストに感染した蚤を大量生産し、空中から街や村に投下するという、戦闘とは全く無関係の一般住民をペストやコレラなどの疫病に感染させ、その地域一帯に疫病を大流行させるという行為は、細菌兵器開発のための人体実験も含め、作家森村誠一が名付けたとおり、「悪魔の飽食」を彷彿とさせるものである。
それはナチス・ドイツが行ったホロコーストにも比すべき、残虐で非人道的なものであり、民族抹殺(ジェノサイド)であり、中国の一般住民に対する大量無差別虐殺である。細菌戦は、ナチスが犯したアウシュヴィッツ等での毒ガスによるユダヤ人・ポーランド人などの民族抹殺的な大量虐殺行為と何ら異ならない人類史上最も残虐な行為なのである。
控訴人らの肉親たちは、都市あるいは農村の住民であったが、731部隊の細菌兵器により、ペスト、コレラなどに感染し、あるいは汚染地区からの伝播により感染したことにより、もがき苦しんだ後死亡した。あるいは控訴人ら自身が感染した。また、ペスト流行地域は、寧波などの例に明らかなように、疫区として封鎖され外出禁止となり、1人でも病人が出ると家族全員が隔離の対象となった。いったん隔離所に入ると生還する望みを絶たれるも同然であった。感染すると医師すら恐れて治療を拒否した。患者は脇の下や鼠蹊部のリンパ腺が腫れ上がり高熱と乾きに苦しみぬいて短期間のうちに死亡した。さらに、彼らの家屋は、寧波、義烏、崇山村の例のように、防疫のため焼毀・破壊された。また細菌戦部隊は、作戦後、被害地区に「防疫」の名目で入り込み、その疫病に苦しむ住民を生体解剖して、細菌戦の効果を確かめるなどした。このように、細菌戦の被害を被った中国民衆は、筆舌に尽くしがたい苦しみを受けたのである。
しかるに、日本政府は、戦後60有余年を経た今日に至るまで、細菌戦の事実を隠蔽しつづけ一切の賠償を拒否しつづけてきた。控訴人らをはじめとする中国人民の怒りは頂点に達しているといっても過言ではない。
3 控訴裁判所においては、こうした控訴人らをはじめとする中国人民の怒 りを真摯に受け止めて速やかに原判決を破棄し、控訴人らの謝罪と賠償を求める請求を認容すべきである。1997年8月の1審の提訴以来今日まで既に7年7ヶ月が経過している。その間に何人かの控訴人(原告)が亡くなっている。その他の控訴人らも高齢化がすすんでいる。一日も早い救済が求められている。控訴裁判所は、控訴人らをはじめとする中国人民が深い怒りとともに熱い期待をもってその判決の行方を注視していることを忘れてはならない。控訴裁判所は、戦後60有余年の長きにわたり行政、立法が細菌戦被害者を無視抹殺してきた中で、今こそ人権救済の最後の砦として独自の役割を果たすべきである。それを怠るときには、永遠に司法不作為のそしりを免れないと言わざるをえない。
第2 国家無答責論の不適用について
(弁護士西村正治陳述)
1 これまでの審理を通して、本件細菌戦に国家無答責の法理が適用されな いことを詳細に明らかにしてきた。すなわち、第1に、国家無答責の法理には、実定法上の根拠はなく、また、いわゆる「判例法」によっても、当時の学説によっても、また立法者意思によっても、全く確立してはおらず、その適用理由も曖昧であった。第2に、本件細菌戦のような国際法違反の残虐な戦争行為は、「適法な権力行使権限」に基づかないから、同法理適用の前提を欠く。第3に、大審院の見解に基づけば非権力的な公法上の行為(事業活動)に分類できるから同法理は適用されない。第4に、国家無答責の法理は、外国での外国人に対する行為には適用されない。第5に、ハーグ条約の国内法化により、国際法に適合した国内法の解釈によって、本件細菌戦に国家無答責の法理は適用されない、ということである。
国家無答責の法理が適用されない場合、現行民法の不法行為規定によって、被控訴人の賠償責任が成立することは、戦前の判例からも明らかである。
2 これに対し、被控訴人は、「特別の規定がないのに、無答責であつた行為につき、賠償責任を認めることは法の解釈として許されない」と主張する。
しかし、国家無答責の法理は、訴訟法上の救済手続が欠如していることを意味する訴訟法上の一解釈にすぎない。明文をもって否定されていたのは行政事件としての訴訟要件という点においてのみであり、行政作用に関しては行政裁判所が設けられているという事情から、民事訴訟の手続きにおいて判断することが差し控えられただけである。それゆえ、行政裁判所が廃止され、全ての事件を司法裁判所が審理することとなった現在の手続法の下においては、行政作用に関する損害賠償請求訴訟を司法裁判所が審理することになんの障害もなく、戦前における行政作用に関する損害賠償請求訴訟について、司法裁判所が現在の解釈によって審理することには、なんの問題もない。
3 日本国憲法17条は、国の賠償責任を明記し、国家無答責の法理を否定 した。現在の裁判所は日本国憲法の価値原理に則って法令の解釈適用をすべきであり、過去の法令の解釈についても、現時点で当時の法令の解釈をし直すべきである。
本件細菌戦は、原判決も認定するように、ジュネーブ・ガス議定書に違反し、同議定書を内容とする国際慣習法に違反し、かつ賠償責任を定めたハーグ陸戦条約第3条に違反する戦争犯罪の中でも特別な残虐性をもっている。
細菌兵器の特徴は、その被害の範囲を予測することも限定することもできないこと、非戦闘員である一般市民の大量殺戮を狙うものであること、戦闘行為終了後においてもその潜在的破壊力ゆえに2次流行、3次流行を引き起こし、長期間にわたって地域社会全体が伝染病の発生・蔓延の危険にさらされることにある。
このような前例のない残虐な非人道的行為が、国家無答責の法理をによってその責任が問われず、被害者が救済されないことは、「正義公平の原則」に著しく違背するものである。
戦前の法的、時代的制約の下でも、法の正義の見地から民法の適用範囲を拡大して、「国、公共団体の損害賠償責任追求の道」を切り開いた戦前判決例の努力の過程があった。原判決が国家賠償法の「従前の例」という規定をもって、国家無答責の法理を適用し、控訴人らの賠償請求の道を閉ざしてしまうことは、上記戦前からの努力の過程に逆行するものであり、これもまた正義公平の原則に反するものである。
本件細菌戦のように、加害行為時と裁判時で、国の賠償責任についての価値原理が大きく転換しているとき、その加害行為が史上類例のない残虐な戦争犯罪である場合、昔の解釈を踏襲することで結果として日本国憲法の価値原理と真っ向から反する結論を導くことは、法の解釈適用として許されることではない。裁判所は、現在の日本国憲法の価値原理に基づいて法解釈を為し、現時点の法原理に適合する結論を導かなければならない。
日本国には、本件細菌戦被害者に謝罪・賠償を行うべき法的責任があるのである。
第3 戦後の不法行為(立法不作為・行政不作為・隠蔽行為)について
(弁護士荻野淳陳述)
1 控訴人らは,今回の裁判で,正義の実現を求めてきた。
原審判決は,細菌戦の事実を認め,その事実によって日本国はハーグ陸戦条約3条の規定を内容とする国際慣習法に違反する国家責任を負うことを認めた点で,正義に一歩近づいたと言える。
しかしながら,結局,控訴人らの請求は認められていない。細菌戦の事実を認めながら,どうして,最終的な正義は実現されないのか。控訴人らには,そして,一般常識を有する全ての人々は,到底理解できない。
2 ここでは,戦後の不法行為について述べる。具体的には,立法不作為,
行政不作為,隠蔽行為の3点である。
3 思うに,細菌戦行為は,それ自体が,残虐で国際法にも違反する人道に対する罪と言うべき行為である。この行為自体が,厳しく責任追及されなくてはならないことは言うまでもない。しかしながら,戦後,日本が,侵略戦争の反省に立ち,細菌戦その他の戦後補償問題に誠実に取り組んでいれば,日本と中国の間には,真の友好関係が確立し,例えば,現在の独仏関係のように,緊密な関係を作りえたであろう。しかしながら,残念なことに,被控訴人日本国は,立法府も行政府も,その努力を怠り,あろうことか細菌戦の事実を隠蔽するという恥ずべき行為を重ねてきた。その結果が,現在の,日本と中国のぎくしゃくとした関係である。誠に残念である。
4 立法不作為論でいえば,控訴人らは,原審で,まず,いわゆる関釜判決(山口地方裁判所下関支部平成10年4月27日判決)で明らかになった理論を援用して,本件立法不作為の違法性等を明らかにした。この点については,控訴審裁判所においても,原審・控訴審での,当方の主張を検討していただければ,明らかである。
しかしながら,原審は,昭和60年11月21日最高裁第1小法廷判決を根拠に,これを否定した。しかし,この判決に,到底説得力がないことは,控訴人らが,原審・控訴審での主張で明らかにした通りである。
5 そして,仮りに,百歩譲って,この最高裁判決によったとしても,その文言を素直に理解するならば,「その内容が憲法の一義的な文言の反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行い又は立法をせずに放置したというよう」な場合に限られず,「その内容が憲法の一義的な文言に反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行い又は立法をせずに放置したというよう」な場合を一つの例として,このような,「容易に想定しがたいような例外的な場合」には,立法義務が認められると右最高裁判決を読むべきことは,ハンセン病に関する熊本地方裁判所平成13年5月11日判決を引くまでもなく,明らかである。このことも,控訴人らが,原審・控訴審で主張した通りである。
6 また,原審判決は,右最高裁判決によりつつ,日本国の国家責任は,日中共同声明等によって,決着したと判示し,そのことも理由として,立法不作為による請求を棄却している。しかし,日中共同声明等のこのような理解は,誤りである。控訴人らは,控訴審において,この点について,原審の誤りを,明らかにした。
即ち,日中共同声明時に,本件細菌戦の被害を意識した判断はなされていない等から考えて,日中共同声明等で,中国国民個人ひとりひとりの請求権が放棄されたとは到底考えることは出来ないこと等を明らかにした。
7 行政不作為については,控訴人ら第1準備書面,第5準備書面,第7準備書面で,明らかにした。本件細菌戦が,国際法違反の史上類例の無い残虐な非人道的戦争犯罪行為であるという性質に照らせば,被控訴人は,「細菌戦の加害事実を調査し真相を公表するという被害救済措置義務」をおっていることは明らかである。
8 隠蔽行為については,控訴人第1準備書面,第7準備書面で,明らかにした。ここで,特に指摘したいのは,隠蔽行為が,控訴人らに,日々,新たな損害(外傷性記憶による精神的損害,名誉侵害による精神的損害,ペスト再流行の生命・身体に対する侵害の虞による精神的損害)を生じさせている新たな不法行為であることである。この点は,第7準備書面で明らかにしている。
9 控訴人らは,当然,控訴審裁判所に対しても,正義の実現を求める。
まず,細菌戦の事実は,原審で明らかになった。それが,国際慣習法上も違法であり,日本国が国家責任を負うべきことも明らかになった。
次は,法理論的にも,控訴人らの請求が認められるのみである。
その為の法理論として,控訴人らは,様々な主張をしている。どれも説得的であるが,立法不作為,行政不作為,隠蔽行為論についても,控訴人らは,十分な根拠を主張している。
10 原審の言うとおり,細菌戦があたえた損害は,誠に悲惨かつ甚大であり,旧日本軍による細菌戦は非人道的なものであった。であるならば,控訴人らの請求が,認められて当然である。正義を求め,一般常識を有する全ての人々はそう判断する。ここで,正義を実現するために,裁判所がなすべきことは,明らかである。
控訴人らの,原審・控訴審での主張・立証を,十分に審理し,検討してほしい。そうすれば,おのずと,正義を実現する為に,控訴審裁判所が,なすべきことは,明らかになる。
11 本裁判が,控訴人らに限らず,中国の人々から,アジアの人々から,世界の人々から,そして,こころある日本の人々から,本当に正義を実現するか注目されていることを忘れないで欲しい。
12 控訴人らは,控訴審の第1回期日に,控訴審裁判所が,正義を実現することを懈怠して,司法不作為になることがないように,強く求めた。
さらに,控訴審結審にあたり,ここまで事実が明らかになり,正義を実現するために何をなすべきか明らかであるにもかかわらず,正義の実現を怠ることは,単なる司法不作為ではなく,裁判所による,新たな積極的な加害行為であると評価されてもやむをえないことを指摘したい。
13 控訴審裁判所が,正義を実現されんことを,強く求めます。
第4 日中請求権問題と中国革命の歴史的意義について
(弁護士一瀬敬一郎陳述)
1 被控訴人は、日中間の請求権問題に関して、@1952年4月に台湾の蒋介石政権と締結された日華平和条約によって請求権は基本的に放棄された、A日中共同声明によっても復交三原則中の第3原則(日台条約は不法無効であり破棄されるべきこと)を日本は承認していない、との主張を述べている。
これらの被控訴人の見解の根本には、1949年10月に中華人民共和国が新中国として発足し、同政権がすでに発足時に中国を代表する正当政権であった事実を認めないという誤った前提に立っている。そこで、このような見解がいかに間違っているかを公知の歴史事実から検証する。
被控訴人の上記の見解は、まず何よりも1949年の中国革命の成就という歴史事実を無視し、歴史の厳粛な事実に反する点で完全に間違っている。以下に4点に分けて述べる。
2 第1に、1949年10月に中国共産党が中核的な政治勢力となって推し進めた中華人民共和国の発足は、約半世紀にわたる中国の政治体制のあり方をめぐる中国国民党と中国共産党で間の抗争に最終的決着をつけた大事件であり、その決着の仕方は中国共産党が中国大陸全部を支配するという完全なものであった。従って、1949年に中国で起こった事件は単なる政治的な出来事の一つではなく、まさに中国革命と呼ばれるに相応しいものであったのである。
この意味から、1949年以降、台湾を支配した蒋介石の「政権」を従来の中華民国を引き継ぐ政権ないし中国を代表する政権と見る余地が全く無いことは明らかである。
3 第2に、上記の中国革命は、中国の民衆自身が中国共産党の方針で中国の政治が運営されることを支持した結果であって、民衆自身による政治選択があってはじめて可能なものであった。その意味で極めて民主的な性格を持っていた。
上記の点は具体的な歴史的経緯を少しでも重視すれば明白なことである。だが、上述した通り被控訴人の主張の根幹に歴史の無視がある以上、本件細菌戦裁判において最小限度必要な歴史把握のために1945年から1949年の間の中国国内での政治的な状況について、以下に既に公知の域に達した歴史事実の中から若干述べておくものである。
日本の本格的な中国侵略に対して、もともと中国においては1937年以降第二次国共合作が成立し中国国民党と中国共産党が両軸を形成して日本軍と闘ってきた。中国の抗日戦争勝利の原動力は国共両党が日本の侵略に対して軍事的、政治的に闘って初めて可能だった。従って、戦後の政権構想の中軸を担う政治勢力は中国では中国国民党と中国共産党という二つの政党をおいてなかった。そこで1945年の日本敗戦後、同年8月に蒋介石と毛沢東が43日間に及ぶ重慶会談を行い、同年10月に両党の間で双十協定が調印された。同協定では、翌46年1月に政治協商会議を開くことが取り決められ、内戦の回避、平和的・民主的な中国の統一が合意された。
両党の合意は日本敗戦後の中国の新しい政権構想を提起するものとして決定的に重要な意味をもっていた。1946年1月、上記双十協定にそって国共停戦協定が結ばれ、さらに重慶で中国国民党、中国共産党および民主同盟・青年党などの民主党派が参加して国共政治協商会議が開催された。同会議では今後の政治構想について国民党が提案した国民党一党独裁的色彩が濃厚な提案が退けられ、国民政府の改組、国民大会の開催、共産党が骨子を提案した『和平建国綱領』の実施、憲法制定などが合意された。
しかし、その後同年3月、中国国民党は一党独裁に固執して同党の会議で上記の政治協商会議の決定を拒否する態度をとり、6月以降国共内戦が本格化した。
国共内戦では、当初は軍事力に優る中国国民党側が優勢であったが、次第に国民党支配区では中国国民党への内戦中止を求める民衆の声が上がるようになり、これに国民党が血の弾圧を加えたことで中国国民党に対する民衆の支持は急速に低下していった。他方、中国共産党の支配する地区では、農民に対する土地改革が積極的に行われはじめ中国共産党への支持が急速に増していった。また中国国民党は内戦の諸条件を有利に運ぶためにアメリカへの依存度を強め、他方、米国は中国に対する経済侵略を狙い、1946年11月には「中米友好通商条約」を結ぶなどして中国の権益を米国に売り渡すまでにいった。このため翌1947年初めからは上海の労働者の「米国製品ボイコット」運動が発生する事態となった。
1947年が国共内戦の転換点だった。中国国民党は大地主の権利を擁護し米国の中国侵略を容認するなどの腐敗した政治を進めていき、この必然的な結果として民衆の中国国民党への大衆的な反発が表面化していった。同年2月には台湾省の台北で民衆の大規模な暴動が発生し、国民党の軍隊が残酷な大弾圧で3万人以上の民衆が虐殺された。5月には南京・天津・上海などで内戦反対、迫害反対の運動が起こり、これに対しても国民党の軍隊が残虐な弾圧を強行した。中国国民党は一層政治的に追い込まれて、民主同盟なども非合法団体に指定して解散を強制し、他の民主党派の反発を強めていった。
1947年10月、中国共産党は地主からの土地の没収と耕作者への分配を定めた「中国土地法大綱」を制定して、従前以上に活発に土地改革を実行していったが、その過程で中国共産党への政治的な支持が一挙に強まり、共産党の軍隊の勢力も増強されるようになった。その後、1948年9月から翌1949年1月にかけて有名な遼藩戦役、准海戦役、平津戦役という三大戦役で共産党軍が勝利した。1949年1月には蒋介石は総統を退き、4月には国共両党間で「国内和平協定最終修正案」が合意され、4月20日には和平協定の調印が予定されていたが、蒋介石がこれを拒否させたため、中国共産党は長江を渡って南京を占領した。
上記の共産党軍の南京支配をもって、22年間におよんだ国民党が支配した中華民国政府は消滅した。その後、同年9月に北京で中国人民政治協商会議が開かれ、中国共産党、各民主党派、無党派民主人士、人民解放軍、各人民団体、各地区・各民族さらに海外華僑などの代表が参加した。同会議で、新中国創立の問題が議論され、「中国人民政治協商会議共同綱領」が制定された。同綱領では、中華人民共和国は労働者階級の指導する労農同盟を基礎とする人民民主国家であること、中華人民共和国中央人民政府の主席を毛沢東とすること、複数の副主席をおくこと、北京を首都にすること、その他国旗国歌などを定めた。
その後も中華人民共和国中央人民政府は国内統一の軍事行動を継続し、ようやく1950年6月ころまでに中国大陸内の旧国民党グループは軍事的にも政治的にも平定された。
以上のような中国の民衆自身の政治選択の結果として、1949年10月の中華人民共和国の発足が実現したのである。かかる新中国建国にいたる歴史事実とその民主的性格に照らせば明白なとおり、台湾の蒋介石「政権」なるものは、本質的には中国の民意を全く反映しておらず、違法に台湾省を武力で制圧している武装集団にすぎない(因みに蒋介石らは1949年5月に台湾に戒厳令を施行した)。このような違法集団が中国を代表しているという主張は全くのたわごとにすぎない。
4 第3に、アメリカは第二次世界大戦の終了後間もなく対ソ連敵視政策を推し進め、1949年の中国革命に至る過程でも蒋介石の国民党軍を援助するなど、資本主義体制の護持を最優先させて、世界政策でも反共産主義を基準にした対外政策を取り続けたが、1949年10月に発足した中華人民共和国を承認せず、台湾に逃げ延びた蒋介石らの武装集団を強力にバックアップした。
アメリカは、以上に述べたようなソ連および新中国を敵視した世界政策を絶対的な価値基準にして対中国政策を進めた結果、実際には何人にも明白な中国では中華人民共和国が新政権を担っている事実を無視し、逆に旧国民政府の残存武装集団として台湾省を違法に軍事制圧し続けている蒋介石集団を中国の正式の政権と見なすという、明かな誤りを犯している。台湾を中国と承認した諸国は、アメリカの意向を受けた国か、あるいは米国と同様の利害から中国敵視政策に立場に立つ国にほかならないのが実態である。いずれにしても米国およびその同調国の蒋介石「政権」を中国として承認するという国家判断は、自国の利害のために中国という他国の主権を無視するものであり、国際法を無視した完全な謬見にほかならないものであった。
5 第4に、その後の世界の諸国の認識は、中華人民共和国が中国を代表する政権であることを認識する諸国が増えて、最終的には国際社会でも多数派となり、真実が証明された。
この経緯を国連の場合について簡単にふり返ると次の通りである。国連においても当初の段階では、アメリカは1950年代には審議棚上げ案で対処しようとし、次いで60年代に入ると総会の3分の2の多数を必要とする重要事項に指定して中国を国連から排除し続けた。しかし1970年になるとアルバニアやアルジェリアなど中国支持派の共同決議案が総会で多数を占めるに至った。これに対して米日両国は、中台両国政府の二重代表制や台湾の追放を重要事項に指定する逆重要事項指定方式による決議案を提案したりしたが、結局否決され、アルバニア案が76対35の大差で可決された。こうして中国すなわち中華人民共和国が国連に復帰することとなった。
以上の経過は、もちろん中華人民共和国が中国を代表する政権であるという真実が国際的にも明らかにされた意義を持っている。しかし、実は、1949年10月の時点から中華人民共和国が中国大陸を実行支配していたのであり、1970年までの時点で中国における政治体制には本質的に何らの変化もなかったのである。従って、上記での述べた国際社会における中国承認国が多数派となり国連に復帰した経緯は、そもそも1949年の時点でも中国として国家承認されるべきは中華人民共和国であった事実を証明しているのである。
以上に述べたことは、今や公知の歴史的事実であると言っても過言ではない。何ら特異な見解ではないし、誰でも入手できる年表や辞典などで確認できる歴史的な出来事ばかりである。
被控訴人は、このように明白な歴史事実を今も無視して裁判所で主張している事実に控訴人らは驚きを禁じ得ないとともに、これを控訴人らの請求を退ける理由に挙げていることに怒りを禁じ得ない。
6 最後に、上記の被控訴人の見解の誤りが、被控訴人が自らが犯した誤りを認めないという態度に起因していることを指摘しておきたい。
1972年の日中共同声明の交渉記録は近時日本側では公開されているが、その記録を見れば、日本側が過去の誤りを率直に認めず、執拗に中国側に抵抗している姿がわかる。これを被控訴人は、日中双方が了解できる表現になったかのように誤魔化しているが、そうではない。真実は、日本側が中華人民共和国を中国を代表する政権として認めなかった過去の誤りを率直に認めなかったというだけなのである。侵略戦争を行った事実を認めない日本政府の態度と全く同梱の誤りをここでも犯しているのである。
さる3月18日に東京高裁第1民事部の戦後補償訴訟での判決は、以上に述べた被控訴人と全く同様の誤りを犯している点で強く弾劾されるべきである。
第5 国の数十年前の不法行為についての賠償責任
(弁護士土屋公献陳述)
1 一審判決は、細菌戦という日本軍の非人道行為については、ハーグ条約3条を内容とする国際慣習法による国家責任が生じていると判示した。国家責任とは国家の法的責任であり、法的責任は何らかの形でこれを現実に果たす義務があるということである。
2 一方、この悲惨な被害を受けた個々の被害者らは、当然に加害者に対して責任追及をすることができるというのは、万国共通の法理である。
3 一審判決は、「国際法における伝統的な考え方」を墨守し、個人が外国国家に対し直接請求権を行使する道はないというが、当時はともかく、少なくとも現在では、その考え方は通用しない。特別の条約によるか、加害国の国内法の立法によるか、被害者の属する国の外交保護権によるのでなければ、被害者個人は常に外国に対して泣き寝入りをしなければならないなどという不合理は、現在では考えられない。国家賠償法等の立法を待つまでもなく、どこの国でも、その国の責に帰すべき原因により外国人に損害を与えれば必ず責任を取るのがごく当たり前のこととされている。カンボジアでの日本自衛隊による事故、アメリカ潜水艦による愛媛丸事件等記憶に新しい。黒竜江省の毒ガス弾被害者に対する賠償も、決して中国の外交保護権を介したものではないし、条約によるものでもない。
4 然らば数十年前の行為について、内国外国を問わず個人に対し国が賠償をする義務が認められるかという問題はどうか。これを免れさせる制度としては、時効、除斥期間が考えられるが、本件においてこれらを用いて国の責任を免れさせることはとうてい許されない。
5 これらの制度は、権利の上に眠る者を保護しない、時が経ち過ぎれば立証、採証が困難になる、いつまでも争いの種を残すのは法的安定性を害するという趣旨から国内法として設けられたものであり、とくに民法724条後段の20年というのが、除斥期間ではなく時効であるとの説は有力である。
6 日本軍の犯した非人道行為についてのいくつかの下級審判決例にあるとおり、不法行為の悪質性、被害の重大性に鑑みれば、これらを適用することが著しく正義・公平の理念に反し、その適用を制限することが条理にも適うのであって、上に述べた制度の趣旨のいずれにも当てはまらないから、時効、除斥期間の適用は斥けるべきである。凡そ、国際的責任を、自ら設けた国内法を有利に用いて免れるということ自体不合理であり、卑近な例を挙げれば「3年子無きは去る」という家憲を民法770条の「婚姻を継続し難い重大な事由」として用いようとするに等しい。
7 いずれにせよ、これらの期間の起算点は、権利を行使することが客観的に事実上可能となった時からとすべきで、中国の国内事情、日本政府による事実の隠蔽、真相の発見時期、訴訟提起手段の獲得時期等を考えれば、原告らに責を帰すべきいわれは全くないのである。
8 アメリカ、カナダは、数十年前の日系人強制収容の罪を謝して被害者個人に賠償を果たし、ドイツも立法によって国と企業とが個人被害者への賠償金を支払った。これらの措置は立法による、よらないは別として、いずれも正義の実現という普遍的な国際認識に基づくものであり、また、国連機関その他国際団体からの度重なる日本に対する賠償勧告の繰返しも、過去の不法行為に対する責任を果たすべきことが、もはや世界の常識、国際慣習法化しているからにほかならず、これを避けようとする日本はまさに国際社会の異端児となっているのである。
9 正しい歴史認識を共有し、過ちを潔く認め、許しを乞い、償いを果たすという、ごく当たり前の人間らしい行為こそが求められているのであり、これを怠るかぎり、中国をはじめアジア民衆の国民感情は決して日本を許すことはない。折りにふれ、事あるごとに爆発する民衆の激情も、この問題と無縁ではない。真の友好関係の回復、恒久平和の構築への最も確実で最も容易な最善、最短の道は、日本政府がその当然の義務を果たすことである。
10 行政が義務を怠り、国会が立法を怠り、司法が三権分立論を逆用し、政治と立法に責任を転嫁して条理による判決を怠るのでは、正義はいつまでも実現できない。改めてここに、当審において正義を実現していただくことを強く期待する次第である。 以上
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