平成14年(ネ)第4815号
控訴人 程 秀芝ほか179名
被控訴人 国
準 備 書 面(1)
平成15年8月4日
東京高等裁判所第2民事部 御中
被控訴人指定代理人
宮 田 誠 司
石 川 さ お り
澁 谷 勝 海
高 橋 孝 信
原 克 好
中 泉 英 知
松 島 晋
目 次
第1 国家無答責の法理に関する控訴人らの主張について
1 控訴人らの主張の要旨
2 被控訴人の反論
(1) 国家無答責の法理が確立していないという控訴人らの主張について
ア 行政裁判法16条について
イ ボアソナード民法草案から国家責任規定を削除したことについて
ウ 小括
エ 控訴人らの主張に対する反論
(ア) 判例について
(イ) 学説について
(ウ) 立法者意思について
(2) 適法な公権力行使権限に基づかないことをいう点について
(3) 国家無答責の法理の人的・場所的限界をいう点について
(4) ヘーグ陸戦条約の国内法化による国家無答責の法理の排除をいう点について
(5) 現在の法解釈に基づき裁判すべきという点について
ア 行為時を基準とすべきことについて
イ 行為時を基準とすべきことについて
(6) 東京地裁3月判決について
ア 東京地裁3月判決の概要
イ 被控訴人の批判の概要
ウ 国家無答責の法理の根拠の理解が不十分であることについて
(ア) 東京地裁3月判決の判示
(イ) 国家無答責の法理について
エ 国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決と相反すること等
(ア) 東京地裁3月判決の概要
(イ) 明治憲法下における国家無答責の法理と民法解釈との関係について
オ 国賠法附則6項に違反すること
カ 最高裁昭和25年判決に反すること
キ 東京地裁3月判決の理由中における法例11条の適用を否定した理由と矛盾があること
ク 結論
第2 除斥期間の適用に関する控訴人らの主張について
1 民法724条後段の法的性格について
(1) 控訴人らの主張
(2) 被控訴人の反論
2 除斥期間の適用制限について
(1) 控訴人らの主張
(2) 被控訴人の反論
ア 最高裁平成10年判決について
イ 東京地方裁判所平成13年7月12日判決について
ウ 福岡地方裁判所平成14年4月26日判決について
3 小括
第3 条理に関する控訴人らの主張について
第4 法例11条により準拠法となるとする中国民法に基づく請求について
1 国際私法の適用可能性について
2 国際私法の法律関係の性質決定について
3 法例11条の適用の可能性についての小括
4 日本法の累積適用について
(1) 累積適用の内容について
(2) 日本法の適用について
(3) 行為時を基準とすべきことについて
第5 立法不作為に関する控訴人らの主張について
1 控訴人らの主張
2 被控訴人の反論
第6 行政不作為に関する控訴人らの主張について
1 控訴人らの主張の要旨
2 被控訴人の反論
(1) 控訴人らの主張するような法律上の作為義務を被控訴人が負わないことについて
(2) 内閣が控訴人らの主張する作為義務の主体となる根拠が明確にされていないことについて
3 小括
第7 隠べい行為を理由とする国家賠償請求について
第8 日中共同声明について
1 本主張の主旨
2 福岡地裁判決について
3 日中共同声明等に関する政府見解
4 戦後処理の枠組みをなすサン・フランシスコ平和条約について
(1) 第二次世界大戦後の賠償並びに財産及び請求権の問題の解決のあり方
(2) サン・フランシスコ平和条約による解決の基本的内容
ア サン・フランシスコ平和条約の基本的内容
イ サン・フランシスコ平和条約における日本の賠償責任
ウ サン・フランシスコ平和条約に基づき日本国がした賠償等
エ サン・フランシスコ平和条約締結の事情
オ 請求権放棄条項について
(3) サン・フランシスコ平和条約14条(b)の解釈
ア サン・フランシスコ平和条約14条(b)の法的効果
(ア) 連合国の請求権に対する効力
(イ) 連合国国民の請求権に対する効力
(ウ) 直接適用の有無
イ 米国政府の意見等について
ウ サン・フランシスコ平和条約14条(b)の表現について
5 その他の戦後処理について
(1) ビルマ連邦との関係について
(2) インドネシア共和国との関係について
(3) ラオス及びカンボディアとの関係について
(4) 旧ソヴィエト社会主義共和国連邦との関係について
(5) その他の諸国との関係について
6 我が国と中国との間の戦後処理
(1) サン・フランシスコ平和条約との関係について
(2) 日本と「中華民国」との間の処理について
(3) 日本と中華人民共和国との間の処理について
ア 日中共同声明署名に至る経緯について
イ 日中共同声明5項について
ウ 米国における裁判の推移等について
7 中国政府の見解について
8 結語
被控訴人は,本準備書面において,控訴人らの2003年(平成15年)4月21日付け第1準備書面(以下「控訴人ら第1準備書面」という。)における主張に対し,必要と認める範囲で反論する。
なお,略語例は,特に断らない限り,従前の例による。
第1 国家無答責の法理に関する控訴人らの主張について
1 控訴人らの主張の要旨
控訴人らは,民法709条ないし同法711条または民法715条に基づいて本訴請求が認められるべき旨主張し,本件においては,「国家無答責の法理」は適用されないとして,要旨次のとおり主張する(控訴人ら第1準備書面20ないし56ページ)。
(1) 国家無答責の法理が確立していないこと
国家無答責の法理について実定法上の根拠は存在せず,判例理論としても,当時の学説によっても,立法者意思によっても確立していなかった。
(2) 適法な公権力行使権限に基づかないこと
国家無答責の法理は,国家の行為が公務のための権力作用である場合に,当該公務を保護するためのものであって,当該行為が公務のための権力作用に当たらない場合には,国の行為についても民法上の不法行為責任が成立することを当然のこととしているものであるところ,本件の細菌戦は,適法な公権力行使権限に基づかないから,国家無答責の法理は適用されない。
(3) 国家無答責の法理の人的・場所的限界
国家無答責の法理は,国家の統治権に服しない者に対しては適用されない。
(4) ヘーグ陸戦条約の国内法化による国家無答責の法理の排除
ヘーグ陸戦条約は国際慣習法として成立し国内法化していたから,国内法はこれに適合するように解釈されなければならず,国家無答責の法理は適用されない。
(5) 現在の法解釈に基づき裁判すべきとの主張
国家無答責の法理は,手続法上の理由が根拠となっているにすぎず,行政裁判所が廃止され,訴訟が司法裁判所に一元化されている日本国憲法の下においては,国家無答責の法理を適用する根拠はなく,国家の貝剖賞責任については現時点での法解釈に基づくべきである。
2 被控訴人の反論
(1) 国家無答責の法理が確立していないという控訴人らの主張について控訴人らは,国家無答責の法理について実定法上の根拠は存在せず,判例理論としても,当時の学説によっても,立法者意思によっても確立した理論ではない旨主張する。
しかし,以下に述べるように,行政裁判法及び旧民法は,国家無答責の法理に基づいて制定されたものであり,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策が確立したものである(塩野宏・行政法U(第二版)222,223ページ,宇賀克也・国家責任法の分析409ないし411ページ)から,控訴人らの主張は失当である。
ア 行政裁判法16条について
(ア) 明治憲法は,行政裁判制度に関し,「行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス」と規定し(61条),行政裁判を司法裁判より分離し,行政訴訟を審理するために別に行政裁判所を設けること及びその構成は法律をもって定むべきものとの原則を掲げた。
ところで,行政裁判法16条は「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定しているが,この行政裁判法案を作成するに当たり,先決的に解決すべき問題として,いかなる問題が検討され,かつ解決されたかについては,伊藤博文が編纂した「官制関係資料」所収の「行政裁判所設置ノ問題」と題する資料(乙第26号証)にそれを見ることができる(行政裁判所・行政裁判所五十年史・乙第27号証26ないし29ページ,和田英夫・行政裁判(法体制確立期)日本近代法発達史3巻111ページ)。
それによると,「行政裁判所ヲ設クルニハ左ノ類項ノ問題ヲ決定スルヲ要ス。」として,行政裁判所を設置する際に検討すべき問題点を列挙しているが,第3項の「要償ノ訴ハー般ニ民事裁判ニ譲ルベキカ,又ハ或ル部分ニ限リ行政裁判ニ於テ處分スベキヤ。」という問題点について,次のような結論を示している。
すなわち,「君主ハ不善ヲ爲スコト能ハズ。故ニ政府ノ主權ニ依レル處置ハ要償ノ責ニ任ゼントハ一般ニ憲法學ノ是認スル所ナレバ,人民ハ一個人トシテ官吏ノ故造處置ヲ訴へ,民事裁判所ニ要償スルヲ除ク外,行政廰ヲ相手取リ要償ノ訴ヲ爲スノ權アルコトナシ。但シ法律ニ依リ政府ハ賠償ノ責ニ任ズベキコトヲ明言シタル條件(徴發令ノ如シ)ニ於テハ,行政裁判所ハ要償ノ訴ヲ受理スルコトヲ得ベシ。又行政裁判所ニ於テ取消ス所ノ行政處分ニ依リ,直接ニ生ズベキ損害ノ賠償ハ行政廰ニ於テ之ヲ虜分スベキモノトス。(但シ収用令ニ賠償ノ訴ヲ司法裁判所ノ權限ニ属シタルガ如キ明文アル者ハ此ノ限ニ在ラズ)」としている。(乙第26号証367,370ページ)
これによれば,行政裁判法の制定過程において,政府の主権に基づく処置すなわち公権力の行使に該当する措置によって生じた損害については,憲法学上当時一般に是認されていた国家無答責の法理により,個人は,原則として行政裁判所に対して損害賠償の訴えを提起できないとしたのである。
(イ) また、行政裁判法案の原案を作成したモッセは,国の不法行為責任を否定し,司法裁判所のみならず,行政裁判所においても。国家責任を問い得ないとしていた。
すなわち,モッセは,「国ノ民法上損害賠償義務ニ関スル意見」と題する答議において,国が民事上の活動を行う場合には,国は民法に従つて責任を負い,民事裁判所に損害賠償請求訴訟を提起することができるとする(郵便,電信,鉄道等に関し,特別の責任規定があれば,それは民法に優先して適用される)が,官吏が国権を執行するに際し,義務違反の処置若しくは怠慢により第三者に加えた損害に対し財産上責任を負わないと述べている。したがって,モッセは,公権力主体としての国家と私経済主体としての国家を区別し,前者については無答責,後者については私人と同様の責任を負うという解釈を採つていたのである(宇賀克也・国家責任法の分析409ページ,419,420ページ,乙第28号証,474ないし477ページ・「モッセ氏國ノ民法上損害賠償義務ニ開スル意見」)。
(ウ) 以上のように,行政裁判法16条は,国家無答責の法理を当然の前提として,行政裁判所の損害賠償請求事件に係る事物管轄の範囲を定めたものといえる。
(エ) また,国家無答責の法理は,明治23年に制定された裁判所構成法の制定の際にも貫徹されている。
すなわち,裁判所構成法は,明治20年5月にルドルフが中心となって草案を起草し,法律取調委員会で検討修正して,明治23年に法律とされたものであるが,その法律取調委員会案(帝国司法裁判所構成法草案)の33条で,「地方裁判所ハ民事訴訟ニ於テ左ノ事項ニ付裁判権ヲ有ス」として,「第一 第一審トシテ(イ)金額若クハ価額ニ拘ラス政府(中央政府ト其配下ノ官庁トヲ問ハス)ヨリ為シ又ハ之ニ対シテ為ス総テノ請求 (ロ)金額若クハ価額ニ拘ハラス官吏ニ対シテ為ス総テノ請求但其請求公務ヨリ起リタル時ニ限ル (ハ)其他区裁判所若クハ特別裁判所ニ専屬スルモノヲ除キ総テノ請求」とされていた(下山瑛二・人権と行政救済法68ページ)。
ところが,井上毅が意見書を提出し,上記のうち,国家責任に関する訴訟を受理する明文の規定が草案から削除されることとなつた(田上穣治編・体系憲法事典365ページ以下)。
この井上毅の意見書(裁判構成法案意見・井上毅偉史料篇第一614ページ・乙第29号証)には,次のような意見が示されている。 すなわち,「第一 國ニ對スル訴訟ノ事 ブラクストン氏王權篇云ハク王ニ對スル訴訟ハ民事ト雖モ之レヲナスコト能ハス蓋シ何ノ法院モ國王ヲ裁判スルノ法權ナケレハナリト故ニ英國ニ於テ君主及ヒ政府ニ對スルノ訴訟ハ唯々請願ニ由リテ恩恵ノ許可ヲ得タル後始メテ裁判ヲ受クルコトヲ得 普國千八百三十一年十二月四日ノ閣令云ハク君主ノ資格ニ於テ臣民トノ問ニ裁決ヲ要スルノ權利ノ争ヲ生スルノ理ナク又之レヲ裁決スルノ權限アル裁判所ハ全國ニ一モ存スルコトナシト 政府ニ對スル訴訟ハ獨逸ニ於テ國權ト區別シタル財産上ノ訴ヲ許シタルノミニシテ單純二国ニ對スル訴訟トシテ之レヲ許シタル「ノ」國アルコトナシ今本案二国ニ對スル訴訟ヲ以テ裁判所ノ權内ニ皈シタルハ其ノ當ヲ得ザルノミナラズ専ラ居留外國人ノ日本政府ニ對スル訴訟ノ爲ニ地ヲ爲ス者ナリ」,「第三 官吏ノ公務ニ對シテハ要償スルコトヲ得ス何トナレハ其ノ公務ハ國權ノ一部ニシテ國權ハ民法上ノ責任ナキ者ナレハナリ官吏ニ對スルノ要償ハ其ノ官吏ノ私事トシテ訴フル者ニ限ルヘシ第三十二條(ハ)ノ場合ハ國法ノ大則ニ背ク事」(引用者注・上記第三十二條とは,帝国司法裁判所構成法草案33条に相当する。)とした。 これによれば,井上毅は,国家無答責の法理を根拠に,国家賠償請求訴訟を司法裁判所に提起できないとしたのであり,この井上の意見が客観的に通つた形で裁判所構成法が制定されたのである(下山・前掲人権と行政救済法68ないし69ページ。同旨東京高裁平成14年3月28日判決・乙第30号証)。
(オ) 以上述べたように,行政裁判法及び裁判所構成法は,国家無答責の法理を根拠として,行政裁判所及び司法裁判所は,いずれも国家賠償請求訴訟を受理しないものとした。このように,国に対する賠償請求は,基本的には,行政裁判所のみならず,司法裁判所においても否定する考えであったのであり,その基本的な法構造は,権力的作用に関する限り,以後,日本国憲法に至る約半世紀余の間継続したものといえる(下山・前掲人権と行政救済法69ページ)。
イ ボアソナード民法草案から国家責任規定を削除したことについて
(ア) 上記のように,行政裁判法及び裁判所構成法の立法者意思は,国家無答責の法理を根拠として,行政裁判所及び司法裁判所は,いずれも国家賠償請求訴訟を受理しないとしていたのであるから,実体法である民法において,国の権力的作用について賠償責任を認める条文を規定することは矛盾である。したがって,ボアソナード民法草案373条から国家賠償責任を認める文言を削除したのは,国家無答責の法理が採用されていたためであることは明らかである。
(イ) この点,法務大臣官房司法法制調査部監修・日本近代立法資料叢書10民法編纂ニ闘スル諾意見並雜書398及び399ページ(乙第31号証)の記述によれば,旧民法373条の審議の過程において,同条に「公ノ事務所ノ責任」を規定した理由につき,起草者(ボアソナード)は,「主人カ其被雇者ノ所爲ニ付キ責ニ任スルト同ク國家府縣町村モ亦民法ノ規定ニ從ヒ同様ノ責ニ任ス可シ此説ニ付テハ佛國其他ノ諸国ニ於テモ未タ嘗ノ異論ヲ爲ササル所ナリ日本ニ於テモ亦必ス同カラン故二国家ハ郵便,電信,鐵道運送ノ如キ賃ヲ取テ事ヲ行フ場合ニ於テ其使用スル者ノ犯罪又ハ準犯罪ニ付キ民事上責ニ任スヘキノミナラス官ノ水夫又ハ發射ヲ爲ス兵卒又ハ信書ヲ送達スル騎卒ノ過失ヨリ生スル損害及ヒ行政官吏ノ職權濫用ニ因ル損害ニ付テモ亦同シフ其責ニ任ス可シト」と説明した。すなわち,ボアソナードは,国又は公共団体の権力的作用にも民法を適用すべきことはフランスその他の諸国においても異論のないところであるから,日本においても同様とすべきであるとしたのである。 そして,ボアソナードのこの提案を受けて,今村報告委員は,法律に責任を免除する規定を置く以外は,国又は公共団体は賠償責任を負うべしとの修正案の意見を示し,さらに井上報告委員も,「國家ト人民トヲ區別シ人民ハ雇人ノ過失ヨリ生シタル損害ノ責任ヲ有スルモ國家ハ之ニ反シ官吏ノ非行ヨリ生シタル損害ノ責ニ任セストノ法理ハ之レヲ發見スヘカラサル」との意見を示して,373条の文言をそのままにして,「特ニ其責任ヲ免除スル場合ハ此限ニ在ラス」との但書を加えるべきであると提案したものとされている。
ここで明らかなように,ボアソナード民法草案の審議過程では,民法二国家賠償責任を認める条文を規定する根拠として,国又は公共団体の権力的作用にも民法を適用すべきことがフランスその他の諸国においても異論のないところであるとの認識を前提としている。
(ウ) しかし,当時の法制局長官であつた井上毅(井上毅の法制局長官在任期間は,明治21年2月より同24年5月までである。)は,今村和郎及び司法大臣山田顕義に対して,ボアソナードの見解が誤りであることを指摘している。
まず,井上毅は,明治22年6月22日に,今村和郎に宛てた書簡で,次のとおり述べている。
「昨日,貴下ノ寄贈ヲ添クシタル決議取消ノ要求書ハ、獨行政裁判ノ争ナルノミナラズ,即民法三百七十三條ニ就テノ未来ノ大問題ナルベシ,(因ニ問,民法三百七十三條ニ公私ノ事務所トアルハ文意明瞭ナラサレモ,仍ボ氏原案三百九十三條ニ謂ヘルアドミニストラシヨンノ意ナルカ乞示)抑民三百七十三條ハ,佛民法千三百八十四條ニ基クモノナルヘシト雖,佛千三百八十四條ハ,斯クマテニ明言セズ,故ニ學者ノ説ハ之ヲ國家ニマテ適用スルノ傾向アル,誠ニ貴下ノ明教ノ如シト雖,權限裁判所ノ判決ハ,全ク反對ノ主義ニ出,國家ハ『官吏ノ處置ニ付テ全.ク其ノ責ニ任セズ』トノ元則ヲ取リタルハ,貴下ノ素ヨリ熟知セル所ナリ,英國及米國ニテハ,公法上官吏ノ使用ハ,民法ノ代理ト全ク其ノ原由ヲ同クセズトノ主義ヲ取リタルハ,是亦佛前ノ説法ヲ煩ハサズ,(米人ストリー氏代理法三百十九節)獨乙ニテハ賣買貸借ノ類,純然ノ民法事件ニ就テハ國家ハ國庫ノ性質(即權利義務ヲ有スル」個法人)トシテ,民法上ノ賠償責任アルコトニ就テハ,各派ノ學者問異議ナシト雖,國權ヲ執行スル官吏ノ處置及怠慢ニ付テハ,甲ノ學者」ハ(スタイン,ザルウエー,ロスレル氏)何等ノ場合モ,民法上ノ責任ナシト謂ヒ,乙ノ學者ハ(ゲルベル,マイエル,つヨーフル氏等)或場合ニ於テ責任賠償スヘシト謂フ,而シテ實際ノ裁判例ニ於テハ,特別ノ法律ノ正文ニ明記シタル場合ヲ除ク外,判然二国家ノ民事賠償ヲ認メズ,夫レ各國ノ國法論ニ於テ如此異同アリテ未タ歸一ノ中點ヲ得ザルニ拘ラズ,我民法草案ハ大胆ニモ國家ヲ一網ノ下ニ打盡シテ民法ノ範園内ニ入レント試ミタルハ,小生ハ慨嘆ニ堪ヘサル所ナリ,此件ハ,猶再議ノ機會ヲ待ツヘシト雖,前陳ノ理由ニ因リ,小生ハ前ノ決議ヲ無効トスルノ要求ニ應スルコト能ハサルノ遺憾ヲ抱クノミナラス,且,民法上ノ問題ニ閾シ,全ク貴下ト反對ノ位地ニ立ツノ不幸ヲ得タルコトヲ痛嘆セズンハアラズ,頓首,」(井上毅傳史料篇第四・乙第32号証323及び324ページ)。
この書簡で,井上毅は,諸外国においては,国権を執行する官吏の処置及び怠慢については,学者の説は諸説があるが,実際の裁判例は,原則として,国の賠償責任を認めていないと指摘する。その上で,井上毅は,そうであるにもかかわらず,ボアソナード民法草案では,大胆にも常二国家は賠償責任を負うと規定していることは慨嘆に堪えないとし,かかる「未来ノ大問題」を「再議ノ機會」をとらえて検討するとしている。
(エ) さらに,井上毅は,かかるボアソナード民法草案に対する懸念を当時の司法大臣山田顕義に対しても述べている。
井上は,明治22年6月29日に,司法大臣山田顕義に宛てた書簡で,山田に,「民法三百九十三條ニ付而者,異議ハ別冊モスセ氏意見ニ相見候,此事将来國法上ニ關係シ,一大問題と相成可申候,且條約改正之上ハ,外國人民と政府との争議之論據と相成ル事ニ候ヘハ,更ニ御取しらへ相成度翼望奉存候,猶佛國ニおいてすら判決例ハボアソナド氏之説と矛盾いたし居候,譯文其他之反對之證憑追々ニ可奉呈覧候,頓首,」と述べている(乙第32号証639ページ)。
すなわち,井上は,ボアソナード草案が国家の賠償責任を認めた点について,将来国法上の一大問題となり,条約改正により,外国人と日本政府の問の争いの論拠となると懸念し,さらにボアソナードの見解は,フランスにおける裁判例とも矛盾すると批判し,モッセ意見書の訳文ほかボアソナードの見解に反対する証拠を山田司法大臣に奉呈すると述べている。
そして,井上は,明治22年8月12日に,伊藤博文に宛てた書簡で,伊藤に,「別紙民法草案政府賠償責任之條ニ對する意見書,司法大臣へさし出候間,奉供電覧候,」(乙第32号証156ぺージ)と述べ,国家の賠償責任に関する意見書を山田司法大臣に提出したという報告をしている。
(オ) このように,旧民法の審議過程で,様々な意見が表明されたが,最終的に,国家責任に民法原則を適用する主張は,最後の段階で敗退し,旧民法373条から国家責任の規定は削除されたのである(近藤昭三「ボアソナードと行政上の不法行為責任」法政研究第42巻第2=3合併号341ないし353ページ参照)。
井上毅は,その理由を,旧民法公布の翌年に発表した「民法初稿第三百七十三條ニ對スル意見」(国家学会雑誌4巻51号969ページ以下,乙第33号証)と題する論文において明らかにしている。
この論文において,井上は,冒頭で,「行政權ハ國家生存ノ原カヲ施行スルモノナリ故ニ其原カヲ實行スルニ當リ假令一私人ノ權利ヲ毀損シ利益ヲ侵害スルコトアルモ權利裁判若クハ訴願ニ依リ之ヲ更正スルニ止リ國家ハ其損害賠償ノ責ニ任スルモノニ非ス」と述べ,国の権力的作用については国は損害賠償責任を負わない旨明確に述べている。
すなわち,井上は,民法草案初稿373条とボアソナードの見解を紹介した上で,「今之ヲ各國ノ學説ニ考フルニ民法起草者ノ説ク所ト大ニ異ナルモノアリ其ノ證左ノ如シ」として,フランス,ベルギー,ドイツ及びイギリス等の各国の法制度及び学説を紹介して,ボアソナードの理解は正確ではないとし,「以上ノ例證ト學説トニ徴スレハ歐米諸國ニ於テ行政權ノ原カヲ執行センカ爲メ職權アル官吏ノ實行シタル事件ニ付テハ設令一個人ノ權利ヲ毀損シ若クハ利益ヲ侵害スルコトアルモ國ハ其ノ慮分ヲ更正スルニ止リ損害賠償ノ責ニ任セス唯賣買,賃貸ノ如キ私權上ノ行爲ニ屬スルトキ若クハ鐵道,郵便,電信ノ如キ特ニ條例ヲ以テ損害ヲ擔保シタル場合ニ非サレハ其責ニ任スルコトナシ」と述べて,欧米諸国は,行政権の執行と私権上の行為とを厳密に区別して,国は,前者については損害賠償責任を負わず,後者については損害賠償責任を負うものとしているとする。
その上で,井上は,「職權アル官吏カ行政權ノ原カヲ執行センカ爲メ施行シタル事件ニシテ人民ノ構利ヲ毀損シ若クハ利益ヲ侵害シタルトキ私權上ノ所爲ト等シク民法上ノ原則ヲ適用シテ政府其ノ損害賠償ノ責ニ任スヘシトセハ社会ノ活動ニ從ヒ公共ノ安寧ヲ保持シ人民ノ幸福ヲ増進センカ爲メ便宜經理ヲ爲サ々ル可カラサル行政機開ハ爲ニ其ノ運轉ヲ障擬セラレ危険ナル効果ヲ呈出スルニ至ラン」とし,それ故に「現行民法ニハ此ノ條ナシ」として,国家無答責の法理を採用すべきことを根拠に,国家責任を認めていたボアソナード民法草案の規定を削除したものであると明確に述べている。(乙第33号'証970,974,975ページ)
(カ)このように旧民法制定過程において,様々な意見が表明されたが,最終的には,国家責任に民法を適用するとの主張は排斥され,同草案373条に規定されていた国家責任規定が削除されたのである。
ウ 小括
以上から明らかなように,我が国の明治政府は,幕末に締結した不平等条約の改正を国家日標として,ボアソナードなど外国の様々な法律学者の意見を参考にしながら,近代国家としての法制度の整備を進めていた。
そして,その一環として,行政裁判法及び民法の制定を図つたが,近代法治国家として経験を有していない我が国としては,他国の法制度を参照しながら,法律の整備を図らざるを得なかった。
国家賠償責任の問題についても,当初,ボアソナードの意見に基づき,国家賠償責任を認める規定を民法の規定に置こうとしたが,ボアソナードの意見は,その前提としての比較法の事実認識に誤認があり,国家賠償責任に関する諸外国の法制度は,「君主ハ不善ヲ爲スコト能ハズ。」(乙第26号証370ページ)を理念として,国家賠償責任を否定したものであつたこと,また,仮に,ボアソナードの意見のとおり,国家賠償責任の問題を「大胆ニモ國家ヲ一網ノ下ニ打盡シテ民法ノ範團内ニ入レ」(井上毅の今村和郎宛書簡・乙第32号証323ページ)れば,「此事将来國法上ニ關係シ,一大問題ト相成可申候,且條約改正之上ハ,外國人民ト政府トノ争議之論據ト相成ル事」(井上毅の山田顕義司法大臣宛書簡・乙第32号証639ページ)を懸念し,結局,国家無答責の法理を採用し,ボアソナード民法草案から国家賠償責任の規定を削除したのであり,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用についての国家無答責の法理を採用するという基本的法政策が確立したものである(塩野宏・行政法U(第二版)222,223ページ,宇賀克也・国家責任法の分析409ないし411ページ)。
エ 控訴人らの主張に対する反論
(ア) 判例について
a 控訴人らは,明治憲法下の判例は,様々な分野で国及び公共団体の損害賠償責任を拡大してきたのであり,「公権力の行使(権力的作用)による損害については一貫して国の賠償責任を否定していた」とは全くいえない。むしろ,権力的作用も含め,国家無答責の適用の基準も曖昧であるから,判例上,国家無答責の法理が確立されていたとはいえないなどと主張する(控訴人ら第1準備書面21ないし27ページ)。
b しかしながら,控訴人らの上記主張は失当である。
すなわち,公務員が職務に関してなした不法行為は,大きく分類すれば,権力的作用についてなされた場合と,それ以外の作用についてなされた場合とに分かれる。後者には,@非権力的・非強制的な公行政の作用(例えば,国・公立学校における教育活動の作用や生活保護などのいわゆる給付行政の分野における作用など),A公の営造物の設置・管理の作用,B工事の施行(国の道路建設など)や事業の経営(鉄道・バス・水道・電気・ガスなどの事業の経営)の作用,C純然たる私経済的作用(たとえば官庁事務用品の購入・官庁建物の賃借など)などが含まれる。
このうち判例は,(1)権力的作用の場合については,一貫して,法律に特別の規定がない限り民法の不法行為法の適用がない(民法は対等な私人間の法律関係に関する法であり,国と私人との権力的関係に本来適用されるものではない)ものとして,国の賠償責任を否定していた。また,(2)それ以外のものについても,前記Cの場合は別として,古くは@ABの作用も,国の賠償責任を否定していたが,大正5年6月1日のいわゆる徳島市立小学校遊動円木事件の大審院判決が公立学校の施設の瑕疵による損害について,小学校の管理は行政の発動であるが,その管理権に包含する小学校校舎の施設に対する占有権は公法上の権力関係に属するものではなく,「全.ク私人カ占有スルト同様ノ地位ニ於テ其占有ヲ為モノ」と判示して,民法717条の適用を認めて以来,民法717条,715条を適用して国の賠償責任を肯定する方向をたどつたのである(佐藤功・憲法(上)〔新版〕274,275ページ)。
このように,権力的作用については,民法の不法行為法の適用がないという国家無答責の法理は,判例上も当然の前提とされていたものである。
C 前記のとおり,行政裁判法及び裁判所構成法は,公務員が職務に関してした不法行為につき国は賠償責任を負わないという基本的法政策に基づいて制定された法律であり,また,旧民法において,国家賠償責任に関する規定が削除されたのも,同様の理由によることは明らかである。
したがって,これらの立法がされた明治23年の時点では,国の権力的作用にも非権力的作用にも民法の不法行為規定の適用はなく,一般的二国の賠償責任を認める実体法上の規定はなかったのである。
そうすると,大審院時代の判例は,当初は,立法者意思に従い,私経済活動を除く行政作用,すなわち権力的公行政及び非権力的公行政のすべての領域について,国家賠償責任を否定していたのを,大正・昭和に至つて、非権力公行政の領域について,民法の不法行為規定の適用範囲を拡大することにより,国の責任を肯定したということになる。つまり,私経済活動を除く国家の作用のうち,大正・昭和期に,非権力的公行政の分野について,民法の不法行為規定を拡大して適用し賠償責任を認めるという判例法理が形成されてきたのであり,いうなれば「非権力的公行政有責任原則」が判例法理ないし裁判例の所産として形成されたというべきである。前記徳島市立小学校遊動円木事件の大審院判決も,「権力作用=無答責,私経済作用=民法上の責任という基本的な枠組みを変更したわけではなく,私経済作用の外延を拡大したことどまる。」(宇賀・前掲国家責任法の分析418ページ)のである。
要するに,権力的作用について国が賠償責任を負わないことは,裁判例をまつまでもなく確立されており,裁判例により形成された法理ではなく,むしろ,それまで国が賠償責任を負わないとされていた非権力的公行政について,大審院判例によって国が賠償責任を負うとされ,いうなれば「非権力的公行政有責任原則」が判例法理として形成されたとでもいうべきである。
したがって,国家無答責の法理が判例理論として確立されていないとして,同法理を否定する控訴人らの主張は,前提において失当である。
d なお,控訴人らは,大審院時代の裁判例に関し,「大正末から昭和の初め,軍施設,学校等に関する賠償または賠償責任等を認めた」として,「軍施設,学校等に関する行為は,当時は公権力の行使(権力的作用)といえるものであり,公権力の行使(権力的作用)による損害についても,民法を適用して損害賠償責任を認めるようになつた」(控訴人ら第1準備書面23,24ページ)などと主張する。
しかし,控訴人らの引用する広島地方裁判所呉支部大正13年6月5日判決(法律新聞第2282号5290ページ)は,軍艦の転覆復旧工事において職工が転落死した事案について,「官吏カ其ノ職務執行ニ因リ他人ニ損害ヲ加ヘタル場合ニ於テハ法ニ特別ノ規定ノ存セサル限リ之カ賠償ノ責任ナシ」とした上で,「國家ノ軍事行政ノ行動ハ權力關係ニ属スト雖モ國家カ其ノ工事に關シ公ノ機關ヲ任設シ之ニ工事ノ施工ヲ命シ又ハ工事施工ニ付私人ニ對シ或ル制限ヲ爲スカ如キ行爲ト職工人夫ヲ雇入レ之ヲ使用シテ工事ヲ施工スル行爲及工事ニ必要ナル諸種ノ材料ヲ購入スルカ如キ行爲トハ全然區別シテ考ヘサルヘカラス即チ前者ハ軍艦ノ顛覆復舊工事遂行ノ爲メ公ノ権力ニ服從セシムルモノナレハ公法的行爲ニ屬スレトモ後者ハ私人ト對等ノ關係ニ於テ爲スモノナレハ私法的行爲ニ屬スルモノト云ハサルヘカラス」として,国が職工等の私人を使用して工事を行う場合は,その行為の性質上私法的行為であるから賠償責任があるとしたものである。
また,控訴人らの引用する関東庁高等法院上告部昭和7年7月20日判決(法律新聞第3539号8675ページ)は,南満州鐵道株式会杜(判決理由中の「上告會杜」)附属地の小学校においてスケート指導中の事故につき,「南満州鐵道附属地ニ於ケル在外指定小學校ノ教育事業ハ」,「帝國内地ニ於ケルカ如ク國家ノ所謂義務教育ヲ施スヘキ國家ノ事業ヲ小學校令市町村制ノ規定ニ依リ市町村ノ經費負據ニ於テ施行スルモノト異リ外務,文部,大蔵ノ三大臣ノ命令書ニ基キ上告會杜カ」切ノ施設ヲ爲シ自ラ定メタル規程ニ依リ直接ノ監督ヲ爲シ其ノ費用ヲ以テ自己ノ事業トシテ經営スルモノニシテ特ニ該事業ヲ以テ國ノ事業ナリト解スヘキ法規ノ存スルモノナケレハナリ」として,当該小学校の教育事業は,国の教育事業ではなく南満州鐵道株式会杜の事業である旨判示し,同株式会杜に賠償責任を認めたものである。
さらに,控訴人らは,大審院昭和7年8月10日判決(法律新聞第3453号10983ページ)が「國家カ土地ヲ所有シ其ノ公物ノ設置者若シクハ保存ニ瑕疵アルカ爲メ第三者ノ右利用權ヲ侵害シタル場合ナルト又ハ違法ナル行政作用ニ因リ第三者ノ權利ヲ侵害シタル場合ナルトニヨリ異ル所ナシ蓋シ不法行爲ノ責任ハ其ノ行爲者ノ何人ナルヤニヨリ之レヲ區別セサルヲ以テナリ」と判示した点を取り上げて,「これは,不法行為者が国家であろうが私人であろうが区別されないとして,民法の不法行為責任を認め妨害排除請求処分を認容したものであ」り,「公権力の行使(権力的作用)による損害についても,民法を適用して損害賠償責任を認めるようになつた」とする(控訴人ら第1準備書面24ページ)。
しかし,この判決は,国の施した井戸堀工事のため,他人の有する温泉利用権を侵害してなおその状態が存続するときに,温泉利用権者が国に対しその除去を請求した事案(妨害排除請求事案)であって、上記部分は傍論である上,そもそも井戸堀工事が国の権力的作用に当たらないことからすると,上記「行政作用」とは井戸堀工事という非権力的作用をいうものと解され,したがって,同判決が,国の権力的作用について,民法の不法行為責任を認めたものとはいえない。
田中二郎博士も,この判決について,「其の文字の上では,一見,上の諸判例(引用者注・権力的作用であることを理由として国家の不法行為責任を否定した事例)と異り,權力的作用に付ても國家の責任を肯定するかのやうに見えるけれども,それは恐らく判決の本意ではあるまい。若し文字通りに解せねばならぬとしても,元來之は不法行爲に基く損害賠償を求めた事件でなく,之だけで判例が從來の態度を改めたと解するのが正當でないことは勿論である。」とされている(田中二郎・行政上の損害賠償及び損失補償41ページ)。
以上から明らかなように,「大正末から昭和の初め,軍施設,学校等に関する賠償または賠償責任等を認め」,「公権力の行使(権力的作用)による損害についても,民法を適用して損害賠償責任を認めるようになつた」(控訴人ら第1準備書面23,24ページ)との控訴人らの主張は,失当である。
e また,控訴人らは,大審院判例に関し,「昭和10年代になると,財政権の公権力行使である出納事務に関する賠償責任を認める判決が出てくる。」(控訴人ら第1準備書面24ページ)などと主張し,国の権力的作用について賠償責任を認めた判例があるかのような主張をしている。
しかし,控訴人らの引用する大審院昭和11年4月15日判決(法律新聞第3979号14882ページ)は,水利組合の収入役が,同組合の代表者である村長名義を冒用して組合の借入金として他人から金員を受領し損害を加えた事案であり,また,大審院昭和15年2月27日判決(民集19巻6号441ページ)は,町長が金員の借入決議を経ずに借入れを行い,他人に損害を加えた事案であって,いずれも民法44条により賠償責任が認められたものである。このような金員の借入れ行為が,国の権力的作用でないことは明らかであり,控訴人の主張は失当である。
なお,民法44条が,公法人に適用になるかという点も問題であるが,上記大審院昭和15年2月27日判決は,「右法條ハ私法人ニ閾スルモノナルカ故ニ公法人ニ當然適用セラルルモノニ非サルハ勿論ナレトモ本件ノ如キ場合ニ之ヲ類推適用スヘキコト町収入役ノ不法行為ニ關シ繰返シ當院ノ判例トスル所ナリ」としている。
f さらに,控訴人らは,大審院昭和15年1月16日判決(大審院民事判例集19巻20ページ),大審院昭和16年2月27日判決(大審院民事判例集20巻118ページ)などを引用し,「このように,徴税滞納処分という権力的作用についても,第二審裁判所→大審院→差戻後第二審裁判所→大審院と,公法人の損害賠償責任を認め,また否定するなど,判例の姿勢は,「一貫して国の賠償責任を否定」しているとは到底言えない。」などと主張する(控訴人ら第1準備書面25ないし27ページ)。
しかし,上記大審院昭和15年1月16日判決は,「公務員個人」の賠償責任について,「滞納處分ナレトモ實ハ職權ノ濫用ニシテ寧口職權行爲ニ非サルモノト謂フヘク從テ不法行爲上ノ責任ヲ免レサルモノトス」として,これを認めたものであり,国や公法人の責任について判示したものではなく,また,上記大審院昭和16年2月27日判決は,「凡ソ國家又ハ公共團體ノ行動ノ中統治權ニ基ク權力的行動につきテハ私法タル民法ノ規定ヲ適用スベキニアラザルハ言ヲ俟タザルトコロナルヲ以テ,官吏又ハ官吏ガ國家又ハ公共團體ノ機關トシテ職務ヲ執行スルニ當リ不法ニ私人ノ權利ヲ侵害シ之ニ損害ヲ蒙ラシメタル場合ニ於テ,ソノ職務行爲ガ統治權ニ基ク權力行動に屬スルモノナルトキハ,國家又ハ公共團體トシテハ被害者ニ對シ民法不法行爲上ノ責任ヲ負フコトナキモノト解セザルベカラズ。」と判示して,国や公法人の賠償責任を否定しており,控訴人らの前記主張は失当である。
(イ) 学説について
a 控訴人らは,国家無答責の法理を批判した渡邊宗太郎教授の「日本行政法上」及び三宅正男教授の「判例民事法(昭和16年度)」の判例評論の各記述を引用して,「学問,思想に対する弾圧が最も激しかつた時期に,実社会における市民感情(法的正義の実現)や具体的衡平性,損害の社会経済的衡平分担などの視点をも十分踏まえて発表されたことを考慮に入れると,上記の田中二郎,渡邊宗太郎,三宅正男の各学説は,学界の通説になっていたと思料され」,「こうした学説の存在をみれば,国家無答責の法理は確立されていないことは明らかである」と主張する(控訴人ら第1準備書面32ページ)。
b しかし,美濃部達吉博士,佐々木惣一博士及び田中二郎博士という我が国の代表的な公法学者は揃って,明治憲法下では,国家の権力的作用について,国家の損害賠償責任が否定されるとしている。
控訴人らは,美濃部達吉博士の見解を引用しているが,控訴人らが同博士の見解として引用している部分は,「国家又は公法人の事業」の施行に関して他人に損害を加えた場合についてのものであり,他方において,同博士は,国の統治権の作用に関して,「國家は一面に於いて統治團體であり,而して統治權の作用は私人の行爲とは'性質を異にし民法の規定の適用を受くるものではないから,統治構の作用に付いては,假令それに依り違法に他人の權利を侵害することが有つても,それは民法の意義に於いての不法行爲に該當するものではなく,國家はそれに付き損害賠償の責に任ずるものではない。啻に行政行爲や裁判判決のやうな公法的行爲が公定力を以つて人民を拘束するばかりではなく,事實上の行動に付いても,それが統治權に基づく強制權の作用である限り,時として官吏が個人として賠償責任を負ふことは有つても,國家自身は民法の適用を受くるものではなく,隨つて國家に對して損害賠償を請求し得べきものではない。」(美濃部達吉・日本行政法上巻(オンデマンド版)350ページ)とされているのである。
また,佐々木惣一博士も,「官吏ノ行為カ公法ノ適用ヲ受クヘキ國家ノ行動トシテ爲サレタル場合ニハ,國家ト第三者トノ關係ハ公法關係ナリ。故ニ右ノ場合ニ官吏カ第三者ニ損害ヲ加ヘタルトキニ於テモ亦國家ト第三者トノ關係ハ公法關係ナリ。從テ此ノ場合ニ於ケル國家ノ賠償義務ノ問題ハ全ク公法上ノ法理ニ依ル。民法ノ規定ニ依ルコトヲ得ス。是レ右ノ場合ニ於ケル官吏其ノ人ノ賠償ノ問題カ公法上ノ法理ニ依ルト同」理ニシテ,共ニ公法上ノ賠償義務タルモノナリ。右ノ場合ニ於ケル國家ノ賠償義務ニ就テハ一般的ニ之ヲ認メタル規定ナク,且實定法ナクシテ當然ニ之ヲ認ムルヲ得ルモノニ非ス。故ニ原則トシテ國家ノ賠償義務ナシト云ウノ外ナシ。」(佐々木惣一・日本行政法論総論810,811ページ)とされている。
さらに,田中二郎教授も,控訴人らの引用する立法論としての見解はともかく,実体法的には,「元來國家の不法行爲責任の問題が歐大陸諸國並に其の法系統に屬する諸國に於て特に問題とせられる所以は,先にも述べたやうに,これ等の諸國に於ては,公權力の發動たる國家作用に付ては,原則として一般私法規定の適用が否定せられ,國家の不法行爲責任に付ても,所謂國家主權理論の影響の下に,國家公權の發動に對しては何等の責任を負ふべきでないと考へられたことに基く。此の権力的作用に付ての國家無責任の原則は箪なる政治的主張としてでなく,實定法上の原則として承認せられた。」,「權力的作用とは國家が個人に對して命令し服從を強制する作用であり,原則として私法原理の適用を排斥する本來的な公法關係と認むべきものである。此の権力的作用によって違法に他人の權利を侵害することがあつたとしても一特別の規定のない限り一國家としては一々責任を問はるべきでないと解する外はない。此の限度に於て國家の特殊の地位が承認せられる。」(田中・前掲行政上の損害賠償及び損失補償30ないし32ページ)とし,また,「従来は,警察権・統制権・司法権・財政権その他公権力の行使として,・・・国又は公共団体の賠償責任に関する一般的な根拠規定はなく,しかも,公権力の行使たる作用は,対等者間の利害調整の見地から定められた民法の不法行為に関する規定の親しまない特殊の領域であると考えられたからである。ただ,何がそこでいう公権力の行使たる作用(権力的作用又は行政行為)であるかについては,学説上異論があり,判例の変遷もあった。しかし,公権力の行使たる作用に基づく損害について,国又は公共団体の賠償責任を否定するという点については,一貫して変るところがなかった。」(「新版行政法上巻全訂第二版」204ページ)として,明確二国家の権力的行為に関して私法である民法の適用がないとしているのである。
C 前記のとおり,控訴人らは,渡邊宗太郎教授及び三宅正男教授の著作の各記述を引用して(控訴人ら第1備書面29ないし31ページ),「こうした学説の存在をみれば,国家無答責の法理は確立されていないことは明らかである」と主張する(同準備書面32ページ)。
しかし,最高裁昭和25年判決は,上告理由書記載の「従前の判例学説が本件の如き場合に上告人に請求権なしとするものが多かつた事は事実であるが少数なるも請求権ありとする学説もあつた通説必らずしも真ならず。」とする上告人の主張に対し,「国家賠償施行以前においては,一般的二国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって,大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して,常二国に賠償責任のないことを判示して来たのである。」とした上で,「当時仮りに論旨のような学説があつたとしても,現実にはそのような学説は行われなかつたのである。」との認識を示している。
d したがって,控訴人らの.主張は失当である。
(ウ) 立法者意思について
a 控訴人らは,行政裁判法16条の規定は単に,行政裁判所では民事上の問題は扱わないということを定めたにすぎず,私法的処理を否定したわけではないから,同条は,「国家無答責の法理とは全く何の関係もなく,その存在をもって,国家無答責の法理の論拠とすることはそもそもできない。」と主張する(控訴人ら第1準備書面34,35ページ)。
しかし,前記のとおり,行政裁判法及び裁判所構成法は国家無答責の法理を前提として制定された法律であり,また,旧民法において,国家賠償責任に関する規定を削除したのは,国家無答責の法理を採用したためであることは明らかである。
前記のとおり,モッセも,国の不法行為責任を否定し,司法裁判所のみならず,行政裁判所においても,国家責任を問い得ないとしていたのである(宇賀克也・国家責任法の分析409ページ,419,420ページ,乙第28号証,474ないし477ページ・「モッセ氏國ノ民法上損害賠償義務ニ關スル意見」)。
b また,控訴人らは,「旧民法と現民法は全く別であり,旧民法制定時の井上毅の「立法者」の意思は玩民法に受け継がれない」(控訴人ら第1準備書面32,33ページ)などと主張する。
しかし,法典調査会委員らの質疑答弁の内容を見ると,現行民法715条(草案723条)の法典調査会における位置づけは,控訴人らの主張するようなものではなかったと考えられる。
(a) 法典調査会における,穂積八東の
「此條ノ適用ニ付テ簡單ニ伺ヒタイノデアリマスガ此使用人ト使用者ニ代リテ監督スル人トノ關係ノ規則ト云フ者ハ政府ト政府ノ使ウ所ノ官吏其他ノ使用人ニモ此原則ガ當ルト云フ御考ヘデアリマスカドウカト云フコトヲ確カメテ置キタイ勿論民法ト云フ者ハー己人相互ノ關係バカリデ政府トー己人トノ關係ニ付テハ別ニ規定スルト云フコトニ全ク一刀兩斷ニ言ヘルモノデアリマスレバ疑ノナイコトデアリマスガ或ハ解釋次第デ政府トー己人トノ間デモ政府ヲ法人ト見レバ矢張リ民法ノ規則ヲ適用サレルト云フ議論モ出來ヤウト思フ若シ其様ナコトヲ言ヒマスト此規則抔ガ果シテ政府ガ一己人ニ對シテ其使用人ノ不法ナル行爲ニ依テ損害ヲ加ヘタトキハ政府ガ被害者ニ對シテ責任ヲ負フヤ否ヤト云フコトガ必ズ問題ニナルト思フ」(引用者約:この条文の適用について,簡単に伺いたいのでありますが,この使用人と使用者に代りて監督する人との関係の規則というのは,政府と政席の使う官吏その他の使用人にもこの原則が当たるというお考えであるかどうかということを確かめておきたい。もちろん民法が個人相互の関係だけを規定し,政府と一個人との関係については別に規定するというように全く一刀両断に言えるものであれば疑いのないことでありますが,あるいは解釈次第で,政府と一個人との間でも,政府を法人とみればやはり民法の規則を適用されるという議論もできるように思う。もしそのようなことを言いますと,この規則が果たして政府が一個人に対して,責任を負うか否かということが必ず問題になると思う。)(乙第34号証342ページ上段,下段)との質問に対し,穂積陳重は,
「本條ニ付テ第一ニハ政府ノ官吏ガ其職務ヲ行フニ際シテ第三者ニ加ヘタ損害賠償ニ之ガ當ルヤ否ヤト云フコトガ第一ノ御質問デゴザイマスソレニ對シマシテハ一ノ明文ガアリマセネバ固ヨリ政府ノ事業ト雖モ私法的關係ニ付キマシテハ本案ハ當ラナケレバナリマセヌカラ他ニ特別法ガナイ場合ニ於テハ本案ハ當ルト御答ヘシナケレバナリマセヌガ併シ本案ガ當ルガ良イカ惡ルイカハ第二ノ問題デアリマスガ此案ヲタテマストキニモ政府ノ官吏ガ其職務執行ニ付テ過失ガアツタトキニハ其責ニ任ズルヤ否ヤト云フ箇條ヲ置カウカト思ヒマシタガ併シ之ヲ民法ニ置キマスノハ不適當ノ場所デアルト考ヘマス・・(中略)・・公益上是ハドウモ官吏ノ職務上ノコトデアルカラ過失ガアツテモソレハ賠償ヲサセヌ方ガ宜イト云フコトハ是レハ例外デアツテ一ツノ特別法ヲ以テ定ムベキ事柄デアル一般ニ掛ルコトデナイ別シテ是レハ公法ニモ關係ノアルコトデアリマスカラ夫故ニ若シ斯ノ如キコトガアリマスレバ其事柄ハ特別法ノ所ニ規定ニナル方ガ宜イ其職務ニ付テ過失ガアルト云フトキニ於テハ之ヲ用ヰル人ガ償ナウト云フノガ原則デアルト云フコトハ動カヌコトデアラウ之ヲ定メテ置クガ宜イト思フ又民法ニ但政府ノ官吏ガ其職務ヲ執行スルニ對シテ加ヘタ損害ニ付テハ過失アリト雖モ其責ニ任ゼズト云フコトヲ只書キ放シマシテハドウシテモ萬般ノコトニ當ルマイ成程今ノ大キナ公吏ニ付テハ固ヨリ已ムヲ得ナイト云フコトモアリマセウ又一己人一己人ニ付テモ已ムヲ得ナイト云フ場合モアリマセウ是レハ程度デ公益上一私人ニ迷惑ヲ掛ケルノハ良イコトデハナイガ已ムヲ得ズヤルコトデアリマスカラ其分界ヲ附ケルニハ随分細カイコトモ要リマセウソレデサウ云フコトハ特別法ニ譲ル方ガ宜イト云フ考ヘデアリマスソレガナケレバ本條ノ規定が當ルト云フソレハ尚ホ勘考スベキコトデアル」(同号証343ページ上段,下段)(引用者約:本条について,第一には政府の官吏がその職務を行うに際して第三者に加えた損害賠償にこの規定が当たるか否かということが第一の御質問でございます。それに対しましては,他に明文規定がなければ,もとより政府の事業といえども私法的関係につきましては本案は当たらなければなりませんから,他に特別法がない場合においては,本案は当たるとお答えしなければなりませんが,しかし,本案が当たるのが良いか悪いかは,第2の問題でありますが,この案を立てますときにも政府の官吏がその職務執行について過失があつたときにはその責めに任ずるか否かという条項を置こうかと思いましたが,しかし,これを民法に置きますのは不適当な場所であると考えます。・・(中略)・・公益上,官吏の職務上のことであるから過失があっても賠償をさせない方がよいということは,これはどうも倒外であって,特別法で定めるべき事柄である。一般にかかわることではなく,これは公法にも関係のあることでありますから,それ故にもしこのようなことがあれば,その事柄は特別法の所に規定される方がよい。その職務について過失があるというときは,これを用いる人が償なうというのが原則であるということは動かぬところであろう。これを定めておくのが良いと思う。また,民法に「但し,政府の官吏がその職務を執行するに対して加えた損害については,過失ありといえどもその責めに任ぜず」ということを,ただ書いただけにしておいたのでは,どうしてもすべての事案には当たるとは思われない。なるほど「今ノ大キナ公吏」についてはもとよりやむを得ないということもありましょう,また一個人一個人についてもやむを得ないという場合もありましょう。これは程度(の問題)で,公益上一私人に迷惑をかけるのはよいことではないが、やむを得ずやることですからその区別を付けるには隨分細かいことも(規定する)必要があるでしょう。それで,そういうことは特別法に譲る方がよいという考えであります。それがなければ,本条の規定が当たるということについて,なおよく考えるべきことである。)と答弁している。
この答弁は,要するに,政府の官吏がその職務を行う際に,第三者に加えた損害について,草案723条によって政府が賠償義務を負うかという質間に対して,国の事業であっても私法的関係,すなわち,国の私法上の行為とされる鉄道・バスなどの事業の経営や官庁事務用品の購入など純然たる私経済的作用については,本条の適用がなけれぱならないことに照らすと,他に特別法がない場合においては,本条が当たると答えなければならないようであるが,結局,この条文案の作成過程において,政府の官吏がその職務執行について過失があつたときに責任を負うか否かという条文を置くことを検討してみたものの,.民法でこれを規定するのは不適当だと考えたというものである。すなわち,公益上官吏の職務上のことであれば,過失があっても賠償させない方がよいというのは,公法にも関係することであり,特別法で規定を設けるのが適当であること,また,一般論として使用人に過失があるときにはこれを用いる人(使用者)が賠償するのが原則であるからこれを規定し,民法に,ただし書きとして「但政府ノ官吏ガ其職務ヲ執行スルニ對シテ加ヘタ損害ニ付テハ過失アリト雖モ其責ニ任ゼズ」と規定することも,すべての事案に当てはまらないと思われること,国に責任を負わせるか否かの区別は,個別の事案に応じて細かな規定を設ける必要があることなどから,国の賠償責任については特別法に譲るのがよいと起草委員は考えたというものである(なお,このような特別法が立法されない場合は,本条の適用があるかをいうことを,さらによく考えなければならないとされている。)。
したがって,起草委員は,政府の官吏がその職務執行による賠償責任について,その行為が私法上の行為である場合には,本条の適用があるものと考えていたが,それ以外の公法上の行為である場合には,本条の適用がなく,特別法に譲るという考えをもっていたことが明らかである。
(b) このことは,法典調査会における高木豊三との間の質議答弁をみても明らかである。
高木豊三は,
「穂積君ノ御説明ヲ承ハリマシタガ今ノ御答ニ依ルト政府ト官吏トノ間ノ關係即チ官吏ノ過失行爲ハ政府ガ代ツテ賠償スルカドウカト云問題モ本條ニ含ムカノ如キ御答ニナツタヤウデアリマスガ私ハサウハ解シ兼ル穂積君ノ御答ヘデハ政府ガ自ラ若シ民法デ所謂使用人ヲ使ツテ事業デモヤツテ居ルトキハ即チ監督者ト云フ者ガ請負人ノ取締トカ何ントカ云フ者ガ負フモノデアラウト解シテ居ツタノデアリマスガ若シサウデナクシテ政府ノ官吏ト云フモノガ職務執行ニ付テ第三者即チ人民ニ對シテ損害ヲ加ヘタ場合ニ此原則ニ依テ政府ガ其賠償ノ責ニ任ズルヤ否ヤト云フ斯ウ云フ問題ヲ此條デ暗ニ極メタモノト云フコトデアルナラバ私共ノ解釋シテ居ルモノトハ大變趣意ガ違ヒマスノデ其問題ナラバ大ニ是ハ論ズベキ事モアリ研究スベキコトモアラウト思フ只今出タ土地収用法ノ例抔ハ是レデハー向當ラズト思フ詰リ問フ所ト御答ヘニナツテ居ル所ト意味ガ違ウノデアラウト思フ只今承ハツタ官吏ノ職務執行ニ付テ人民ニ損害ヲ加ヘタトキニ政府ガ賠償ノ責ニ任ズルヤ否ヤト云フ法律上ノ大問題ヲ極メタモノデアルカドウカト云フコトヲ先ニ一ツ伺ヒタイ」(同号証345ページ下段,346ページ上段)(引用者約:穂積君の御説明を承けたまわりましたが,今のお答によると政府と官吏との間の関係すなわち官吏の過失行為は政府が代わつて賠償するかどうかという問題も本条に含むかのようなお答になつたようでありますが,私はそのようには解釈しない。穂積君のお答では,政府が自ら民法で所謂使用人を使つて事業でもやっているときは,監督者という者が講負人の取締りとか何とかいう者が(賠償責任を)負うものであろうと解していたのでありますが,もしそうでなくして政府の官吏が職務執行について第三者すなわち人民に対して損害を加えた場合に,この原則によって政府が賠償の責に任ずるか否かという問題をこの条文で暗に決めたものということであるならば,私どもの解釈しているものとは大変趣意が違いますので,その問題ならば大いに論ずべきこともあり,研究すべきこともあろうと思う。只今出た土地収用法の例は,的を射たものではないと思う。つまり,問うているところとお答になっているところと意味が違うのであろうと思う。只今承った官吏の職務執行について人民に損害を加えた時に政府が賠償の責めを負うか否かという法律上の大問題を決めたものであるかどうかということを先に一つ伺いたい。)との質問に対し,梅謙次郎は,
「大變大問題ニナリマシタガ私ハ此問題ハ嘗テ法人ノ所ノ46條デ決シタコトト思ヒマス又此處デ議論ガ出ルノハ如何ガカト思ヒマス又政府ハ法人デアリマスカラ此一箇條ニ付テ過失ガアツタトカ賠償ノ責任ガアルトカ云フコトニハ見ナイカラ此規則ガ當嵌ラヌト思フ只46條ノ規定ガ一般ノ法典ニ於テ是レト同ジ様ナ規定ニナツテ居ル只併シ乍ラ此法人ノ規定ハ無論國ニ嵌ラヌト云フコトハ私ノ言ヲ待チマセヌコトデ國ニ關シテハ特別法ガ出ルデアリマセウ不法行爲ノ原則カラ考ヘテソレカラ法人ノ所ノ46條ノ規定ヲ考ヘテ見レバ國ニ闘スル特別ノ規定ガアレバ當ラヌコトハ分ル若シ明文ヲ以テ定メナケレバ國モ亦法人デアルカラ46條ノ規定ガ嵌ルト云フコトハ決シテ無理カラヌコトト思フ併シイヅレソレハ特別法ニ依テ極ルコトト信ジテ居リマス」(同号証346ページ上段,下段)(引用者約:大変大問題になりましたが,私はこの問題は嘗めて法人に関する46条で決したことと思います。ここで議論が出るのはいかがかと思います。また。政府は,法人でありますからこの1箇条について過失があったとか賠償責任があるとかいう様には見ないから,この規則はあてはまらないと思う。ただ,46条の規定が一般の法典においてこれと同じ様な規定になっている。ただしかしながら,この法人の規定は,無論国にあてはまらないということは私の言を待つまでもないことで,国に関しては特別法が出るでありましょう。不法行為の原則から考えて,それから法人に関する46条の規定を考えてみれば,国に関する特別の規定があれば,当たらないことは分かる。もし、明文をもって定めなければ,国もまた法人であることから,46条の規定があてはまるということ決して無理からぬことと思う。しかし,いずれそれは特別法によって決まることと信じております。)と答弁している。
この答弁の前提となっている法人に関する草案46条1項は,
「法人ハ理事其他ノ代理人ガ職務ヲ行フニ際シテ他人ニ加ヘタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス」として法人の理事等の不法行為責任を定めた条文である。同条については,明治27年1月26日の民法総会において審議され,その際にも,国が同条の「法人」に当たり,公務員が他人に損害を与えた場合二国が賠償責任を負うか否かが議論されたが,穂積陳重は,「國庫ガ法人トナツテモ國庫ノ責任ヤ何カハ必ズ別ニ規定シナケレバナラヌト云フコトニナラウト思ヒマス,夫故ニ本條ノ中ニハ這入ツテ居リマセヌ」(乙第35号証306ページ上段),「公法人ノ權利義務ト云フモノハ本法ノ規定ニ這入ラヌ積リデアリマスカラ國庫市町村抔ノ如キモノ賠償ノ責任ハ本條ニ定メテ居ラヌ積モリデアリマス」(同号証307ページ上段)として,国には,草案46条の適用はなく,賠償責任を負わない旨説明し,これを前提として原案どおり民法総会において可決された。
したがって,梅謙二郎も,草案46条が国の責任について規定していないのと同様に,草案723条も,官吏の職務執行について第三者に損害を負わせたときに政府に賠償責任を負わせることを規定したものではない旨答弁しており,政府の官吏の職務執行について,同条の適用はないと考えていることが明らかである。
(C) そして,結局,法典調査会における結論としては,高木豊三が,「私ノ言ヒマシタノモ國ト云フ法人ガ民法上ノ事業ノ關係ニ付テ此條ガ當ルカ當ラヌカト云フコトニ付テ無論當ルト云フコトニハ一點ノ疑ヒガナイ只私ノ先刻申シタ官吏ガ職務ヲ行フニ際シテ私法上ノ關係デナクシテ公權ノ作用ト言ヒマスカ詰リ裁判官ガ裁判ヲスル警察官ガ人ヲ捕ヘルト云フヤウナコトモ之ニ當ルト云フヤウナコトニ聞エテハ甚ダ困ル若シサウ云フ問題ガ之ニ籠ツテ居ルナラバ大問題ダト云フノデアリマシテ勿論裁判官ト警察官計リデナイ地方官ノ如キモ矢張リ人民ニ對シテ損害ヲ加ヘタト云フヤウナ場合モ此條ノ適用ガアルカト云フトソレ等ノ場合ニハ適用スルコトガ出來ヌ即チ特別法ヲ以テ定メル民法ニハ之ヲ見テ居ラヌト云フコトノ起草者ノ御説明ヲ願ツテ置キタイ」(乙第34号証347ページ下段)(引用者約:私が言いましたのも,国という法人が民法上の事業の関係について本条が当たるか当たらないかと言うことについては,無論当たるということには一点の疑いもない,ただ,私が先刻申しました官吏が職務を行うに際して,私法上の関係でなくして公権の作用といいますか裁判官が裁判をする,警察官が人を捕まえるというようなことも本条に当たるというようなことに聞こえては,はなはだ困る。もしそういう問題が本条に含まれているならば大問題だというのでありまして,もちろん裁判官と警察官ばかりではなく,地方官のような者もやはり人民に対して損害を加えたというような場合も,本条の適用があるかというと,それらの場合には適用することができない,すなわち,特別法をもって定める,民法ではこれらの場合を規定していないということを起草者にご説明を願っておきたい。)と確認を求めたのに対して,
穂積陳重は,
「斯ウ云フノデアリマス官吏ノ職務執行ノ場合ニ是レガ當ルガ宜イト我々ハ極メテ居ラヌノデ我々ガ研究シテ見ルト時トシテハ民法ニ書イテ居ル國モアリマスカラ是レモ書カウカト思フテ相談シテ見マシタガイヅレ特別法ガ出來ルダラウト思ヒマシタカラ止メタノデアリマス特別法ガ出來ヌト云フコトヲ豫想シテ是デ突キ通スト云フノデハナイ若シ特別法ガ出來ナカツタラ是レガドウ解釋サレルカト云フコトヲ問ハレマスカラ特別法ガナイ以上ハ例ヘバ軍艦ガ一己人ノ商賣船ト衝突シテ其船ヲ沈メタトカ云フサウ云フ様ナ場合ニ賠償ヲ求メルト云フニハ此條ガ當リハシナイカト云フ御相談ヲシタノデ特別法ヲ作ラナイデ是レデ押通シテ仕舞ウト云フ丈ケノ決心ハ我々三人共ナカツタノデアル併シ若シ特別法ガナカツタラバ是レガ當ルジヤラウト云フ考ヘハ三人共持ツテ居ル」(同号証348ページ上段)(引用者約:こういうことであります。官吏の職務執行の場合に,本条が適用されるのがよいと我々は決めていない。我々が研究してみると,時として民法に書いている国もありますから,これも書こうかと思って相談してみましたが,特別法ができるだろうと思いましたから止めたのであります。特別法が出来ぬということを予想してこれで突き通すというのではない。もし,特別法が出来なかったら,本条がどう解釈されるかということを問われますから,特別法がない以上,例えば軍艦が一個人の商売船と衝突してその船を沈めたとかいうような場合に,賠償を求めるというには本条があたりはしないかというご相談をしたので,特別法を作らないでこれで押し通してしまうというだけの決心は我々3人ともなかったのである。しかしもし特別法がなかったならば,本条が当たるだろうという考えは3人とも持っている。)と答弁し,それに対し,高木豊三は,「只今ノ御答デ能ク分カリマシタ」(同号証348ページ上段)と答えている
この高木豊三と穂積陳重との質疑答弁の内容を見ると,高木は,穂積に対し,公務員の「公權ノ作用」による職務行為について,民法715条を適用して国に賠償責任を負わせることは様々な弊害が生じ,大問題であるから,民法715条の適用対象とはならないと,はつきり答弁するように迫つたのに対し,穂積は,民法715条の適用対象であるとは決めていないとし,特別法によって定める事柄
であり,特別法を制定しない場合に,民法715条の適用で押し通すとは考えていないと答え,それに対し,高木が,その答弁でよく分かつたと答えて,この点に関する法典調査会の議論を終えているのである。
したがって,現行民法715条(草案723条)の法典調査会における審議の結果は,国の権力的作用より広く,政府の官吏が職務を行うについて,その職務が「私法上の関係」でなく「公権の作用」である場合には,現行民法715条(草案723条)の適用がないことが確認されているのである。このことからすれば,旧民法制定当時の井上毅の「立法者」意思が現民法に受け継がれていないとする控訴人らの主張が失当であることは明らかである。
c 現民法の起草者の一人である梅謙次郎は,明治41年2月発行の法學志林第10巻第2号において,官吏の職務上の不法行為に基づく民事上の賠償責任につき,「國ニ付テ何等ノ規定ガナイカラト云ッテ,民715ヲ適用スルコトハ出來ヌ,寧口國ニハ不法行爲ノ責任ナシト論決セネバナラヌ,但立法論トシテハ予ハ國ニ責任ヲ負ワス方ガヨイト思フノデアル」(乙第36号証45ページ)としており,官吏の職務上の不法行為に関しては,民法715條の適用がないことを明言しており,立法論として国に賠償責任を負わせるべきと考えている旨を明らかにしている。
また,起草者の一人である富井政章も,大正元年に東京帝国大学で民法の講義をしているが,その講義録の民法715条の解説で,次のように述べている。
「此ノ条(引用者注・民法715条)ニハ或ル事業ノタメニ他人ヲ使用スルトアリ,爰ニ於テ官吏ノ加害行為ニ對スル国家ノ責任モ此ノ条文ニヨリテ規定シ居ルモノナランカ余ハコノ場合ニ適用スヘキ規定ニアラスト思フ,民法ハ此ノ問題ノ決定ヲ行政法規ニ譲ル考ナリシカト思ハル,余ハ立法問題トシテハ寧口民法不法行為ノ所ニ規定スヘキ事柄ナリト考フ,行政事務ノ執行ニ際シテ生シタル損害ナリト云フ点ヨリ云ヘハ公法干係ナリ,私権ノ損害ニ對スル賠償義務ノ問題ナル故元ヨリ民法ノ問題ナリ,併シソレハ未タ規定セラレ居ラス,現行行政法ハ如何ニナリ居ルカトイウニソレハココニ説明スヘキ事項ニアラサルモ余ノ解スル所ニヨレハ特別ノ明文アル若干ノ場合ヲ除ク外一般原則トシテハ国家ニ賠償ノ義務ナシト云フ仕組ニナリ居ルト思フ,ソレハ公権ノ執行ニ干シテハ大ニ問題トナルコトナルモ国家ガ一面営業トシテ見ルヘキ事業ヲナス場合ニモ尚賠償責任ナキコトナリ居ルト思フ裁判例モ確ニアリキソレハ甚不当ナリト考フ,併シカカル問題ハ深ク論セス」(乙第37号証・富井博士述・債權各論完196,197ページ)
これによれば,富井は,官吏の加害行為について,民法715条は適用せず,行政法規に委ねるというのが立法趣旨である,行政法の分野では,特別規定がある他は,一般原則として,国は賠償責任を負わないとされており,公権の執行に賠償責任を負わせることは大いに問題があるが,国が,営業として事業をなす場合にまで,無答責としてしまうのは問題であり,裁判例もその様に判示しているが,それは不当である旨述べている。
したがって,これらの民法起草者二人の見解によれば。いずれも国家の権力的作用について,民法の適用がなく,立法論として行政法など特別法によって定めるべきでことであるが,行政法では一般的に賠償責任を負わせる特別法を定めていないと説明していることは明らかであって,国家無答責の法理を前提としていることは明らかである。
d このような審議を経て,現行民法715条は制定されたが,同条の解釈について,大正10年2月に第10版が発行された鳩山秀夫の「日本債権法(各論下)」によれば,「法人ニ付テモ第44條ノ外第715條ノ適用アルハ既ニ述ベタルガ如シ。若シ第三者ニ損害ヲ加ヘタル者ガ法人ノ機關(理事其他ノ代理人)ナルトキハ第44條ヲ適用スベク,機關ニアラズシテ單ニ被用關係ニ在ルトキハ第715條ヲ適用スベキナリ。」(同書914ページ・乙第38・号証),「官吏ガ其職務上爲シタル行爲ハ即チ國家ノ行爲ニ外ナラズ。故ニ損害賠償ノ問題ハ官吏ニ付テハ生ゼズ國家ノミニ付テ之ヲ生ズ。而シテ其行爲ガ私法上ノ行爲タル場合ニハ民法不法行為ノ規定ヲ之ニ適用スベク,公法上ノ行爲タル場合ニハ之ヲ適用スベカラズ。而シテ此後ノ場合ニ公法上賠償責任ヲ認ムルガ爲メニハ特別ノ規定ヲ要ス。」(同書証852ページ)とされている。
e したがって,控訴人らの主張が失当であることは明らかである。
(2) 適法な公権力行使権限に基づかないことをいう点について
ア 控訴人らの上記1(2)の主張は,要するに,国家無答責の法理は公務を保護するものであるから,その適用範囲を保護すべき公務か否かによって画し,控訴人らに対する加害行為は,法的根拠がないから保護すべき国家の権力的作用とはいえず,国家無答責の法理が適用されないと主張するものと考えられる。
イ しかし,控訴人らの主張は,国家無答責の法理を全く理解していないが故の主張と言わざるを得ない。
すなわち,被控訴人が従前から繰り返し述べているように,「国家無答責の法理」とは,公務員が職務を行うについてされた行為が国家の権力的作用に該当する限り,民法の不法行為の規定の適用がなく,他に賠償責任を認める規定がなかったことに基づく実体法の法理である。したがって,国家無答責の法'理の内容は,@民法の不法行為の規定の適用がないことと,Aその他賠償責任を認める規定がないことを含むものである。
このように,国家無答責の法理は,国の賠償責任を認めた規定が存在しないが故二国が賠償義務を負わないというものであり,問題とされている権力的作用に法的根拠があるか否かは全く問題とならない。
そもそも,不法行為(違法行為)は,法により許されない行為であり,法によって保護すべき行為とはいえず,通常は,民事及び刑事責任を発生させるものである。しかし,明治憲法下では,その違法行為が国家の権力的作用である限り,民法の不法行為規定の適用を排除し,国に賠償責任を認める規定がなかったことから国の賠償責任が否定されたものである。
したがって,控訴人らが,保護すべき権力的作用でなかったとして,国家無答責の法理を適用せず,民法を適用すべきである旨主張するのは,上記の国家無答責の法理を全く理解していない証左である。
仮に,公務員がした行為が,法的に保護されるべき行為であれば,それは適法行為であって,損害賠償(国家賠償)の問題は生じず,損失補償の問題が生じるにすぎないし(宇賀克也・国家補償法3ページ参照),不法行為だから保護する必要がないというのであれば,国の権力的作用による場合は,民法の適用が排除され,国は損害賠償義務を負わないのである。
結局,公務員が職務に関して行った不法行為が国家無答責の法理の適用対象といえるか否かは,その行為の性質が権力的作用であるか否かで決せられるのであって,その行為に法的根拠があるか否かで決せられるものではないのである。
この点については,既に最高裁判所昭和25年4月11日判決が判示しているところである。すなわち,同判決は,「論旨は原判決は本訴を公権力の行使による損害の賠償を求めるものであるとしながら,その権力が如何なる公法上の法規又は処分によって基礎づけられているかを明かにしていないと主張するのである。・・・そして,上告人は原審口頭弁論においてしばしば右破壊行為が違法な公権力の行使であることを主張しているのであって,原審が其主張に基き本訴を公権力の行使による損害の賠償を求めるものであるとしたのは当然である。(もし右破壊行為が公権力の行使ではなく所論警察官の私人としての行為であるならばそれについて国に損害賠償を請求し得ないことはいうまでもなくそれだけで本訴請求は理由なきものとなるであらう)そして,原審がその判示した理由によって,本訴請求を棄却するためには,所論のように如何なる法令又は処分に根拠をおくかを判示する必要がないので,原判決には何等違法はない。論旨は又原判決は本件公権力の行使が違法であるか否かを判示していないというのであるが,たとえ本件家屋の破壊が違法であっても,国が賠償責任を負うべきものでないことは後述のとおりであるから,国に対して損害の賠償を求める本訴においては,その不法であるかないかを判示する必要はないのであって,論旨は理由はない。」(下線引用者)と判示している。
ウ 以上に述べたように,控訴人らの主張は,国家無答責の法理及び最高裁昭和25年判決を正解しておらず,失当である。
これを本件についてみれば、控訴人らの主張する旧日本軍による加害行為は,軍の戦争遂行の過程で行われたものとみるほかなく,その行為の性質から,権力的作用であるとした原判決に誤りはなく,民法の不法行為規定の適用がないから,損害賠償請求権が発生する根拠を欠く。
したがって,控訴人らの主張は失当である。
(3) 国家無答責の法理の人的・場所的限界をいう点について
ア 控訴人らは,日本国の管轄に服さない外国人に対して国家無答責は適用されないと主張する(控訴人ら第1準備書面49ページ)。
しかし,外国における軍人の行為も,国家主権に基づく行為であることに変わりはなく,外国における外国人に対する行為であるからといって,民法が軍人の行為を私人の行為と同様に取り扱うことを予定しているものとは考え難い。現行の国賠法1条1項の「公権力の行使」に該当するためにそのような要件を必要とするとの説は見当らないことも控訴人らの主張の不当性を示すものである。国の権力的作用による以上,民法の不法行為規定は適用されず,国家無答責の法理によるべきである。
イ また,仮に,法例11条2項により日本法が累積的に適用されるのであれば,日本国内での事件としてのいわば置き換えが行われ,場所的要件は満たされることになり,国家無答責の法理も考慮されることになるから,工この点でも控訴人らの主張は無意味である。
すなわち,仮に控訴人らが主張するように,本件に法例11条の適用を考えたとしても,法例11条2項によって,日本法が累積適用されることとなり,法例「11条2項によりなされる「不法行為地法と法廷地法との評価の対象たる事実は,たんに1つであり,それは『外国ニ於テ発生シタル事実』そのものにほかならない。その事実そのものに,行為地たる外国の不法行為法の代わりに,日本の不法行為法を適用したら,はたして不法行為の要件を充足するか否かが問題なのである」」,「法例11条2項の趣旨目的は,法例33条の公序則の特則とされており,当該行為者がその行為を日本で行ったとしたら不法行為とされないものが,不法行為地法によれば不法行為とされるという違いを公序に反するものとして一切容認しないという点にあるとされている(通説)。」(乙第24号証42ないし44ページ参照)。そして,法例11条2項により,日本民法が累積適用される場合には,「外国ニ於テ発生シタル事実」を,民法の適用があるとする置き換えがされるのであり,本件で問題とされている日本軍の外国における実力行使の事実は,「本件で問題となっているのは,日本国の責任であって,あえて置き換えるのであれば,「日本国において日本の軍隊が・・」と置き換えるべきである。」(同号証45ページ)ということになる。
したがって,法例11条2項による場合には、場所的制限は無意味になると考えられるのである。
ウ そもそも,本件において問題となっているのは,国が,いかなる者に対して,権力的作用を及ぼし得るかという問題(本件では,外国にいる外国人に対し,国の統治権に基づく優越的な意思の発動としての強制的・命令的作用を適法に及ぼし得るかという問題)ではなく,外国にいる外国人に対して,権力的作用を及ぼした場合に,国が,その国内法上,損害賠償義務を負うか否かの問題である。
前記のように,国家無答責の法理は,公権力の行使につき,その行為の性質から,実体法である私法ないし民法の適用自体宇排除するものであって,その他国の賠償責任を認める法令上の根拠がないことを内容とする法理であり,行政裁判法及び旧民法が公布された明治23年の時点で,公権力の行使について国は損害賠償責任を負わないという立法政策が確立していたものである(塩野宏・行政法U第二版222ないし223ページ)。
したがって,このような法政策を採用した当時の我が国の法制において,外国人が被害者である場合には権力的作用につき,民法の不法行為規定を適用して国家責任を肯定し,日本人が被害者である場合のみに民法の不法行為規定の適用を否定して国家無答責となるという立場を採っていたとは到底考えられない。
エ 裁判例においても,外国における権力的行為について,国家無答責の法理を適用して次のような判断をしている。
例えば,東京高裁平成12年12月6日判決(乙第40号証)は,「控訴人らは,控訴人らと日本国との間には国家無答責の原則が妥当する根拠である『国家と法秩序の自同性』が存在しないから国家無答責の原則は適用されない旨主張する。しかし,国家無答責の原則の根源は国家それ自体の主権性や権力性等に求められるべきものであって,国家と被害者との同質性にその根拠を有するものではないから,控訴人らの右主張は失当である。」と判示する。
また,東京地裁平成13年5月30日判決(乙第36号証)も,国家無答責の法理が,「大日本帝国憲法下の我が国においては,権力的作用に対する賠償責任を認めるための特別の根拠規定がなく,民法の適用もなされなかったという実体法上の理由に基づくものであるから,当該行為が権力的作用である以上は,被害者が日本人であると外国人であると問わず,行為地が日本国内であると国外であるとを問わず,また,その違法性の程度を問わず,損害賠償請求をなしえなかったというべきである」と判示してしている。
オ なお,控訴人らは,「パナイ号事件では,個人賠償請求に応じている」(控訴人ら第1準備書面42ないし44ページ)などと主張するが,控訴人らの主張からも明らかなように,同事件は,1937年12月12日に旧日本軍がアメリカ合衆国砲艦パナイ号他の艦船を爆撃したことに対し,大日本帝国政府が,アメリカ合衆国政府に対し,約221万ドルを支払ったという事例であり,国家間において解決が図られた事例であって,被害者個人が民法の規定を根拠二国に損害賠償を求めた事例ではない。
したがって,この事例をもって,国家無答責の法理が外国人に対する権力的作用には適用されないとする根拠にならないことは明らかである。
(4) ヘーグ陸戦条約の国内法化による国家無答責の法理の排除をいう点について
ア 控訴人らは,ヘーグ陸戦条約は国際慣習法として成立し国内法化していたから,国内法はこれに適合するように解釈されなければならず,国家無答責の法理は適用されない(控訴人ら第1準備書面49ページ以下)と主張する。
その趣旨は必ずしも明らかではないが,ヘーグ陸戦条約が,国際法上被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権ないし謝罪請求権を保障しているものでないことは,原審における平成13年12月26日付け被控訴人の準備書面(7)1ないし28ページにおいて詳述したところであり,これを援用する。
そして,ヘーグ陸戦条約の規定が,そもそも被害者個人の加害国に対する損害賠償請求権をその内容として保障していない以上,ヘーグ陸戦条約の規定が国内法的効力を有するとしても,それにより当該規定が保障していない個人の損害賠償請求権が国内法的に創設されるということはあり得ず,国家無答責の法理と何ら抵触を生ずるものではない。
したがって,本件についてヘーグ陸戦条約の国内法的効力を論じてみても,これをもって,国家無答責の法理が排斥され,控訴人らの請求が法的に根拠づけられるものでもない。
イ また,ヘーグ陸戦条約が国内法としての効力を持つとしても,それだけで直ちに裁判所等の国家機関がこれを具体的請求権等の根拠法規として適用できるわけではないので,念のため,この点について述べておく。
すなわち、国際法につき,「国内の直接適用が可能であるか,あるいは国内立法等がなければ国内の直接適用はできないか,すなわち,個々の国民が右国際法を直接の法的根拠として,当然に具体的な権利ないし法的地位を主張したり,あるいは国内の司法裁判所が,国家と国民あるいは国民相互間の法的紛争を解決するにあたり,右国際法を直接適用して結論を導くことが可能であるかどうかという国際法の国内適用可能性の有無の問題は,別途検討する必要がある」(東京高裁平成5年3月5日判決)。
条約は,国際法の一形式であるが,これを締結するのは国家であって,国家間の権利義務関係を定立することを主眼とする。このため,条約が直接国内法上の効果を期待し,国民に権利を与え義務を課すことをも目的とする場合には,原則として,その目的を達成するため国家機関に立法義務を課し又は行政措置を採ることを命じ,これを受けて,立法機関が法律を制定し,また,行政機関が法令に基づきその権限内にある事項について行政措置を採ることになる。したがって,条約の内容が私人相互間又は私人と国家間の法律関係に適用可能なものとして裁判所等の国家機関を拘束するためには,原則として,上記のような国内措置による補完が必要であり,現にそのような国内法が多数制定されている。
例外的に条約の規定がそのままの形で国内法として直接適用可能である場合があり得るとしても,いかなる規定がこれに該当するかは,当該条約の個々の規定の目的,内容及び文言並びに関連する諸法規の内容等を勘案しながら,具体的場合に応じて判断されなければならない。
そして,この判断に当たっては,第1に「主観的要件」として,私人の権利義務を定め,直接二国内裁判所で適用可能な内容のものにするという締結国の意思が確認できること,第2に「客観的要件」として,私人の権利義務が明白,確定的,完全かつ詳細に定められていて,その内容を具体化する法令を待つまでもなく,国内での直接適用が可能であることなどが挙げられる。これらの要件を考慮して,条約の自動的執行力の有無を認定することとなる(山本・前掲国際法105ページ以下参照)。
したがって,そうした検討を経ることなく,条約一般が直ち二国内において直接適用可能であると解することは正しい法解釈とはいえない。
とりわけ,国家に一定の作為義務を課したり,国費の支出を伴うような場合には,事柄の性質上,権利の発生等に関する実体的要件,権利の行使等に関する手続的要件等が明確であることが強く要請される。裁判例においても,「国内的効力が認められた国際法規(条約のほか,国際慣習法をも含む。)が国内において適用可能か否かの判断基準について考えるに,まず,当然のことながら条約締結国の具体的な意思如何が重要な要素となることはもとより,規定内容が明確でなければならない。殊二国家に一定の作為義務を課したり,国費の支出を伴うような場合あるいはすで二国内において同種の制度が存在しているときには,右の制度との整合性等をも十分考慮しなければならず,したがって,内容がより明確かつ明瞭になっていることが必要となる。」(東京高裁平成5年3月5日判決)と判示されている。
このように,国際法規の直接'適用可能性は,前記「主観的要件」及び「客観的要件」を具備してはじめて認められるものである。
ウ この点について本件をみるに,控訴人らは,被控訴人に対して損害賠償を請求しているのであるから,個人の加害国に対する損害賠償請求権を根拠づける条約条項を指摘する必要があるところ,前記のとおり,そのような請求権を根拠づける条約条項は存在しない。そうである以上,前記「主観的要件」及び「客観的要件」を具備しているとの主張すらないといわざるを得ず,主張自体失当である。
また,ヘーグ陸戦条約3条等の条約ないしそれらと同旨の国際慣習法は,国家問の賠償責任を定めた規定と解するほかなく,個人の国家に対する損害賠償請求権を定めた規定ではないから,このような規定が国内法的効力を有しているとしても,そのことから,控訴人ら個人が国内法的に賠償請求権を取得するという結論にはなり得ない。すなわち,これら条約等は個人を賠償請求の主体として認めたものではないのであるから,これ二国内法的効力が認められたからといって,個人の権利が創設されることはあり得ない。国家責任に関する規定が国内法的効力を有していることを根拠に控訴人ら個人の賠償請求権を認めることは,解釈に名を借りた立法にほかならない。
したがって,控訴人らのこの点に関する主張も前提を欠き失当というほかない。
(5) 現在の法解釈に基づき裁判すべきという点について
控訴人らの上記1(5)の主張は,国家無答責の法理が実体上の法理ではなく,法解釈にすぎないことを前提とするもので,その前提において失当といわざるを得ず,反論の限りではないが,以下の点につき,念のため付言しておくこととする。
ア 行為時を基準とすべきことについて
最高裁判所平成15年4月18日第二小法廷判決(裁判所時報第1338号3ページ)は,法律行為がされた時点では公序に反しなかったが,その後に公序が変化した場合の法律行為の有効性について,「法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは,法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきである。けだし,民事上の法律行為の効力は,特別の規定がない限り,行為当時の法令に照らして判定すべきものであるが(最高裁昭和29年(ク)第223号同35年4月18日大法廷決定・民集14巻6号905頁),この理は,公序が法律行為の後に変化した場合においても同様に考えるべきであり,法律行為の後の経緯によって公序の内容が変化した場合であっても,行為時に有効であつた法律行為が無効になったり,無効であつた法律行為が有効になったりすることは相当ではないからである。」と判示しているところであって,この理は,国家無答責の法理にも妥当するのであり,明治憲法下において合理性のあつた国家無答責の法理を日本国憲法を前提とする現在の価値観によって否定して,特別の規定がないのに,無答責であつた行為につき,賠償責任を認めることは法の解釈として許されないというべきである。
イ 国賠法附則6項の「従前の例」に関する主張について
控訴人らは,東京地方裁判所平成15年3月11日判決(以下「東京地裁3月判決」という。)を引用しつつ,「「従前の例による」ことが国家無答責を適用しうる根拠とならない」旨主張する。
しかしながら。東京地裁3月判決は,国家無答責の法理について最高裁昭和25年判決の判断と相反する判断をするものであって,これに依拠する控訴人らの主張は失当である。
この点については,項を改めて,後記(6)において詳述することとする。
(6) 東京地裁3月判決について
ア 東京地裁3月判決の概要
東京地裁3月判決は,日本国の中国人に対する強制連行・強制労働政策自体が違法であり,また,同政策に基づき中国人に対する強制連行・強制労働に関与した個々の日本軍人等が行った行為が違法であるとして,国に対して損害賠償を請求した事案につき,同事件の原告らが,法例11条1項の適用による1930年中華民国民法に基づき国に対して損害賠償請求を主張したのに対し,かかる国家賠償請求権の存否に関する法律関係が国際私法の適用対象となる法律関係に含まれると解することはできない旨判示して,法例11条の適用を否定し,同事件の原告らの主張を排斥したものの,「条理上, 当時の日本国内法を適用して判断すべきことになるので,なお念のため,当時の日本国内法を適用した場合における上記請求権の存否について検討を加える」(判決文37ページ)とした上で,次のとおり判示した。
「ア 国家賠償法施行前における被告国に対する国家賠償請求の法的根拠国家賠償法施行前においては,一般二国の損害賠償責任を認める明文の規定を持つ実定法はなく,国家賠償法附則6条(ママ)において,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と規定され,同法の規定の遡及適用が否定された以上,同法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては,民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていたと解するよりほかはない。そして,戦前における裁判例及び学説を見渡すと,戦前における判例・通説は,民法の不法行為に関する規定は,公務員の権力的作用には適用がないとの解釈を採ってきたことは裁判所に顕著である(なお,最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3号225頁参照)。この点につき,原告らは,国家賠償法施行前においても,公法・私法二元論を排除し,公務員の公権力の行使についても民法を適用して,国の損害賠償責任を認めてきた裁判例があつたことを指摘し,公務員の公権力の行使について民法の適用がないという解釈が確立していたわけではないと主張するが,原告らが指摘する裁判例を検討してみても,それらは,国又は公共団体が私人と同等の立場に立って行う経済的活動の性質を帯びる行為について,民法の適用対象とする解釈が採られた例があることが明らかになるにとどまる。
しかし,戦前において,上記のような解釈が採られていた根拠が必ずしも明らかではないことは原告らが主張するとおりであり,戦前の裁判例及び学説に照らすと,「国家無答責」なる不文の「法理」が確立しているとの理解を背景として,上記のような解釈が採られていたことがうかがわれるものの,現時点においては,「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見いだし難いことも,原告らが主張するとおりである。当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり,実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け,その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い。そして,民法715条の文言上は,公務員の公権力の行使が同条の適用から排除されているとはいえないこと,行政裁判所法(ママ)16条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定しており,同条の規定は,実体法上は,公権力の行使に違法があつた場合二国に対する損害賠償請求権が成立することを前提としながら,行政裁判所が損害賠償請求訴訟を受理しないという訴訟法上の定めを置いたものと解する余地もあることを考慮すると,国家賠償法施行前における,公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の責任についても,民法715条の規律にゆだねられていたものと解する余地がないとはいえない。」(判決文37ないし39ページ)
東京地裁3月判決は,上記のように判示して,国賠法施行前における,公務員の公権力の公使についても民法715条の適用の可能性を認めた上で,同条に基づく損害賠償請求権は,民法724条後段の適用により消滅している旨判示した。
イ 被控訴人の批判の概要
しかし,東京地裁3月判決の前記判示部分は,@明治23年に,国家無答責の法理が当時の法政策として採られた根拠及び行政裁判法16条,旧民法等の立法経緯についての理解不足から国家無答責の法理の理解を誤り,またA国賠法附則6項の解釈を誤り,最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決(裁判集民事3号225ページ。以下「最高裁昭和25年判決」という。)と相反するものであり,失当と言わざるを得ない上,B東京地裁3月判決が法例11条1項の適用を否定した理由との間にも矛盾を生じている。
以下,詳述する。
ウ 国家無答責の法理の根拠の理解が不十分であることについて
(ア) 東京地裁3月判決の判示
東京地裁3月判決は,@「戦前における判例・通説は,民法の不法行為に関する規定は,公務員の権力的作用には適用がないとの解釈を採ってきた」が,このような「解釈が採られていた根拠が必ずしも明らかではない」(判決文38ページ),A「行政裁判所法(ママ)16条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定しており,同条の規定は,実体法上は,公権力の行使に違法があつた場合二国に対する損害賠償請求権が成立することを前提としながら,行政裁判所が損害賠償請求訴訟を受理しないという訴訟法上の定めを置いたものと解する余地もある」(判決文38,39ページ)などと判示している。
しかし,以下に述べるように,この判示は,いずれも国家無答責の法理を正しく理解していないものといわざるを得ず,失当である。
(イ) 国家無答責の法理について
国家無答責の法理は,被控訴人が従前から主張しているように,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用について国は賠償責任を負わないとする国家無答責の法理が基本的法政策として確立したものであり(塩野宏・行政法U(第2版)222,223ページ,宇賀克也・国家責任法の分析409ないし411ページ),これに基づき,行政裁判法16条,旧民法等の規定が設けられたのである。
すなわち,我が国の明治政府は,幕末に締結した不平等条約の改正を国家日標として,ボアソナードなど外国の様々な法律学者の意見を参考にしながら,近代国家としての法制度の整備を進めていた。そして,その一環として,行政裁判法及び民法の制定を図ったが,近代法治国家として経験を有していない我が国としては,他国の法制度を参照しながら,法律の整備を図らざるを得なかった。国家賠償責任の問題についても,当初,ボアソナードの意見に基づき,国家賠償責任を認める規定を民法の規定に置こうとしたが,ボアソナードの意見は,その前提としての比較法の事実認識に誤認があり,国家賠償責任に関する諸外国の法制度は,「君主ハ不善ヲ爲スコト能ハズ。」(乙第26号証)を理念として,国家賠償責任を否定したものであつたこと,また,仮に,ボアソナードの意見のとおり,国家賠償責任の問題を「大胆ニモ國家ヲ」網ノ下ニ打盡シテ民法ノ範團内ニ入レ」(井上毅の今村和郎宛書簡・乙第32号証)れば,「此事将来國法上ニ關係シ,一大問題と相成可申候,且條約改正之上ハ,外國人民と政府との争議之論據と相成ル事」(井上毅の山田顕義司法大臣宛書簡・乙第32号証)を懸念し,結局,国家無答責の法理を採用し,ボアソナード民法草案から国家賠償責任の規定を削除したのである。
以上の経緯に照らせば,東京地裁3月判決の「民法の不法行為に関する規定は,公務員の権力的作用には適用がない」との「解釈が採られていた理由が必ずしも明らかではない」との判示は失当である。
エ 国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決と相反すること等
(ア) 東京地裁3月判決の概要
東京地裁3月判決は,国の権力的作用に基づく行為について,民法715条を適用する理由として,「国家賠償法施行前においては,一般二国の損害賠償責任を認める明文の規定を持つ実定法はなく,国家賠償法附則6条(ママ)において,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と規定され,同法の規定の遡及適用が否定された以上,同法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては,民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていたと解するよりほかはない。」(判決文37,38ページ)とし,「戦前の裁判例及び学説に照らすと,「国家無答責」なる不文の「法理」が確立しているとの理解を背景として,上記のような解釈が採られていたことがうかがわれるものの,現時点においては,「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見いだし難いことも,原告らが主張するとおりである。当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり,実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け,その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い。」とする(判決文38ページ)。
しかし,この判示は,明治憲法下において国家無答責の法理が基本的法政策として採用されていた根拠を理解していないだけでなく,国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決に相反するものであり,失当である。
(イ) 明治憲法下における国家無答責の法理と民法解釈との関係について
a 東京地裁3月判決は,「同法(引用者注:国賠法を指す。)施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては,民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていた」旨判示する。
b しかしながら,前記2(1)で詳述したように,国賠法施行前において,国家無答責の法理は,行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で,国家の権力的作用について国は賠償責任を負わないという基本的法政策として確立したものであり,したがって,国の権力的作用について国が賠償責任を負う旨の法規は制定せず,また,民法の不法行為の規定は,これに適用しない,という法政策が採用されたのである。
したがって,そもそも東京地裁3月判決の判示するように,国賠法「施行前においての公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関して」,「民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていた」という前提自体が誤りであり,国賠法施行前においては,国家の権力的作用について損害賠償が否定されたのは,前記のような基本的法政策に基づき国に損害賠償を認める根拠規定を置かないこととしたためであって,民法の解釈問題が生じる余地はないのである。
c なお,国賠法施行前において,国家の権力的作用について国の損害賠償責任が否定されるのは,民法の解釈のみによるものでないことは上記のとおりであるが,民法の不法行為規定の解釈についてみたとしても,国賠法施行後においても,公務員の公権力の行使によって生じた損害の賠償責任の成否は,もつぱら国賠法1条1項によってその成否が判断され,民法の不法行為規定の適用は排除されているのであり,国家の権力的作用による損害賠償の成否を,民法の不法行為規定の解釈にゆだねるとする考え方は一貫して存在しないのである。
すなわち,現行憲法は,もはや国の権力的作用についても,国の損害賠償責任を全て免責させることは望ましくないとの政策的判断から,現行憲法17条を規定したが,国賠法の要件等をいかに定めるかは,憲法を受けて制定される法律の定めるところにゆだねたのであって,民法の解釈にゆだねたものではない。これは,公権力の行使は,通常,国民の権利義務に影響を与える性質を有することから,結果違法を中心とした私法的法律関係としては規律すべきではなく,別途,これに関する法律を制定することとしたものであって,そこにおいては,立法政策によって,民法の不法行為責任とは異なる要件等を定めたり,あるいは,免責規定を設けることも許容されるのである。
この点に関し,最高裁判所平成14年9月11日大法廷判決(乙第41号証)も,「憲法17条は,「何人も,公務員の不法行為により,損害を受けたときは,法律の定めるところにより,国又は公共団体に,その賠償を求めることができる。」と規定し,その保障する国又は公共団体に対し損害賠償を求める権利については,法律による具体化を予定している。これは,公務員の行為が権力的な作用に属するものから非権力的な作用に属するものにまで及び,公務員の行為の国民へのかかわり方には種々多様なものがあり得ることから,国又は公共団体が公務員の行為による不法行為責任を負うことを原則とした上,公務員のどのような行為によりいかなる要件で損害賠償責任を負うかを立法府の政策判断にゆだねたものであって,立法府に無制限の裁量権を付与するといった法律に対する白紙委任を認めているものではない。そして,公務員の不法行為による国又は公共団体の損害賠償責任を免除し,又は制限する法律の規定が同条に適合するものとして是認されるものであるかどうかは,当該行為の態様,これによって侵害される法的利益の種類及び侵害の程度,免責又は責任制限の範囲及び程度等に応じ,当該規定の目的の正当性並びにその目的達成の手段として免責又は責任制限を認めることの合理性及び必要性を総合的に考慮して判断すべきである。」と判示し,現行憲法下でも,一定の範囲で免責規定を置いたり,民法の不法行為責任の規定とは異なった規定を置くことを許容している。
したがって,このような観点からも東京地裁3月判決は失当である。
d 東京地裁3月判決は,公務員の公権力の行使に民法715条の適用を認める形式的な理由として,民法715条の文言上,それを排除されているとはいえないことを挙げる(判決文38ページ)。
しかし,現行法の下において,公務員が職務上行った不法行為が,「公権力の行使」に該当しない場合には,民法の不法行為規定が適用されるのに対し,「公権力の行使」に該当すれば,国賠法1条1項が適用されて,その要件該当性の判断から,民法の適用が排除される。そして,国賠法1条1項の違法の判断につき,民法709条のように,権利侵害が直ちに違法であるという結果不法だけで捉えるのではなく,行為不法の観点から,公務員が個々の国民に対して負っている職務上の法的義務に違反したことをもって,違法としているが(最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512ページ),これは,まさに,公務員の職務上の法的義務に違反するか否かの判断に,一般私法では捉えきれない行為の正当性の判断が要求されることを示しているのである。
前述のとおり,現行の国賠法の立法に当たっても,当初民法中の不法行為編を改正して国家賠償に関する規定を挿入するとする案が提示されたところ,国・公共団体の公権力行使の関係は私法的法律関係ではなく,民法に入れるのは立場が違い不適当とされて,民法への編入はされず,国賠法という独自の法律が制定されたという経緯がある(古崎慶長「国家賠償法」7ページ参照)。これはまさに,国家賠償請求権の存否が,一般私法の観点から規律しうべき関係ではなく,特に一般私人が行い得ない権力的作用については,その行使の正当性の観点から,常に検証を要する公法的法律関係であると考えられたことに基づくといえる。
e 被控訴人が従前から繰り返し述べているように,「国家無答責の法理」とは,公務員が職務を行うについてされた行為が国家の権力的作用に該当する限り,民法の不法行為の規定の適用がなく,他の賠償責任を認める規定がなかったことに基づく実体法の法理である。したがって,国家無答責の法理の内容は,@民法の不法行為の規定の適用がないことと,Aその他賠償責任を認める規定がないことを含むものである。
そして,@の点,すなわち,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合の損害賠償請求権の成立要件の判断については,国賠法施行の前後を問わず,民法の不法行為の規定の適用がないが,Aの点については,明治憲法下では,現在の国賠法のように一般的に損害賠償責任を認める規定がないため,国家無答責であったが,日本国憲法下では,国賠法が存在するために,国家無答責ではなく,国家賠償責任を負うこととなっているのである。
したがって,東京地裁3月判決の,国賠法施行前における「公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の責任についても,民法715条の規律にゆだねられていたものと解する余地がないとはいえない」との判示は,国家の権力的作用についての賠償責任の成否に関しては,国賠法施行の前後を通じて,民法の不法行為の規定の適用がないにもかかわらず,これを適用しようというものであり,失当である。
オ 国賠法附則6項に違反すること
(ア) 東京地裁3月判決は,国賠法附則6項により,国賠法の規定の遡及適用が否定されたとしながら,「当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり、実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け,その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い。」旨判示する。
(イ) しかしながら,国賠法附則6項は,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と規定しているところ,この「なお従前の例による」との法令用語は,法令を改正又は廃止した場合に,改廃直前の法令を含めた法制度をそのままの状態で適用することを意味する(有斐閣法律用語辞典第2版1087ページ)。
すなわち,国賠法施行前の公権力の行使に伴う損害賠償が問題とされる事例については,国賠法それ自体の遡及適用を否定するのみならず,それまで採用していた国家無答責の法理がそのまま適用されることにより,国又は公共団体が責任を負わないことを明らかにし,これにより,予測可能性ないし法的安定性を確保する趣旨である。
このことは,国会における国賠法附則6項の審議内容を見ても明らかである。すなわち,国賠法案を審議した第1回国会の衆議院本会議(昭和22年8月7日開催)において,司法委員長松永義雄は,司法委員会における同法案の審議経過の報告において,「本法案施行前の行為に基き施行後に発生した損害に対する処置いかんとの質疑がなされたのに対し,国または公共団体に賠償責任なしとの政府の答弁でありました。」と述べており,その後本会議で討議が行われ,可決されている(官報号外昭和22年8月8日第1回衆議院議事録22号248ページ・乙第42号証)。このような審議内容からすれば,同項は,国賠法施行前の行為に基づく損害については,その損害の発生が同法施行前かあるいは施行後かにかかわらず,国又は公共団体が賠償責任を負わない趣旨の規定であることは明らかである。
(ウ) また,東京地裁3月判決は,「現時点においては,「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見いだし難いこと」をもって,国賠法施行前の民法の解釈として,国の権力的作用に民法715条を適用できるとする根拠にしているようである。
しかしながら,国家無答責の法理は,これが基本的法政策として確立された明治憲法の下では,前記2(1)で詳述したように,その正当性ないし合理性が認められていたが故に採用されたことは明らかである。そして,国家無答責の法理は,我が国のみが採用した特異の法理ではないのである。すなわち,米国では,1946年の連邦不法行為請求権法が制定されるまでは,国家無答責の法理が採用されており(植村栄治「各国の国家補償法の歴史的展開と動向―アメリカ」国家補償法体系I(135ページ),英国でも,1947年の国王訴追法が制定されるまで同様であり(古崎慶長・国家賠償法47ページ),ドイツ及びフランスでも,19世紀後半に,国家責任一般に民法を適用しようという試みがあったが,結局,その動きが否定される結果となった(宇賀克也・国家責任法の分析411ページ)のであって,当時の各国の立法例の趨勢は,国家無答責の法理によるものであった。
したがって,日本国憲法を前提とする現在の価値観から見て,国家無答責の法理の合理性を否定することは全く根拠のないことである。
日本国憲法17条に基づき国賠法が制定されたが,国賠法制定の際の立法者の価値判断も,国賠法の遡及的適用を否定するべく国賠法附則6項に規定したように,同法施行前の行為については同法施行後においても,国は賠償責任を負わないこととするのが日本国憲法の下においても正当であるというものであって,これは合理的かつ正当な立法判断である。
したがって,「現時点においては,「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見いだし難いこと」をもって,国賠法施行前の民法の解釈として,国の権力的作用に民法715条を適用できるとするのは誤りといわなければならない。
なお,前記のとおり,最高裁判所平成15年4月18日判決は,法律行為がされた時点では公序に反しなかったが,その後に公序が変化した場合の法律行為の有効性について,「法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは,法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきである。けだし,民事上の法律行為の効力は,特別の規定がない限り,行為当時の法令に照らして判定すべきものであるが(最高裁昭和29年(ク)第223号同35年4月18日大法廷決定・民集14巻6号905頁),この理は,公序が法律行為の後に変化した場合においても同様に考えるべきであり,法律行為の後の経緯によって公序の内容が変化した場合であっても,行為時に有効であった法律行為が無効になったり,無効であった法律行為が有効になったりすることは相当ではないからである。」と判示しているところであって,この理は,国家無答責の法理にも妥当するのであり,明治憲法下において合理性のあった国家無答責の法理を日本国憲法を前提とする現在の価値観によって否定して,特別の規定がないのに,無答責であった行為につき,賠償責任を認めることは法の解釈として許されないというべきである。
カ 最高裁昭和25年判決に反すること
(ア) 東京地裁3月判決は,「国家賠償法施行前における,公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の責任についても,民法715条の規律にゆだねられていたものと解する余地がないとはいえない。」と判示するが,かかる判断は,最高裁昭和25年判決に反するだけなく,その後の裁判例にも反する特異な判断である。
すなわち,最高裁昭和25年判決は,国賠法施行前に生じた警察官の防空法に基づく家屋破壊の不法を理由に提起した国家賠償請求事件につき,「公権力の行使に関しては当然には民法の適用のないこと原判決の説明するとおりであって,旧憲法下においては,一般的二国の賠償責任を認めた法律もなかったのであるから,本件破壊行為について国が賠償責任を負う理由はない。」とし,「論旨は,国家賠償法附則の「この法律施行前の行為に基く損害については,なお従前の例による。」との規定について,従前といえども公務員の不法行為に対し,国が賠償責任を負うべきものであって,新憲法はこれを法文化したに過ぎないと主張するのであるが,国家賠償法施行以前においては,一般的二国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって,大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して,常二国に賠償責任のないことを判示して来たのである。(当時仮りに論旨のような学説があったとしても,現実にはそのような学説は行われなかったのである。)本件家屋の破壊は日本国憲法施行以前に行われたものであって,国家賠償法の適用される理由もなく,原判決が同法附則によって従前の例により国に賠償責任なしとし,上告人の請求を容れなかったのは至当であって,論旨に理由はない。」と判示している。
この判示からも明らかなように,同判決は,国賠法附則6項の「従前の例」とは,公権力の行使に関しては民法の適用がなく,その他国の賠償責任を認める規定がなかったことから,公権力の行使については国には賠償責任がないこと,すなわち国家無答責の法理を意味するとし,その法理に従って判断した原判決が正当であると判示しているのであって,東京地裁3月判決は,最高裁昭和25年判決に明らかに反する。
(ア) 元朝鮮半島出身者が,国家総動員法の下において,内地に強制連行され強制労働させられたとして損害賠償を求めた訴訟において,東京地方裁判所平成8年11月22日判決(訟務月報44巻4号507ページ)は,「明治憲法下においては,行政裁判所においても,「損害要償ノ訴訟」を受理できないものとされ(行政裁判法16条),国家の賠償責任を肯定すべき根拠法令がなかったのであるから,国家賠償法附則6項の「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」との経過規定に照らせば,現時点における解釈としても,本件各行為当時においては,民法709条の規定によって,国がその権力的作用による損害について私人に対して損害賠償責任を負担するとの解釈を採用することはできないものというほかない(国家賠償法の右附則は,同法施行前の行為についていわゆる旧法主義を採用したものにすぎず,この規定が,民法709条適用説の根拠となるものではない。)。」と判示したところ,その控訴審である東京高等裁判所平成14年3月28日(乙第30号証)もこれを維持し,さらに最高裁判所平成15年3月28日第二小法廷決定も,上告棄却及び上告不受理の決定をした。
このよう二国賠法附則6項の「従前の例」が国家無答責の法理を指すことは,最高裁昭和25年判決以来,判例上一貫している(東京地方裁判所昭和59年10月30日判決・判例時報1137号29ページ,東京高等裁判所昭和63年3月24日判決・判例時報1268号15ページ,東京高等裁判所平成12年12月6日判決・判例時報1744号48ページ,東京高等裁判所平成13年2月8日判決(乙第23号証),同最高裁判所平成13年10月16日決定(上告棄却及び上告不受理決定(乙第43号証)),東京地方裁判所平成14年6月28日判決(乙第44号証)等)。
キ 東京地裁3月判決の理由中における法例11条の適用を否定した理由と矛盾があること
(ア) 東京地裁3月判決は,同事件を「当時中国において家族と共に平穏な生活を送っていた原告らが,昭和17年11月27日の閣議決定に基づく行政供出により,日本軍あるいは日本政府の支配下にあった中国軍の兵士(以下「日本軍等」という。)によって,自らの意思に反して一方的かつ強制的に日本に連行され,被告企業の各事業所で強制的に劣悪な労働条件下で過酷な労働に従事させられたと主張して,被告国に対して損害賠償を求めるものであって,個人が国に対して公務員の違法行為によって被った損害の賠償を求める訴訟(以下「国家賠償訴訟」という。)である。」と位置づけた上で,以下の理由により,国際私法の適用対象とならない,すなわち,法例11条の適用がない旨判示している(判決文31ないし34ページ)。
@ 国家賠償請求権の存否に関する法律関係は,公権力の行使の適否が判断の対象となるという意味で,公法的な色彩を持つことは否定できない。すなわち,公権力の行使の適否に関する判断が,その後の国の行政権,立法権の行使,さらには,国民生活に対する国の機関の権限行使のあり方にも重大な影響を与えるものであって,当該国家の公益と密接な関係を有する公法的な側面を持つものであることは明らかというべきである。換言するならば,国家賠償訴訟の審理において,その適否が問題とされている公権力の行使について,当該国家の法律とは異なる適法要件を定める他国の法律によって,その違法性の有無が判断されるようなことは,当該国家の公益に反するものといえよう(同32ページ)。
A 各国の国家賠償に関する法制を見ても明らかなように,各国が,国家賠償制度の存否,責任の範囲や程度につき,国政全般にわたる総合的政策判断の下に,様々な立法政策を採用していることは,国家賠償請求権の存否に関する法律関係が,国家の国政全般にわたる総合的政策判断と密接な関係を有する公法的色彩を持つ法律関係であることを示すものといえる。現に,我が国の国家賠償法においても,被告国の公益を考慮した政策的判断の下に,私法の領域とは異なる特別の法政策が採用されているのである。すなわち,国家賠償法は,公務員による公権力の行使を萎縮させないように公務員個人に対し求償できる場合を限定し(同法1条2項),外国人が被害者である場合には,相互の保証のあるときに限って賠償する(同法6条)ものとしており,これらの規定は国家賠償の問題が国家の公益と直接又は密接に関係していることを示しているものといえる(同32,33ページ)。
B 本件においては,個別的な公務員の公権力の行使の適否が問題とされているのではなく,被告国が国益を追求する目的の下で国家主権の行使ないし発露として行った上記行為や政策自体の正当性の存否についての判断が求められている。この判断が国家の主権行使の正当性にかかわる点で,被告国の公益に直接的な関係を有し,極めて強い公法的色彩を持つものといえる。しかも,国家の政策的判断の下に,広範に行われた戦時下における日本軍等の違法行為を理由として被告国に損害賠償義務を負担させるか否かという判断が,全国民の負担の下で維持されている被告国の国家財政に対して重大な影響を与えずにはおかないことも明らかであり,この点においても,本件において判断の対象となる法律関係は,被告国の公益と密接な関係を有し,公法的色彩をもつものである。.本件のごとく,国家の主権行使の正当性が判断の対象となり,その結果が被告国の財政に重大な影響を与える法律関係は,国際私法の規律にゆだねるべき私法的法律関係ではなく,公法的法律関係に当たると解するよりほかはない(同33,34ページ)。
(イ) このように,東京地裁3月判決は,本件の国家賠償請求権の存否に関する法律関係が国際私法の対象となる法律関係に当たるか否かという問題について,国家の公益と密接に関係し,極めて強い公法的色彩を持つことを考慮して,私法的法律関係ではなく,公法的法律関係であると判示しており,この判示は,極めて正当な判断である。
ところが,東京地裁3月判決は,公務員の公権力の行使の違法と理由とする国の責任について,民法の適用があるかという問題については,民法715条の規律にゆだねられていたと解する余地があるとし(判決文39ページ),国家賠償詰求権の存否に関する法律関係を一般私法である民法の規律にゆだねる余地がある旨判示している。
一方は国際私法の適用の有無の問題であり,他方は民法の適用の有無の問題であって,論点が異なっているとはいえ,いずれも国家賠償請求権の存否に関する法律関係が,私法的法律関係であるかの問題であるから,両者の結論を異にするのは,矛盾というべきである。
(ウ) 以上,述べたように,東京地裁3月判決は,国際私法の問題としては,国家賠償請求権の存否の問題は,損害の公平な分担のみでは捉えられず,公益と密接に関係し,公法的色彩が強いとして,その性質を私法的法律関係ではなく公法的法律関係であると的確に把握しておきながら,同じ法律関係に適用する準拠法として,損害の公平の分担のみを理念とする私法的法律関係を規律している民法715条を適用しようとするものであって,その判断には矛盾があると言わざるを得ない。
ク 結論
以上詳述したように,東京地裁3月判決は,国家無答責の法理の根拠等を正確に理解しておらず,その判断は,国賠法附則6項に違反し,最高裁昭和25年判決以来の我が国の裁判例にも明白に違反するものと言わざるを得ない。
第2 除斥期間の適用に関する控訴人らの主張について
控訴人らは,民法724条後段の適用により,損害賠償請求権の消滅を認めることは著しく正義・公平に反するなどと主張する(控訴人ら第1準備書面57ないし74ページ)。
このうち,民法724条後段の期間の起算点が不法行為の時であることについては,原審被告準備書面(7)49,50ページで詳述したところであるから,これを援用することとし,以下,その余の点に関する控訴人らの主張が失当であることを述べる。
1 民法724条後段の法的性格について
(1)控訴人らの主張
控訴人らは,民法724条後段の20年の期間の法的性格について,時効期間を定めたものと解すべき旨主張する(控訴人ら第1準備書面57ページ)。
(2)被控訴人の反論
しかし,最高裁判所平成元年12月21日第一小法廷判決(民集43巻12号2209ページ,以下「最高裁平成元年判決」という。)は,「民法724条後段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。けだし,同条がその前段で3年の短期の時効について規定し,更に同条後段で20年の長期の時効を規定していると解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わず,むしろ同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期問を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。」と判示して,民法724条後段の法的性格が除斥期問であることを明言し,また,最高裁判所平成10年6月12日第二小法廷判決(民集52巻4号1087ページ,以下「最高裁平成10年判決」という。)も,最高裁平成元年判決を引用して,「民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は、主張自体失当であると解すべきである(最高裁昭和59年1才1第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照)」と判示しているところである。
このように最高裁判所は,一貫して,民法724条後段の法的性格を除斥期間であると判示し,最高裁平成10年判決の調査官解説においても,かかる見解は「判例理論としては確立したもの」(春日通良・最高裁判所判例解説民事篇平成10年度(下)572ページ)としている。
したがって,同条後段の法的性格を消滅時効と解すべきである旨の控訴人らの.主張は失当である。
2 除斥期間の適用制限について
(1)控訴人らの主張
控訴人らは,仮に,民法724条後段の法的性格につき,除斥期間であるとしても,その適用が著しく正義,公平に反し,条理にもとるときは,同条後段の規定は適用されるべきでない旨主張する(控訴人ら第1準備書面63ないし74ページ)。
(2)被控訴人の反論
民法724条後段は,不法行為をめぐ.る権利関係を長く不確定の状態におく'ことには重大な問題があり,被害者に対して可及的速やかに救済を求めさせ,法律関係を早期に確定させようとすることが法の意図するところである(河野信夫・最高裁判所判例解説民事篇平成元年度612ページ参照)。
控訴人らは,自らの主張の根拠として,最高裁平成10年判決等の裁判例を挙げ,最高裁平成10年判決は,民法724条後段を除斥期問であるとしながらも,正義・公平の観点から,その適用を制限することを認めており,その後の下級審判例も同様の立場を採る旨主張する(同準備書面69ないし74ページ)。
しかし,以下に述べるように,控訴人らの主張は,失当である。
ア 最高裁平成10年判決について
(ア) 控訴人らは,最高裁平成10年判決が,正義・公平・条理によって,民法724条後段の適用を一般的に制限したかのような主張をするが,右主張は,同判決を正解していない。
すなわち,最高裁平成1O年判決は,民法724条後段を除斥期間と判示した最高裁平成元年判決を引用して,「民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期問の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期問の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は,主張自体失当であると解すべきである」と判示しつつ,時効の停止に関する民法158条を指摘した上,「不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において心神喪失の常況にあるのに後見人を有しない場合には」,「その心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。そうすると,少なくとも右のような場合にあっては,当該被害者を保護する必要があることは,前記時効の場合と同様であり,その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。」と判示した。この判決は,「不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就職した者がその時から6箇月内に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるとき」にという極めて限定された要件の下で,その効果においても,時効の停止と同様の所定の期間だけいわば除斥期間の経過を停止させるという限度において例外を認めたものであり,民法158条という時効の停止に関する既存の条項の法意を援用して極めて限定的に例外を認めたものである。
そのことは,最高裁調査官の判例解説でも,「本判決の射程は,極めて狭いものと思われる。民法724条後段の適用の効果を否定する場合としては,除斥期間内に権利を行使しなかったことを是認することが本件の事案と同程度に著しく正義・公平に反する事情がある上,時効の停止等その根拠となるものがあることが必要であろう。河合裁判官の意見のように,除斥期間説に立ちながら,幅広く例外を認めることは,平成元年判決に抵触することになり,大法廷における判例変更が必要となるであろう。」(春日通良・前掲最高裁判所判例解説民事篇平成10年度(下)576及び577ページ)と述べられているとおりである。
したがって,最高裁平成10年判決が,一般的に,除斥期間の適用が「著しく正義・公平の理念に反する」場合には,その適用を排除できるとしたものとする控訴人らの主張は,明らかに同判決の射程を誤ったものといわなければならない。
民法724条後段の除斥期問の適用が制限されるのは,他の法文に根拠を求めることができる極めて例外的な場合に限られるというのが,同判決の正当な理解であり,最高裁の確立した立場であるといわなければならない。
(イ) 最高裁平成10年判決に照らしても,本件が,除斥期問の適用を制限すべき例外的な場合に該当しないことは明らかである。
a 本件は「およそ権利行使が不可能」とはいえない。
控訴人らは,「本件細菌戦の違法行為において,極めて顕著な特徴は,被控訴人が,戦後において細菌戦の事実を隠蔽し,国際的国内的に日本軍の細菌戦が周知の事実となっている現在においても,その事実すら認めていないという点である。・・・本件控訴人らの権利不行使は,被控訴人が一国の権力をもって控訴人らの権利行使を妨害し,不可能にしてきた結果なのである。」(控訴人ら第1準備書面64,65ページ)などとして,「1995年頃までは,被控訴人に対する損害賠償請求権を行使することは事実上不可能であった。」(同準備書面66ページ)と主張するとともに,「さらに,控訴人らが本件訴訟を提起するためには,中国と日本に,これを支援し,代理人となって活動する弁護士が必要不可欠であったのであり,そのような弁護土の活動が日本で具体化したのは第1次訴訟の控訴人らは1995年以降であり,第2次訴訟の控訴人らにとっては第1次訴訟を提起した197年8月以降である。」(同66ページ)と主張する。
しかし,このような控訴人らの主張が,最高裁平成10年判決の判示する「心神喪失の常況にある」ため「およそ権利行使が不可能」な事情に該当しないことは一見して明らかである。すなわち,控訴人らの前記主張は,結局のところ,訴訟代理人の協力を得ることが困難であった,また,証拠資料の収集等の訴訟提起の準備が整わなかったというにすぎないのである。
仮に,このような控訴人らの主張が認められるとするならば,控訴人らにおいて訴訟提起の準備ができたとする時点を任意に選択して,「権利行使が可能」になった時点だとする主張を許すことになり,権利行使が速やかになされることを目的として設けられ,その効果が画一的に認められるはずの除斥期間の趣旨を著しく没却することになるのは明らかである。
b また,本件の場合,時効の停止等のような除斥期間の適用を制限する根拠となるものは何ら存しない。
民法の時効の停止は,時効完成の時に当たって故障があり,権利者が中断行為をすることが困難な場合に,時効の完成を猶予することにし,停止事由が終了してから一定の猶予期間を経て,時効が完成するものである(我妻榮・新訂民法総則474ページ参照)。
そして,最高裁平成10年判決の事案は,除斥期間の経過に当たり、不法行為の被害者が当該不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに後見人を有しないという事案であり,仮に,消滅時効の完成が問題とされたならば,民法158条の時効の停止の規定により,一定期間消滅時効の完成が妨げられた事案で,しかも,心神喪失の原因を与えたのが加害者であったという事情があった。かかる場合に,除斥期問の経過によって権利消滅の効果を認めるのは,いかにも権利者に酷な結果となるから,時効の停止に関する民法158条を根拠に,その法意に照らして,最高裁平成元年判決の例外を認め,権利者(被害者)が「能力者ト為リ又ハ法定代理人カ就職シタル時ヨリ六箇月内」に限り一時的に除斥期間が経過したとはされないこととしたものである。
これに対し,本件において,控訴人らは,時効の停止に関する民法158条ないし同161条の規定に相当する権利行使を不能ないし困難ならしめる事由を全く主張せず,むしろ,権利行使をしようと思えばいつでも権利を行使することが可能だつたとも言い得る事情をもって「権利行使が不可能」であったと主張し,ただ「著しく正義・公平に反する」場合には,除斥期間の適用を一般的に制限すべき旨主張するのみで,除斥期間の経過が否定されるべき一定の期間も主張されていない。
(ウ) このような控訴人らの主張は,時効の停止のようなその法意を援用できる制度の存在を問題とすることなく,ただ「著しく正義・公平の理念に反する」場合には,除斥期問の制度を一般的に適用すべきではないというのであり,適用を制限する根拠についても,その範囲についても,最高裁平成10年判決の判示するところを大きく逸脱し,その結果,控訴人らの主張によれば,極めて広範かつ無限定に除斥期問の適用が制限がされることになり,法的安定性を重視して民法724条後段の除斥期間を設けた法意に反することは明らかである。
イ 東京地方裁判所平成13年7月12日判決について
(ア) 控訴人らは,民法724条後段の適用を制限した下級審判例として,まず,東京地裁平成13年7月12日判決(判例タイムズ1067号119ページ,以下「東京地裁平成13年判決」という。)に言及する(控訴人ら第1準備書面72ページ)。
この判決は,第二次世界大戦中に中国国内から日本国内に強制連行され,北海道内の事業場で強制労働に従事させられ,この強制労働から逃れるべく終戦直前に事業場から逃走し,その後約13年間にわたり北海道の山中で生活していたとする中国人Xの相続人が除斥期間である20年を経過して日本国(Y)を被告として提訴した損害賠償請求事件につき,除斥期間の適用に関し,「除斥期間制度の適用の結果が,著しく正義,公平の理念に反し,その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には,除斥期間の適用を制限することができると解すべきである。」という一般的基準を定立した上で,「Yに対し,国家制度としての除斥期間の制度を適用して,その責任を免れさせることは,Xの被った被害の重大さを考慮すると,正義公平の理念に著しく反していると言わざるを得ないし,また,このような重大な被害を被ったXに対し,国家として損害の賠償に応ずることは,条理にもかなうというべきである。よって,本件損害賠償請求権の行使に対する民法724条後段の除斥期間の適用はこれを制限するのが相当である。」と判示した。
(イ) しかし,東京地裁平成13年判決は,最高裁平成10年判決が「著しく正義・公平の理念に反する」場合には,除斥期間の制度を適用すべきではないとの一般法理を示したものとの理解のもとに,これをそのまま当該事案に当てはめ,著しく正義・公平の理念に反するものとして,除斥期間の適用を排除しているが,そのような理解は最高裁平成10年判決を正解するものではなく,むしろ同判決の趣旨・射程距離を著しく逸脱するものである。
すなわち,前記のとおり,最高裁平成10年判決は,「心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果とな」ることは,著しく正義・公平の理念に反するとしているが,それは,飽くまで民法158条の法意を除斥期間制度にも持ち込むための理由にすぎず,根拠となる他の法文がないのに,一般的に著しく正義・公平の理念に反する場合には除斥期間の適用を排除できるとしたものでないことは明らかである。
したがって,最高裁平成10年判決が,一般的に,除斥期間の適用が「著しく正義・公平の理念に反する」場合には,その適用を排除できるとしたものと考えることは,明らかに判例の射程を誤ったものといわなければならない。
また,最高裁平成10年判決の事例では,心神喪失の常況が当該不法行為に起因するほかは,直接国側の行為が問題にされているわけではなく,むしろ,当該不法行為に起因する心神喪失の常況によって,20年以内に損害賠償請求が提起することができない事態がもたらされたことを「著しく正義・公平の理念に反する」としたものである。これに対して,東京地裁平成13年判決では,日本国の公務員がXに対して行った一連の行為を根拠に,このような場合に除斥期間を適用することは「著しく正義・公平の理念に反する」としているが,少なくとも公務員の行為によってXによる損害賠償請求の提起を困難ならしめた事情(民法158条の法意を及ぼすべき事情)は一切認定されていない。
そして,同判決は,除斥期間の適用を制限する事情として,Xの13年間のわたる逃走は,Yの行った強制連行,強制労働に由来し,Yはこれに関する資料を無視して調査すら行わなかったという不法行為の悪質性とXの被った被害の重大さを指摘している。しかし,このような事情は,そもそも民法158条の法意を及ぼすべき事情といえない。また,これらの事情は,従来,信義則違反あるいは権利濫用による除斥期間の適用を制限する事情として主張されてきたものであり,同判決自身が,「平成10年判決は,除斥期間の適用が信義則違反あるいは権利濫用であるという主張は,主張自体失当としているが,これは除斥期間と解する以上当然の結論であると考え」られるとし,除斥期間の適用を制限する事情にならないと判示した事情である。そうすると,同判決が掲げる事情によって,「著しく正義・公平の理念に反する」とすることは,明らかに最高裁平成1O年判決に反するものといわなければならない。
(ウ) 東京地裁平成13年判決は,実質的には,被害の甚大さなどを理由として除斥期間の適用を否定したものに他ならないが,最高裁平成10年判決は,このような被害の甚大さを理由として除斥期間の適用を否定するものではない。
この点について,東京高裁平成12年12月6日判決・判例時報1744号48ページも,「右判決(引用者注・最高裁平成10年判決)は,『不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合』というきわめて限定された事実関係の下で,民法158条の規定の適用が時効の場合について可能であるのに除斥期間については不可能となることによる不均衡等をも考慮の上,文言どおりの法規の適用が法全体を支配する正義・公平の理念に著しく反するものと判断し,民法158条の定める期間の範囲内で権利行使をすることを許容したものであり,被害が甚大であること,あるいは権利行使が困難であることを理由として除斥期間の延長を容認するものではなく,そのようなことは除斥期間を定めた民法の趣旨に反するというべきである。」と正当に判示している。
また,加害の悪質性や被害の重大性等を理由として,除斥期間の適用を制限すべきであるとの見解に対して,広島地方裁判所平成14年7月9日判決(乙第45号証)は,「加害の悪質性や被害の重大性等の点については,除斥期間制度を設けるに当たって当然に話題に上るべき事柄でありながら,この点に関わらしめる規定を民法自体が一切設けなかった(非人間的行為の最たる殺人についてすら全く触れていない)ことや,民法724条後段の趣旨からして,除斥期間の適用に関して考慮の対象外と解するのが相当であり,これらの事柄を根拠に除斥期間を適用の当否を論じることは,事実上被害者側の心情に流された恣意的な運用を招く弊害も懸念され,妥当とはいえない。」(同判決文208ページ)と指摘しているが,極めて妥当な指摘である。
ウ 福岡地方裁判所平成14年4月26日判決について
控訴人らは,民法724条後段の適用を制限した裁判例として,福岡地方裁判所平成14年4月26日判決(判例タイムズ1098号267ページ)にも言及する(控訴人ら第1準備書面73ページ)。
この判決は,第二次世界大戦中に中国国内から日本国内に強制連行され,三井鉱山株式会杜が経営する炭鉱で強制労働に従事させられたとする中国人Xらが除斥期間である20年を経過した後,国(Y1)及び三井鉱山(Y2)を被告として損害賠償を請求した事案に関し,除斥期間の適用につき,「除斥期間制度の適用の結果が,著しく正義,衡平の理念に反し,その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には,除斥期間の適用を制限することができると解すべきである。」という一般的基準を定立した上で,「前記本件強制連行及び強制労働の事情を考慮すると,Y2に対し,民法724条後段を適用してその責任を免れさせることは,正義,衡平の理念に著しく反するといわざるを得ず,その適用を制限するのが相当である。」と判示した。
しかし,この福岡地裁判決に対しても,前記東京地裁平成13年判決に対する批判がそのまま妥当するというべきである。
すなわち,この福岡地裁判決も,正義・衡平・条理という一般条項から除斥期間の適用を制限することができるとするが,前述のとおり,最高裁平成10年判決は,除斥期間の適用制限についてこのような一般的基準を定立したものではないのであって,最高裁平成10年判決が,一般的に,除斥期間の適用が「著しく正義・公平の理念に反する」場合には,その適用を排除できるとしたものと考えることは,明らかに判例の射程の理解を誤ったものといわなければならない。
そして,この福岡地裁判決も,実質的には,被害の甚大さなどを理由として除斥期間の適用を制限したものにほかならない。前記のとおり,最高裁平成10年判決は,このような被害の甚大さを理由として除斥期間の延長を容認するものではなく,この福岡地裁判決も最高裁平成10年判決に違背することは明らかである。
3 小括
以上のとおり,民法724条後段の20年の期間の性質及びその適用制限に関する控訴人らの主張は,最高裁判例等を正解しないものであって,前提において失当である。
控訴人らは,「条理に基づく謝罪及び損害賠償請求」と題して,控訴人らの条理に基づく損害賠償及び損失補償を排斥した原判決は,社会的正義に照らして到底是認されるものではないとして,原判決をるる論難する(控訴人ら第1準備書面82ないし101ページ)。
しかしながら,控訴人らの上記主張は,実質的に従前の主張の繰り返しであって,その主張が失当であることは,被控訴人が原審被告準備書面(7)56ないし60ページで述べたとおりであるから,これを援用する。
第4 法例11条により準拠法となるとする中国民法に基づく請求について
控訴人らは,「中国民法にもとづく謝罪及び損害賠償請求」と題して,本件につき法例11条1項は適用されないと判示した原判決をるる論難する(控訴人ら第1準備書面102ないし121ページ)。
しかしながら,以下に述べるように,控訴人らの上記主張は失当である。
1 国際私法の適用可能性について
(1)本件で控訴人らが主張する被控訴人の加害行為は,正に国家の権力的作用であり,極めて公法的色彩の強い行為であって,国家の利害から切り離して考えることができず,かかる行為について,私法の適用を認め,私法規定の抵触の問題と捉え,一般抵触法規である法例を適用することはできない。
公権力行使を伴う国家賠償という法律関係については,我が国の国家利益が直接反映される法律関係ということができ,国際私法の適用対象とはならないと考えるのが正当である(溜池良夫・国際私法講義31ページ参照,東京地裁平成10年10月9日判決・判例時報1683号77ページ,東京地裁平成11年9月22日判決・乙第46号証92ページ以下)。
ア 現代の国際私法においては,国家と市'民社会とは切り離すことが可能であり,市民社会には特定の国家法を超えた普遍的な価値に基づく私法が妥当しており,これはどこの国でも相互に適用可能なものであるとの考えが国際私法の前提にある。
たしかに,私法の領域でも国によって法の在り方が異なることはいうまでもない。しかし,一般的一性格に着目すれば,私法の領域では,国家利益に直接関係しないことから,一般に法の互換性が高く,このような私法の領域においては,連結点を介して準拠法を定めることに合理性がある。
これに対して,国家の利益が直接反映され,'場合によっては処罰で裏打ちされることもある公法の領域については,国家間の利益が相対立し,特定の国家利益を超えた普遍的価値に基づく国家法なるものを想定することすることが困難であるため,特定の国家法を相互に適用可能とすることはできない。法の抵触という問題は,公法の領域についても生ずるが,上記で述べたとおり,一般的な法の互換性を前提とする私法の領域とは,その性質が大いに異なることから,公法の領域が国際私法の守備範囲から除外されることになる。このことは,国際私法の通説でもある(池原季雄・国際私法(総論)11ページ,山田鐐一・国際私法15ページ)。
上記で述べたところからすると,国際私法が対象とする法律関係は,一般に法の互換性が高く,国家の利益に直接関係しない領域に属する法律関係(以下,「私法的法律関係」という。)にとどまるといわなければならない。そして,国家の利益が直接反映される法律関係(以下,「公法的法律関係」という。)は,国際私法の関係からは,公法の領域に属するものとして取り扱われることとなり,その対象外におかれるものといわなければならない。
イ 上記の観点から,公権力の行使につき国家が賠償責任を負うか否かという法律関係を検討すると,このような法律関係は,公権力の行使の適否が判断の対象となるという意味で,公法的法律関係の側面を有することは明らかである。すなわち,公権力の行使の適否に関する判断が,その後の国行政権,立法権の行使,さらには,国民生活に対する国の機関の権限行使のあり方にも重大な影響を与えるものであって,当該国家の利益と密接な関係を有することは明らかであり,また,その適否が問題とされている公権力の行使について,当該国家の法律とは異なる適法要件を定める他国の法律によって,その違法性の有無が判断されるようなことは,当該国家の利益に反することも明らかである。
我が国の国賠法をみても,公務員による公権力の行使を萎縮させないように公務員個人に対し求償できる場合を限定し(同法1条2項),外国人が被害者である場合は,相互保証のあるときに限って賠償する(同法6条)とし,私法の領域とは異なる特別の法政策が採られている。これらは,国家賠償の問題が国家の利害そのものと深く関係していることの証左である。特に,国賠法がかかる相互保証主義を採用したということは,公権力の行使に基づく損害賠償責任の領域は,民法の予定する損害賠償責任の領域とは異なり,国の利害に直接関係する領域を構成することを示すものである(山田・前掲国際私法161,162ページ)。
ウ これに加え,国賠法制定前の我が国の法体系をも考慮に入れる必要がある。すなわち,本件加害行為時の大日本帝国憲法下においては,国又は公共団体の権力作用について,私法である民法の適用はないとされ,これに基づく国の損害賠償責任は否定されていた(国家無答責の原則)。大審院昭和16年2月27日判決(大審院民事判例集20巻118ページ)は,この点に関し,「按ズルニ凡ソ國家又ハ公共團體ノ行動ノ中統治權ニ基ク權力的行動につきテハ私法タル民法ノ規定ヲ適用スベキニアラザルハ言ヲ候タザルトコロ・・・町税ノ滞納慮分ハ公共團體タル町ガ國家ヨリ付与セラレタル統治権ニ基ク權力行動ナルヲ以テ,之ニ關シテハ民法ヲ適用スベキ限リニアラザレバ・・・」と判示している。このように,国の権力的作用について一般私法である民法の適用が否定されるとする当時の法制度をみても,公権力の行使に伴う不法行為については,我が国の法政策上,国家利益が直接反映され,一般私法と異なる領域に属する法律関係として理解されていたことが明らかである(同旨最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3号225ページ)。
工 以上にみたところからすると,公権力行使に伴う国家賠償という法律関係については,我が国の国家利益が直接反映される法律関係ということができ,国際私法においては,公法の領域に属する法律関係として取り扱われることになり,国際私法の適用対象とはならないと解するのが正当である(溜池・前掲国際私法講義31ページ参照)。
オ これに対し,控訴人らは,美濃部博士の著作において,公権力の行使に関する賠償義務が私法上の義務であるとされていることから,国家に対する賠償請求という法律関係は私法関係に属する問題であると主張する(控訴人ら第1準備書面105ぺージ)。
しかしながら,控訴人らの上'記主張は失当である。
そもそも,国際私法の適用対象として使用される場合の「法律関係」という語は,「法律上問題とされる関係,すなわち法律の規律の対象となる生活関係」を意味するにすぎず,「いずれかの法律の適用によって法律関係として成立した関係」をいうのではない(溜池・前掲国際私法講義11ページ)。このように,国際私法の適用対象となる私法的法律関係とは,権利義務の発生原因となる法律関係が国家利益と直接関係しない生活関係のことをいうものと解されるのであって,ある法律の適用の結果として発生した権利義務関係の法的性質を問題としているのではない。
以下,控訴人らの右主張について具体的に反論する。
(ア) たしかに,美濃部博士の著作には控訴人らの指摘する記述がある。しかし,これは,法適用の結果発生する「賠償義務」それ自体の法的一性質を問題とした記述にすぎない。そのことは,美濃部博士が,「賠償義務ノ法律上ノ性質ニ付イテハ其ノ私法的ノ性質ヲ有スルモノナルコトハ明瞭ナルベシ」と論じていることからも明らかである。
これに対し,国際私法の適用対象との関係で問題とされるべき「法律関係」とは,ある法律が規律対象としている生活関係のことであって,ある法律の適用の結果として発生する権利義務の性質ではない。
美濃部博士は控訴人ら指摘の上記記述の後に,「公権ノ作用ニ基ク國家ノ賠償責任ノ問題ニ付イテハ,民法ノ規定ハ當然之ニ適用スルコトヲ得ス。是レ賠償義務カ其ノ性質上公法ニ屬スルカ爲ニ非ス。賠償義務其ノモノハ私法上ノ義務タルコトハ前ニ述ヘタルカ如シト雖モ,其ノ義務カ公ノ権力ノ作用ニ原因シテ發生スル場合ニ於テハ民法ノ規定ハ之ニ適用スルコトヲ得サルモノタルナリ。民法ハ唯私ノ不法行爲ヲ規定セルノミ,公ノ権力ニ基ク不法行爲ハ民法ノ關スル所ニ非サルナリ。」と述べているが(美濃部達吉・日本行政法(上巻)930ページ以下),ここで「公権ノ作用ニ基ク國家ノ賠償責任ノ問題ニ付イテハ,民法ノ規定ハ當然之ニ適用スルコトヲ得ス。」としている点に着目すべきである。
すなわち,この記述では,「公権ノ作用ニ基ク國家ノ賠償責任」が問題とされる生活関係においては,その原因行為が公権力の行使という「公法上ノ行為」であることから民法の適用を受けないとしているのであって,国家賠償が認められるべきか否か,認められるときの要件をどうするかといった法律関係(生活関係)は,国際私法の観点からは公法的法律関係であるとする被控訴人の主張と軌を一にする。
したがって,同博士は,国の公権力の行使について民法は適用されないという結論からしても,被控訴人と同一の立場を採用しており,控訴人らの主張の根拠となるものではない。
(イ) 次に,雄川教授の見解(控訴人ら第1準備書面106ページ)は,国家に対する損害賠償請求訴訟は民事訴訟であるとするに止まるものである。
(ウ) また,今村教授の見解(同106,107ページ)は,「国家賠償法も,私法制度の中で,民法の特別法の地位にあるものと認むべく」としてはいるものの,これも国賠法が適用された結果発生する賠償義務が民事上のものであることを指摘するにとどまり,同法の規律する法律関係(生活関係)が国家利益と直接関係しないことまで意味するものではなく,控訴人らの主張の根拠となり得るものではない。まして,山内教授の見解(同107ページ)は今村教授の見解を引用するものにすぎない。 そして,「権力作用に基づく不法行為に民法の適用がないとされたのは,民法自体の内在的論理の帰結というよりも,国家無責任の原則と,行政国家制度に由来する厳格な公法・私法二元論に由来するもので,この建前が二つながら抛棄された現行制度の下においては,民法の適用を原理的に排除すべき根拠は失われたと見てよいと思う。」(今村・国家補償法86ページ)という記述からすれば,同教授も旧憲法下においては,国家の賠償責任のいう法律関係が公法の分野に属していたことも当然の前提とするものと解され,この点においても,控訴人らの主張をそのまま根拠づけるものではない。
(エ) 結局,公権力の行使に伴う損害賠償責任についての法律関係は,国家的利益との結びつきが強固なものであって,もともと公法的法律関係に属しており,私法的法律関係には属しておらず,このような法律関係は,本来,民法の適用を受けないものであって,国賠法1条1項において定められた国の賠償責任は,上記のような公法的法律関係についての国の責任を創設的に認めたものと考えるのが相当である。
そして,このような国賠法の公法的側面は,その立法過程にも端的に表われている。すなわち,国賠法の立法に当たっては,当初,民法中の不法行為編を改正して国家賠償に関する規定を挿入するとする案が提示された。ところが,国,公共団体の公権力行使の関係は私法的法律関係ではなく,民法に入れるのは立場が違い不適当とされて,民法への編入はされず,国賠法という独自の法律が制定されたのであって,こうした立法の経過(古崎慶長・国家賠償法7ないし9ページ)に照らしても国賠法の予定する法律関係は,民法上のそれと異なることは明らかである。
(2)ところで,控訴人らは,国賠法に基づく損害賠償請求権を私法上の金銭債権であるとした最高裁判所昭和46年11月30日判決(民集25巻8号1389ページ)を引用し,自らの主張の根拠とする(控訴人ら第1準備書面107ページ)
しかし,上記最高裁判決は国賠法を適用した結果として発生した損害賠償請求権を私法的規律に服するものとしたものであって,その責任原因を規律する国賠法が公法か私法かについて判断したものではない(この点につき同判決についての野田宏・最高裁判所判例解説昭和46年度民事篇425ページ参照)。ここでも控訴人らは,国際私法の適用対象を画するものとしての「法律関係」という語の意味を取り違えて理解しているのである。したがって,上記最高裁判決を根拠二国賠法が私法規定であるということはできない。
(3)また,控訴人らは,国家賠償請求の問題が公法的法律関係であるとすると,公法の属地的適用の原則が妥当し,極めて不合理なこととなると主張する(控訴人ら第1準備書面108ページ)。
しかしながら,控訴人らの立論を前提とすると,公権力の行使に伴う損害賠償の問題について,法例11条1項が適用され,その結果,不法行為地である当該外国の民法が適用されることに帰着するが,このような結論は,我が国の国家権力の発動の違法性等について,我が国を単なる一私人と見立てた上,他国の私法がこれを裁くことを意味する。しかしながら,このような結論は,我が国の法体系の在り方,すなわち,公権力の行使に伴う加害行為については,民法上の不法行為と異なる法的取扱いがされていることに照らすと到底考えられないことである。控訴人らの主張は,本来重視されるべき国家利益との結びつき及びその程度という視点を無視するものであって失当である。
以上のとおり,公権力行使に伴う損害賠償の問題も法例11条が適用されるべき私法上の不法行為の問題であるとする控訴人らの上記主張は失当である。
(4)なお,控訴人らは,原判決が,国賠法6条の「相互の保証」を規定していることは,国賠法が国家の利害と深く関係していることを示すものと判示したことに対し,相互保証規定は,私法上の権利である無体財産権に関する特許法25条等にも定められているから,相互保証規定があることをもって,民法の領域と異なることになるとはいえないと主張する(控訴人ら第1準備書面109ページ)。
しかしながら,控訴人らの上記主張は原判決及び被控訴人の主張を正解しないものである。被控訴人は,単に国賠法6条に相互主義を定める規定があるから国賠法における法律関係は公法であるなどと主張しているのではなく,国賠法の相互保証の規定が国家利益の確保という観点から設けられたものであるから公法であると主張しているのである。すなわち,国家賠償制度は賠償により事後的ではあるが公権力の行使の在り方を抑制する作用を営むものであるのに対し,特許法等の規定は公権力の行使の在り方を規制するものではない。国賠法の相互保証の規定は,国家と国家の問における国家賠償制度の内容(公権力行使の抑制の在り方)の均衡を図り,併せて他国に対して日本人被害者を救済する立法をさせようという法政策に基づくものであって,正に,国家賠償が国家の利害そのものに深く関係していることの証左というべきである。
したがって,控訴人らの上記批判は失当である。
2 国際私法の法律関係の性質決定について
(1)次に,法例11条適用の有無を検討するに当たっては,同条にいう「不法行為」という法律概念が,控訴人らの主張する法律関係を包摂するかどうかが検討されなければならない。換言すれば,同条にいう「不法行為」という法律概念が上記のような法律関係を対象としていないのであれば,同条を適用する余地はない(池原・前掲国際私法(総論)95ページ,山田・前掲国際私法46ページ)
法例11条の「不法行為」という法律概念の事項的適用範囲を画定することは,国際私法における法律関係性質決定の問題であるが,この問題は,「不法行為」という国際私法規定の解釈問題であって,具体的には,各国際私法規定の精神・目的ないし趣旨とされるところに従い,各国実質法の比較検討等を通じて決定される事項である(池原・前掲国際私法(総論)115ページ,山田・前掲国際私法52及び53ページ)
そして,その際には,前述の現代の国際私法が国家利益に直接反映される公法の領域を扱わず,私法の領域のみをその対象としているという国際私法固有の考え方を十分に考慮すべきである。
(2)そこで,比較法的な観点から各国の実質法等を検討してみると,本件のような公権力の行使に伴う不法行為については,次のように,一般不法行為とは異なる取扱いがされている。
ア アメリカ合衆国では,1946年に連邦不法行為請求権法が成立するまでは,主権免責の法理により連邦が責任を負うことはなく,それ以降も,同法2680条において「正当な注意を払った法令執行行為あるいは裁量権能の行使・不行使,郵便関係,租税・関税の賦課徴収,海事事件,敵国通商規制,検疫,暴行・殴打・違法拘禁・違法逮捕・悪意ある訴追・訴訟手続の濫用(以上の6種については警察官等によるものを除く)および名誉毀損・不実表示・詐欺・契約上の権利に対する干渉等,国庫の運営あるいは金融機関の規制,戦時の軍隊の戦闘行為,外国における事件,テネシー渓谷公杜の活動,パナマ運河会杜の活動,連邦土地銀行等の活動については,1346条(b)〔指定代理人注:同条は連邦地方裁判所の管轄権についての規定である。〕と本章の規定は適用されず,連邦政府は責任を負わない。」とされている(植村栄治・「各国の国家補償法の歴史的展開と動向一アメリカ」国家補償法体系I135ページ)。
イ 最近の国家賠償法である中華人民共和国国家賠償法(1994年5月12日公布,1995年1月1日施行)33条は,@「外国人,外国企業及び組織が中華人民共和国の領域内において中華人民共和国の国家賠償(同法7条によれば,正確には国ではなく賠償義務機関となる。)を請求する場合には,この法律を適用する。」,A「外国人,外国企業及び組織の所属国が中華人民共和国の公民,法人その他の組織の当該国の国家賠償請求の権利につきこれを保護せず,又は制限している場合は,中華人民共和国は,当該外国人,外国企業及び組織の所属国と対等原則を実行する。」と規定し(法務大臣官房司法法制調査部職員監修・現行中華人民共和国六法139ページ),相互保証主義を採用している。
ウ 大韓民国の国家賠償法(1967年法律第1899号)は,9条において,賠償審議会の賠償金支給の決定を経た後でなければ損害賠償の訴訟を提起することができないとして,賠償審議会前置主義を採用しているとされる(古崎慶長・国家賠償法84ないし90ページ。)
エ イギリスの国家賠償責任法としては、1947年に制定された国王訴追法がある(それ以前は主権免責の法理により国は責任を負わなかった。).が,その例外として,司法権の行使による損害については責任を負わず,軍隊の行動による損害については,極めて責任を負う場合が制限されているほか,国王大権としての免責があるとされ,また,国に対し損害賠償認容判決は執行できないとされている(古崎・前掲国家賠償法47ないし58ページ)。
オ スイスにおける国家賠償法として連邦責任法があるが,同法においては,軍隊に所属する者による損害は,同法の適用はなく,損害が平時の軍事演習中又は現役の時に生じた限りにおいて別の法令の定めに従って連邦が責任を負うとされているほか,連邦責任法上の請求は,公法上の請求とされ,まず,大蔵関税省へ請求するものとされ,同省が,請求を却下するか,3か月以内に処理しない場合、行政庁の却下宣言から6か月以内に,行政裁判所としての連邦裁判所に提訴できるとされている(古崎・前掲国家賠償法76ないし82ページ)。
カ このように,諸外国の国家賠償制度を見ても,相互保証主義,行政機関への前置主義等各国独自の国家利益を反映した法制度が採用されていることがうかがわれ,一般の私法と異なる取扱いがされていること,及びその結果として一般的な法の互換性が存在しないことが明らかである。
(3)また,国家賠償に関する諸外国の裁判例をみても,旧西ドイツでは,公務員の国外における職務違反については,西ドイツ法の適用があるとされ,その他,フランス,イタリア及びオーストリアでも同様とされている(山内惟介・「国家賠償法と相互の保証」渉外判例百選(第三版)別冊ジュリスト133号256ぺージ)。
(4)そして,我が国の公権力行使に起因する損害賠償に関する法体糸については,前記1(1)イで述べたとおりであるが,上記の比較法的視点をも併せ検討すれば,法律関係の性質決定として,公権力行使に伴う国家賠償の法律関係は,法例11条にいう「不法行為」概念に包摂されないものといわざるを得ず,本件では,法例11条が適用される余地はないというべきである。
3 法例11条の適用の可能性についての小括
以上述べたところからすれば,本件で控訴人らが主張する被控訴人の行為については,法例11条の適用も,これを前提とする中国国内法の適用もない。
したがって,中国民法を根拠とする控訴人らの請求は,本来適用されない法令に基づく請求であり,法的根拠を欠くものとして棄却を免れない。
4 日本法の累積適用について
(1)累積適用の内容について
ア 上記に述べたとおり,本件請求については,我が国の法律に基づいてその根拠たる要件事実が主張されるべきであるが,仮に控訴人らの主張するように法例11条の適用があるとしても,以下に述べるとおり,不法行為の成立には同条2項,3項により,日本法が累積適用されるから,いずれにしても,日本法の要件事実の主張,立証を欠くことはできない。
すなわち、法例11条1項は,「・・・不法行為二因リテ生スル債権ノ成立及ヒ効力ハ其原因タル事実ノ発生シタル地ノ法律ニ依ル」と定め,不法行為の成立及び効力に関するすべての問題に不法行為地法を適用するとしている。一方,同条2項は,「前項ノ規定ハ不法行為ニ付テハ外国ニ於テ発生シタル事実カ日本ノ法律ニ依レハ不法ナラサルトキハ之ヲ適用セス」と定め,不法行為の成立について法廷地法である日本法の適用を規定する。このように法例が不法行為の成立につき,1項において不法行為地法主義を採りながら2項を置き,法廷地法主義との折衷主義を採ったのは,内国公序の立場から,日本法に照らして不法行為でない行為を不法行為として救済を与える必要がないとするものである。すなわち,法例の規定は,不法行為地法と日本法との一般的な累積適用を認めたものとして,両者の要件をともに具備しなければ不法行為が成立しないとするものである(山田・前掲国際私法323ページ,東京地裁昭和28年6月12日判決・下民集4巻6号847ページ同旨)。
また,前記のように,法例11条1項は,効力に関わるすべての問題についても不法行為地法によるとしている。これら効力に関する問題としては,損害賠償請求権を取得する者の範囲,損害賠償の範囲及び方法といった事項はもとより,発生した損害賠償請求権の譲渡性,相続性,時効等の問題等がある(山田・前掲国際私法322ページ)。しかし,効力の問題についても,同条3項は,「…被害者ハ日本ノ法律カ認メタル損害賠償其他ノ処分ニ非サレハ之ヲ請求スルコトヲ得ス」と規定し,不法行為の効力の問題全般について,日本法を累積的に適用するものとしている。そして,このような規定を置いた法例の趣旨は,結局,日本の裁判所が日本法上不法行為であると認め,日本法の認める範囲内においてのみ不法行為による救済に助力するということにほかならない(山田・前掲国際私法324ページ)。
以上のとおり,法例11条1項を根拠とする控訴人らの請求については,同条2項,3項が適用されることにより,不法行為の成立及び効果の双方について,不法行為地法と法廷地法とが累積的に適用されることになる。
したがって,控訴人らは,その主張する行為が損害賠償請求権の発生根拠としての不法行為に該当するというためには,当該行為に係る日本法の要件事実についても主張立証しなければならない。
イ これに対し,控訴人らは,法例11条3項の適用範囲は,損害賠償の範囲及び程度に限られ,時効及び除斥期間の問題は含まれないと主張する(控訴人ら第1準備書面115ページ)。
(ア) しかし,法例11条2項及び3項については,前記のとおり,不法行為の成立はもとより,効果の面においても日本法が累積適用されるとするのが通説である(中野俊一郎・基本法コンメンタール国際私法72ページ参照)。このことは,佐野寛・「法例における不法行為の準拠法一現状と課題」(ジュリスト・1143号51ページ)も,国際私法の通説は,法例11条2項,3項の規定を日本法上不法行為とされないものについてまで不法行為による救済を認める必要がないことを示したものと理解し、不法行為の成立と効力の全面にわたって日本法が累積適用されるものと解していることからも明らかである。
(イ) 山田教授も,「不法行為の成立について日本法の干渉を全面的に認める法例の趣旨からすれば,効力についても最後の説(指定代理人注:損害賠償の方法だけではなく損害賠償の額をも制限しているとする説)を妥当とすべきであろう。」と論じている上,同条2項及び3項の規定の性質に言及し,「法例が折衷主義を採り,法廷地法の干渉を認めるのは,日本の裁判所が日本法上不法行為と認め日本法の認める範囲内においてのみ不法行為による救済に助力するという趣旨である。」と論じているのであって(山田・前掲国際私法324ページ),これらの論述に照らせば,山田教授も,法例11条2項及び3項について,不法行為の効力のうち,損害賠償の方法及び額だけに限定する趣旨ではないというべきである。
(ウ) また,法例11条1項にいう不法行為の効果に含まれる事項について,江川英文・「国際私法」250ページは,「法例は不法行為の効力についても不法行為地法(事実発生地法)によるべきことを原則としている。従って,不法行為の効力に関するすべての問題もまづ不法行為地法の適用を受ける。」とし,その事項として,「不法行為によって発生した債権の運命も不法行為の効力の問題に他ならない。従って,不法行為債権の譲渡性,相続性又は消滅時効の客体となるか,また他の債権と相殺しうるか等の問題」(同書251ページ)を挙げ,その上で法例11条3項について「不法行為の効力につき日本法の干渉を一般的に認めたもの」との説を正当としている。また,溜池・前掲国際私法講義390ページにおいても,「債権がいかなる事由により消滅するかは,債権の効力の一態様であるから,原則として,その債権の準拠法によるべきである。したがって、債権の消滅原因となるべき弁済,相殺,更改,免除,消滅時効などの要件及び効力は,原則として,その債権の準拠法による。」とし,その上で,法例11条3項について,「本項の趣旨は,不法行為の効力に関して全面的に日本法による制限を認めたものと解するのが自然であるとおもわれる」(同書377ページ)としているのである。
そうすると,法例11条3項によって全面的に累積適用されるべき不法行為の効力にかかる事項には,通常債権の消滅にかかる事項も含まれて議論されているというべきである。そして,債権の効力の一事項としての債権の消滅にかかる準拠法が法例11条1項により原則として不法行為地法である外国法によることになるものの,日本法上不法行為として救済を認める必要がないものまで外国法の準拠法によることはないという同条3項の趣旨からすれば,債権の効力の一事項としての債権の消滅にかかる事項についても,日本法の累積適用を認めるべきことになる。
(2)日本法の適用について
以上のとおり,控訴人らの請求は,いずれにしても日本法の要件を充足しなければならない。
しかるとき,法例11条2項により,不法行為の成立について不法行為地法と日本法とが累積的に適用されることとなる。本件において控訴人らが主張する旧日本軍人ら公務員の行為は,国家の権力的作用であって,我が国の国賠法施行前においては、国の権力的作用については民法の不法行為法(709条以下)の適用は排除され,国の損害賠償責任は否定されていた(国家無答責の法理)。そして,その後,日本国憲法17条に基づき制定された国賠法附則6項は,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と定めたから,国賠法施行前の旧日本軍人の行為に関する損害賠償請求は国家無答責の法理により,その法的根拠を欠くものというほかない。
また,仮に,本件において控訴人らの主張するように法例11条の適用を考えてみても,同条3項の適用により,不法行為の効力について不法行為地法と法廷地法とが累積的に適用される。そして,控訴人らの請求は,その主張に係る不法行為の時から既に20年以上が経過した後にされたものであるから,法廷地法である我が国の民法724条後段によりその請求権が消滅している。
控訴人らは,国家無答責の法理及び民法724条後段の適用につき,るる主張するが,控訴人らの主張が失当であることは既に述べたとおりである。
(3)行為時を基準とすべきことについて
なお,控訴人らは,「ここで(重畳:引用者注)適用すべきは,裁判時の法廷地法である。なぜならば,裁判において抵触が問題となる法廷地の公序は,当然,裁判時の公序であり,裁判時の公序と関わるのは,裁判時の法廷地法だからである。」(控訴人ら第1準備書面110ページ)とか,「法例11条2項により日本民法が累積適用されるとしても,・・・適用されるのは,裁判時の法廷地法であり,国家無答責なるものが適用されるものではない」(同114ページ)などと主張する。
しかしながら,前言のとおり,最高裁判所平成15年4月18日第二小法廷判決は,法律行為がされた時点では公序に反しなかったが、その後に公序が変化した場合の法律行為の有効性について,「法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは,法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきである。けだし,民事上の法律行為の効力は,特別の規定がない限り,行為当時の法令に照らして判定すべきものであるが(最高裁昭和29年(ク)第223号同35年4月18日大法廷決定・民集14巻6号905頁),この理は,公序が法律行為の後に変化した場合においても同様に考えるべきであり,法律行為の後の経緯によって公序の内容が変化した場合であっても,行為時に有効であった法律行為が無効になったり,無効であった法律行為が有効になったりすることは相当ではないからである。」と判示しているところであって,この理は,国家無答責の法理にも妥当するのであり,明治憲法下において合理性のあった国家無答責の法理を日本国憲法を前提とする現在の価値観によって否定して,特別の規定がないのに,無答責であった行為につき,賠償責任を認めることは法の解釈として許されないというべきである。
1 控訴人らの主張
控訴人らは,被控訴人はヘーグ陸戦条約3条に基づき国際法上の国家責任として損害賠償責任を負うから,「細菌戦被害の救済に関する立法不作為は,上記最高裁判例(最高裁昭和60年判決のこと:引用者注)の判断基準に照らしても,まさに最高裁判例のいう「例外的な場合」に該当する」(控訴人ら第1準備書面125ページ)として,立法不作為が違法である旨主張する(同122ページ以下)。
2 被控訴人の反論
しかし,控訴人らの主張が失当であることについては,被控訴人の原審被告準備書面(7)60ページ以下に述べたとおりであるから,これを援用する。
控訴人らは,その主張の根拠として,被控訴人がヘーグ陸戦条約3条に基づき国際法上の国家責任として損害賠償責任を負うとするが,そのような国家責任を履行するための具体的な法律を立法すべき作為義務は,憲法上,明文をもって定められておらず,また,憲法解釈上,その存在が一義的に明白ともいえないから,その立法不作為が違法とされる余地はない。
なお,控訴人らが原審において引用した山口地方裁判所下関支部平成10年4月27日判決(いわゆる従軍慰安婦等に対する補償立法の不作為に関するもの)は,広島高裁平成13年3月29日判決(判例時報1759号42ページ)により取り消されたところ,さらに,これに対する一審原告らによる上告及び上告受理の申立てに対して,最高裁判所第三小法廷は,平成15年3月25日,上告棄却及び上告不受理の各決定を行った。
このように,立法行為についての国家賠償法の違法性判断基準に関する判例の枠組みは確立したものといえる。
したがって,控訴人らの主張は失当である。
なお,日中共同声明に関する控訴人らの主張については,後記第8で反論する。
1 控訴人らの主張の要旨
控訴人らは,「細菌戦を実行した被控訴人は,自らの犯した戦争犯罪を真に反省し,戦後直ちに事実調査をなし被害者らを救済する措置をとらねばならなかった。」(控訴人ら第1準備書面155ページ),「被控訴人の行政機関である内閣・・・は,とりうる救済措置があった(戦後直後においても少なくとも事実を調査し解明することは可能であった)にもかかわらず・何の救済措置もとらなかったばかりか,自ら犯した細菌戦の戦争犯罪を隠蔽し続けたのである。」(同156ページ),「被控訴人内閣の上記作為義務の不履行により,控訴人らには,1940年代の本件細菌戦による被害のほかに二次被害ともいうべき別個の新たな被害(精神的苦痛の倍加)が発生している。」(同ページ)などと主張するが,これらの控訴人らの主張は要するに,控訴人らの主張する戦時中の旧日本軍の違法行為を先行行為として・被控訴人が法律上の作為義務を負うとするものと思われる。
しかしながら,控訴人らの主張は,それ自体失当である。
2 被控訴人の反論
(1)控訴人らの主張するような法律上の作為義務を被控訴人が負わないことについて
たしかに,先行行為に基づき作為義務が生じ,不作為の違法行為が認められる場合がある(例えば,レールの置き石行為に関する最高裁昭和62年1月22日第一小法廷判決・民集41巻1号17ページ。以下「最高裁昭和62年判決」という。)。
しかし,控訴人らの前記主張は,最高裁昭和62年判決のように「先行行為によって損害を発生させる危険を生じさせた者」が「損害の発生を防止する義務を負う」ことと,控訴人らが本件において主張するように「先行行為によって既に被害を発生させた者」が「被害拡大を防止する義務を負う」こととを混同している。すなわち,前者は不作為による不法行為の問題となるが,後者においては,その先行行為なるものは不法行為そのものであり,拡大損害について,それが当該行為と事実的因果関係のあることを前提として,さらに損害賠償義務を負うかどうかは相当因果関係(保護範囲)の有無の問題となるのであって,不作為による不法行為は問題となる余地がないのである。
控訴人らは,先行行為として旧日本軍による細菌戦という被控訴人の権力的行為による不法行為を主張しているのであるから,本件が後者の問題であることは明らかである。
そして,控訴人らの主張する作為義務は先行行為の存在を前提とするものであるところ,その作為義務発生の根拠となる先行行為とは不法行為そのものをいうのであるから,結局,控訴人らの先行行為による作為義務を基礎とする国家賠償責任の主張は,国家無答責の時代における権力的行為による不法行為責任を形を変えて主張しているにすぎないものである。このような主張は,国家賠償法附則6項が「この法律施行前の行為にもとづく損害については、なお従前の例による。」として,国家賠償法施行前の行為に基づく損害について国家が責任を負わないことを明確にした趣旨に反することは明らかであって,失当である。
(2)内閣が控訴人らの主張する作為義務の主体となる根拠が明確にされていないことについて
上記のとおり,控訴人らは,行政不作為に基づく国賠法上の損害賠償請求における作為義務の主体は「内閣」であると主張する。
しかしながら,控訴人らは,内閣の行為の国賠法上の違法を検討することなく,「国」の作為義務を想定し,これを内閣に割り振った結果,内閣を本件における作為義務の主体であると主張するものであって,このような理解は国賠法の基本的な法構造に反するものであり,失当といわざるを得ない。
すなわち,国賠法1条1項は国又は公共団体の代位責任を規定したものであるから,公務員の行為を検討することなく,国自身が先行的に義務を負担することはあり得ない。これは確立した判例の立場であり(最高裁昭和60年11月21日判決・民集39巻7号1512ページ等),そうである以上,公務員の個々の国民に対する職務上の法的義務の有無及び内容の確定と,その義務に係る義務違反の有無によって,当該公務員の行為の違法性判断がされるべきなのである。
また,公務員の不作為が国賠法1条1項において違法とされるためには,当該公務員に作為義務が存し(最高裁平成3年4月26日第二小法廷判決・民集45巻4号653ページ),かつ,当該作為義務が,公務員が当該国民に対して負う個別具体的な職務上の法的義務と評価できるものでなければならず,行政の内部的作為義務であったり,単なる抽象的一般的なものでは足りない(古崎慶長「国家賠償法の理論」79ページ)。
したがって,控訴人らが,内閣の不作為を国賠法上の違法と主張するのであれば,内閣が当時の具体的状況下において,当該国民等に対して負う個別具体的な職務上の法的義務に違反したこと,すなわち,内閣に,個々の控訴人らに対する関係で,いつの時点でいかなる施策を採るべき法的義務があり,その義務違反があったかについて,内閣の職務権限に基づいて主張することを要し,これらを欠く控訴人らの主張は失当である。
3 小括
以上のとおりであるから,被控訴人の行政不作為をいう控訴人らの主張は失当である。
控訴人らは,「隠蔽による権利行使妨害の不法行為」と題して,控訴人らの請求を排斥した原判決をるる論難する(控訴人ら第1準備書面176ないし194ページ)。 しかし,控訴人らの上記主張が失当であることは,被控訴人の原審被告準備書面(7)77ないし81ページで述べたとおりであるから,これを援用する。
1 本主張の主旨
仮に控訴人らの主張する旧日本軍の行為により,控訴人らに何らかの請求権が成立したとしても,日本国と中華民国との問の平和条約(以下「日華平和条約」という。)11条及び日本国との平和条約(以下「サン・フランシスコ平和条約」という。)14条(b)により戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた中国国民の請求権は,国によって「放棄」されている。日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(以下「日中共同声明」という。)5項にいう「戦争賠償の請求」は,かかる「請求権」を含むものとして,中華人民共和国がその「放棄」を宣言したものである。
したがって,このような請求権は,サン・フランシスコ平和条約の当事国たる連合国の国民の請求権と同様に,国によって放棄されており,これに基づく請求に広ずべき法律上の義務が消滅しているので,救済が拒否されることになる。
この点に関しては,平成14年4月26日,福岡地方裁判所において,日中共同声明について誤った理解の下に判断を下した判決(福岡地裁平成14年4月26日判決・判例タイムズ1098号267ページ。以下「福岡地裁判決」という。)が出され,また,控訴人らは,日中共同声明に関し,独自の主張を展開している(控訴人ら第1準備書面74ページ以下,128ページ以下参照)ことから,被控訴人は,本準備書面において,我が国の戦後外交の基盤をなす,「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」(以下「日中平和友好条約」という。)及びサン・フランシスコ平和条約等に関し,その法的意義について明らかにすることとする。
なお,控訴人らが主張する損害賠償請求権は,国際法上も国内法上も法的根拠を有しないというのが被控訴人の一貫した主張であり,日中共同声明に係る主張は,本件訴訟においては,予備的なものである。
2 福岡地裁判決について
(1)福岡地裁判決は,中国から三井鉱山株式会杜(以下「三井鉱山」という。)が経営する炭鉱に強制連行され労働を強いられたとする中国人らが,国と三井鉱山に対して損害賠償を請求した事案に関するものであるが,中国国民の損害賠償請求権と日中共同声明及び日中平和友好条約との関係について,要旨次のように判示した。
@ 日中共同声明5項は,「中華人民共和国政府は,日中両国民(ママ)の友好のために,日本国に対する損害賠償(ママ)の請求を放棄することを宣言する。」とされ,日中平和友好条約において。日中共同声明の5項の宣言が厳格に遵守されるべきことが確認されている。
A しかし,他方,サン・フランシスコ平和条約締結当時,中国は、中国国民が日本国政府に対して,日中戦争において被った損害の賠償を請求し得るとの立場を採っており,また,昭和62年ころから,中国国内では、日本国政府に対して上記損害の賠償を行い得るとの見解が支持されるようになり,当時の「銭其探副首相兼外相」(ママ)が,平成7年3月9日(ママ),日中共同声明で放棄したのは,国家間の賠償であって,個人の賠償請求は含まれず,補償請求は国民の権利であり,政府は干渉すべきではない旨の見解を示したことなどの事情を考慮すると,日中共同声明及び日中平和友好条約により,中国国民固有の損害賠償請求権が,中国政府によって放棄されたかについては。法的にも疑義が残されていたものといわざるを得ない。
B したがって,原告らの損害賠償請求権が,日中共同声明及び日中平和友好条約により、直ちに放棄されたものと認めることはできない。
(2)しかしながら,福岡地裁判決は,そもそも日中共同声明等の解釈につき,中共同声明等の当事者である日本国政府の見解を正解せず,これを考慮していないばかりでなく,中国政府の公式見解をも考慮せずに,原告らが摘示したわずかな傍証的,断片的な事情のみに依拠して,日中間の外交関係の基盤をなす日中共同声明等の条項を恣意的に解釈したもので,その判断は失当といわざるを得ない。
3 日中共同声明等に関する政府見解
我が国政府の見解は,先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の問題については,サン・フランシスコ平和条約その他二国間の平和条約及びその他関連する条約等に従って誠実に対応してきているところであり,これら条約等の当事国との間では法的に解決済みであって,日本と中国との間の請求権の問題についても,1972年(昭和47年)9月29日に署名された日中共同声明(同声明5項は,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」とされている。)発出後,個人の請求権の問題も含めて存在しておらず,このような認識は,中国政府も同様であると認識しているというものである。
このような政府の見解は,国会の審議など様々な機会に,繰り返し明らかにされているところであり(乙第47号証ないし第50号証),また,日中共同声明については,「共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し,」日中平和友好条約が締結されたものである(同条約前文)。
4 戦後処理の枠組みをなすサン・フランシスコ平和条約について
(1)第二次世界大戦後の賠償並びに財産及び請求権の問題の解決のあり方
ア そもそも戦争による被害は,戦争の勝敗とは無関係に,戦争当事国のみならず,その当事国相互の国民の広範囲に発生するものであり,特に第一次世界大戦後の近代の戦争は,国家間の全面戦争の形態をとり,その被害は,全国民が被る結果となっている。
かかる戦争行為によって生じた被害の賠償問題は,戦後の講和条約によって解決が図られるが,一般的に賠償その他戦争関係から生じた請求権の主体は,国際法上の他の行為より生じた請求権の主体と同様,常二国家であり,例外的に条約で,被害者である国民個人に対して,請求権者として直接必要な措置をとる方法を設けた場合以外は,国民個人の受けた被害は,国際法的には国家の被害であり,国家が相手国に対して固有の請求権を行使することになる(入江啓四郎・日本講和條約の研究248ページ参照・乙第51号証)。
第一次世界大戦後に締結されたベルサイユ条約においては,ドイツは,交戦期間内に,陸上,海上及び空中の攻撃により同盟・連合国の国民やその財産に対して加えられた一切の損害を補償すべきものとされ(同条約232条),国家問の賠償責任が認められたほか,混合仲裁裁判所の制度を規定し,国民個人がドイツに対して,混合仲裁裁判所に提訴して,個人的な物的損害の賠償請求をすることを認めた(入江・前掲日本講和條約の研究249ページ参照・乙第51号証)。
しかし,同条約による賠償責任は,単に同盟・連合国の被った損害を賠償させようという観念にとどまり,ドイツの経済能力などを無視したものであったため,賠償総額は巨額となり,その結果,ドイツ経済の破綻,ヒットラー政権の出現を招き,ベルサイユ条約そのものがかえって紛争の火種をその後に残す結果となった。
イ 第二次世界大戦後においては,このようなベルサイユ条約における失敗の反省から,戦後賠償問題の解決に当たって,当事国内部の利害を調整した上で,当事国が国家及びその国民が被った被害を一体としてとらえ,相手国と統一的に交渉することとして賠償問題に最終的な決着を図ることとし、その交渉の結果,締結に至る講和条約等は,戦後の国際的枠組みを構築する上で,適正かつ妥当な解決を目ざすものと位置づけられ,当事国及びその国民の相互の真の意味での和解の印として,その後の当事国及び相互の国民の友好関係の基盤となることを目的とした。
そのため,このような講和条約の枠組みの下では,戦後賠償は,原則として国家間の直接処理,又は求償国内の旧敵国資産による満足の方法によることとして解決が図られ,個々の国民の被害については,原則として,賠償を受けた当該当事国の国内問題として,各国がその国の財政事情等を考慮し,救済立法を行うなどして解決が図られている(入江・前掲日本講和條約の研究250ページ参照・乙第51号証)。
なお,このような近代戦争における戦後処理の枠組みの在り方については,オランダ国民が第二次世界大戦中に日本軍の行為によって受けた被害について,日本国に対して損害賠償を請求した事案に関する東京高等裁判所の判決(東京高裁平成13年10月11日判決・判例時報1769号61ページ)においても,「国家のみに損害賠償請求権を認めることによってこそ,賠償の問題を,被害者間に公平に,また,戦後世界の実情に即して適正に解決することができるというべきである。また,戦争による被害の解決というものは,戦争状態を終わらせて,戦争状態にあった国家及びその国民の間に平和的な関係を築くためにもされるのであるが,そのような公益を実現するためにも,国家が被害を一体としてとらえて,統一的に相手国に賠償を請求し,外交交渉を経て,合意に達することの方が,はるかにその目的に沿うのである。もし,被害者が,それぞれ個別に請求できるとすると,国家は,個別に委任を受けたものに限り,被害者を代理して相手国との交渉に望まねばならない。しかし,それでは,全ての被害者の被害について,一挙に解決することができない。そのために,戦争状態にあった国家及び国民の間で戦争状態を終わらせることが,極めて困難になるであろう。戦争状態の終結は,交戦当事者のみならず,多数の関係国とその国民にとっても必要なことである。それは戦後世界にとって,重要な公益であって,それが一部の者の私益を優先することによって,害されてはならない。そうすると,被害者個人に加害国に対する直接の賠償請求権を認めることは,かえって問題を複雑にするというべきである。」と判示され(該当箇所同号70ページ4段日から71ぺ」ジ1段日),同様の理解が示されている。
(2)サン・フランシスコ平和条約による解決の基本的内容
ア サン・フランシスコ平和条約の基本的内容
同条約は,第二次世界大戦の連合国と我が国の間の戦争状態を終了させ,連合国最高司令官の制限の下に置かれた我が国の主権を完全に回復するとともに,戦争状態の存在の結果として未決の問題であった領域,政治,経済並びに請求権及び財産などの問題を最終的に解決するために締結されたものである(前文,1条)。
イ サン・フランシスコ平和条約における日本の賠償責任
このうち,請求権及び財産に関する条項(第5章)において,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,日本国が連合国に賠償を支払うべきことが承認されたが,同時に,すべての損害及び苦痛に対して完全な賠償を行いかつ同時に他の債務を履行させるためには,日本の資源は充分ではないことが承認された(14条(a)柱書)。このため,我が国は,自国が戦争中に生じさせたすべての損害及び苦痛に正確に対応する完全な賠償を行うことまでは求められず,以下に述べる義務等を履行することを求められた。
@ 日本国は,その領域が日本軍隊によって占領され,かつ,日本国によって損害を与えられた連合国のうち,希望する国との間で,生産,沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を提供すること(いわゆる役務賠償)」によって,与えた損害を当該連合国に補償するために,すみやかに交渉を開始しなければならない(14条(a)1)。
A 日本国は,外交及び領事財産等,一定の例外を除き。各連合国がその管轄下に有する日本国及び日本国民等の財産,権利及び利益等を差し押さえ,留置し,清算し,その他何らかの方法で処分することを認めなければならない(14条(a)2)。
@ 日本国は,日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に対する償いをする願望の表現として,中立国又は連合国と戦争状態にあった国にある日本国及びその国民の資産又はこれと等価のものを赤十字国際委員会に引き渡さなければならない(16条)。
ウ サン・フランシスコ平和条約に基づき日本国がした賠償等これらの規定に従って,我が国は,連合国に対して,多額の支払を行っている。
(ア) すなわち,上記イ@の14条(a)1に基づく役務賠償については,フィリピン及びベトナムとの間で賠償協定交渉を開始し,1956年(昭和31年)5月にフィリピンとの間で,また,1959年(昭和34年)5月にはベトナムとの間でも賠償協定の署名に至り,これらの協定に従って,フィリピンに対しては5億5000万ドル,また,ベトナムに対しては,3900万ドル相当の役務及び生産物を提供した(賠償問題研究会編・日本の賠償11ないし14ページ・乙第52号証)。
他方,米国,英国及びオランダ等,本条に基づいて賠償請求をなし得る連合国は,賠償請求権を放棄した。
(イ) 上記イAの14条(a)2に基づく連合国内に所在した財産の放棄については,連合国領域内にある約40億ドルの日本人資産は連合国政府に没収され,その収益は各国の国内法に従って連合国の国民に分配された(2000年8月17日付け米国政府の「利害関係声明書」邦訳8ページ・乙第53号証)。この約40億ドル(日本円にして約1兆4400億円)という日本人資産は,我が国の昭和26年度の一般会計の歳入である約8954億円をはるかに上回る金額であり(総理府統計局刊・第5回日本統計年鑑364ページ・乙第54号証),米国の場合には,米国領域内において差し押さえられた約9000万ドル(1952年の評価)の日本資産のうち,約2000万ドルが,1948年の戦争請求権法(the War Claims Act of 1948)に基づく救済制度に基づいて勾留者,市民及び戦争捕虜の請求権を処理するために使用された。
(ウ) 前記イBの16条に基づいて,我が国政府は,中立国及び連合国の敵国にある日本財産と等価の資金として,総額450万ポンドの現金を国際赤十字国際委員会に引き渡し,これは同委員会を通じて,オーストラリア,ベルギー,カンボディア,カナダ,チリ,フランス,ノルウェー,ニュージーランド,パキスタン,オランダ,フィリピン,イギリス,シリア,ベトナムの14か国の計約20万人の元捕虜に分配された。
(エ) さらに,後述するように,サン・フランシスコ平和条約の当事国とならなかった中国も、同条約14条(a)2の利益を得るものとされたことから,中国領域内にある日本国及び日本国民の資産の処分が認められた(同条約21条)。
(オ) 朝鮮については、サン・フランシスコ平和条約2条(a)において,「日本国は,朝鮮の独立を承認して,済洲島,巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。」と規定し,同条約4条(a)は,「日本国及びその国民の財産で第二条に掲げる地域にあるもの並びに日本国及びその国民の請求権(債権を含む。)で現にこれらの地域の施政を行っている当局及びそこの住民(法人を含む。)に対するものの処理並びに日本国におけるこれらの当局及び住民の財産並びに日本国及びその国民に対するこれらの当局及び住民の請求権(債権を含む。)の処理は,日本国とこれらの当局との間の特別取極の主題とする。」と規定していた。在韓米軍政府は,1945年(昭和20年)12月6日付け軍令第33号2条により,朝鮮半島にあった日本国及び日本国民の財産のうち,38度線以南のすべての日本国及び日本国民の財産を同年9月25日付けをもって取得し,その後,このようにして取得した財産を,1948年(昭和23年)9月11日付けの「財政及び財産に関する米韓間の最初の取極」5条によって韓国政府に引き渡していた。そして,我が国は,サン・フランシスコ平和条約4条(b)により,朝鮮半島内にあり,米国政府の指令に従って行われた日本国及び日本国民の財産についての処理の効力を承認しなければならないこととなった(谷田正躬ほか・日韓条約と国内法の解説(時の法令317号別冊)65ページ・乙第55号証)。
1946年(昭和21年)9月,外務省及び大蔵省の共管で設置された在外資産調査会による「我国在外財産評価額推計」によると,終戦当時,朝鮮に存在した日本財産の規模は,702億5600万円と報告されている(塚本孝・「戦後補償問題一総論(1)」調査と情報第228号7ページ・乙第56号証)。昭和21年度の我が国一般会計の歳入は,1188億円余りであり,又同年度の我が国の国民総生産は,4740億円余りであった(前掲日本統計年鑑359,364ページ・乙第54号証)。
なお,その後,我が国は,韓国との間においては,サン・フランシスコ平和条約4条(a)に基づく特別取極の締結のため,同条約締結から約13年の長期にわたる交渉を経て,昭和40年12月に,日韓基本条約,日韓請求権協定を始めとする1条約,4協定,1交換公文を締結するに至つた。この日韓請求権協定に基づき,我が国は,韓国に対して,3億ドルの無償供与及び2億ドルの長期低利の貸付という膨大な金額の資金供与を行い(昭和40年12月当時,我が国の外貨準備高は約21億ドル(財政金融統計月報176号〔大蔵省編〕),これと並行して請求権問題を最終的に解決することとし,日韓請求権協定2条1において,「両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と規定されたのである。
韓国では,これを受けて,1966年(昭和41年)2月に,「請求権資金の運用及び管理に関する法律」を,1971年(昭和46年)1月には,「対日民間請求権申告に関する法律」を,そして,1974年(昭和49年)12月には,「対日民間請求権補償に関する法律」をそれぞれ制定し,国内補償を実施したのである。
エ サン・フランシスコ平和条約締結の事情
このように,連合国のみならず中立国及び連合国の敵国の領域内にある日本資産の連合国による処分を容認し,さらに同様な処分の権利を中国に与えるとともに,朝鮮については,米国軍政府が日本財産について行った処理の効力を承認しなければならないというのは,過去の同種の条約には例を見ない厳しい内容の規定であるが,日本国政府としては,日本国が連合国軍による占領から一日でも早く独立し,主権国家として,国際社会に復帰した上,連合国と友好提携関係に入るためには,かかる過酷な条件を受け入れることもやむを得ないと考えて,同条約を締結するに至ったのである。
このことは,1951年(昭和26年)9月7日のサン・フランシスコ講和会議の第8回全体会議における,首席全権の内閣総理大臣吉田茂の平和条約受諾演説の中で、「ここに提示された平和条約は,懲罰的な条項や報復的な条項を含まず,わが国民に恒久的な制限を課することなく,日本に完全な主権と平等と自由を回復し,日本を自由かつ平等の一員として国際社会へ迎えるものであります。」「日本はこの条約によって全領土の45パーセントをその資源とともに喪失するのであります。8400万に及ぶ日本の人口は残りの地域に閉じ込められ,しかも,その地域は戦争のために荒廃し,主要都市は焼失しました。また,この平和条約は,莫大な在外資産を日本から取り去ります。条約第14条によれば戦争のために何の損害も受けなかった国までが日本人の個人財産を接収する権利を与えられます。かくの如くにしてなお他の連合国に負担を生ぜしめないで特定の連合国に賠償を支払うことができるかどうか,甚だ懸念をもつものであります。しかし,日本はすでに条約を受諾した以上は誠意をもって,これが義務を履行せんとする決意であります。わたくしは,日本が困難な条件のもとになお問題の円満な解決のためになさんとする努力に対して,関係諸国が理解と支持を与えられることを要請するものであります。」と述べている(西村熊雄・日本外交史27サンフランシスコ平和条約272ないし278ページ・乙第57号証)ことからもうかがい知ることができる。
このようにして,我が国は,先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の問題を解決するため,連合国との間で,サン・フランシスコ平和条約その他二国間の平和条約及びその他関連する条約等に従って誠実に対応してきたのである。なお,第二次世界大戦の際の同盟国であったイタリアも戦後連合国との間で平和条約を締結して,解決を図っている。我が国の戦後処理について,ドイツと比較されることがあるが,ドイツについては,戦後東西に分断されてきたこともあり,連合国との間で平和条約を締結できず,我が国のような平和条約に基づく国家尚での一括処理の方式は採り得なかった(現在においても,ドイツは連合国との間で」括処理のための平和条約を締結してない)。分断がいつまで続くか分からない状況にあって,旧西ドイツはナチスによる迫害の犠牲者に対する個人補償の形で多額の支払を行うことを決定し,今日に至っている。このように,ドイツと日本とでは,それぞれ置かれた国際環境が異なるのであって,それを同一視して論じることはできない。
オ 請求権放棄条項について
以上のようなサン・フランシスコ平和条約上の義務を履行するのと引換えに,同条約14条(b)では,「連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事経費に関する連合国の請求権を放棄する。」と規定された。
(ア) この14条(b)の請求権の放棄の意味解釈について,サン・フランシスコ平和会議において,オランダ代表団から,以下のとおりの問題が提起された(西村・前掲日本外交史301ないし303ページ・乙第57号証)。
すなわち,オランダ代表団は,サン・フランシスコ平和会議の事務レベルの交渉において,米国のダレス代表を通じて,日本代表に,@平和条約14条(b)による連合国の「戦争遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた」連合国民の請求権の放棄は国民の私権を消滅させるもの,すなわち,私権没収の効果を持つものではなく,オランダ国民は日本法廷に日本国政府又は日本国民を訴追できるが,オランダ政府は条約上これを支持する根拠を持たないとの意味である,という解釈に同意を求め,また,A戦争中,オランダ領東インドで日本軍に抑留された一般文民に対する補償問題について,オランダ政府は内政上の理由から,条約論としてでなく人道論として,好意的に考慮することを書面で明らかにすることを要望した。
(イ) これに対し,我が国側としては,@の問題について,法的に承服できない旨反論し,サン・フランシスコ平和条約14条(b)は,国民の私権を消滅させるもの,すなわち,私権没収の効果を持つものではなく,ただ条約の結果国民は請求権を日本国政府又は日本国民に対して追求してくることはできなくなることにとどまる旨の解釈をとり,それを書簡で確認する用意がある旨をダレス代表に伝えた。ダレス代表は,我が国側の主張を聞いて,「救済なき権利か。よくあることだ。」と言いながらノートをドラフトしたとされる。
その後,オランダ代表が,我が国の書簡案に同意しないことが明らかとなり,ダレス代表とオランダ代表部との間の交渉が行われた。その結果,1951年(昭和26年)9月5日となり,当初オランダ側が希望した書簡のやりとりを取りやめ,オランダ代表が議場で,一般陳述の中でその希望を述べ,これに対し,我が国は,その考え,すなわち,@の問題については,我が国の主張どおり,権利はあれど救済はないという見解を表明し,Aの問題については考慮する言質を与えずただ要望の存在は認めることを書面で先方に返事するという方式で解決することに落着した(西村・前掲日本外交史302,303ページ・乙第57号証)。
(ウ) そこで,オランダ代表であるスティッカー外務大臣は,同月6日午後の第5回全体会議の一般陳述において,前記オランダの希望を述べ(西村・前掲日本外交史261,262ページ・乙第57号証),同月7日,同外務大臣は,首席全権の吉田に対し,次のような書簡を送った。
「本大臣は,昨日本大臣が平和会議の議長及び各国代表に対して行った演説の次の如き一節に対し,閣下の注意を喚起したいと考えます。
連合国が放棄することに同意している第14条b項の『連合国及びその国民の請求権』の解釈について,若干の疑問が生じました。わが政府の見解としては,第14条b項は,正確なる解釈上,各連合国政府が自国民の私的請求権を剥奪することを包含しておらず,従って本条約発効後,この種請求権が消滅することにならないものと考えます。本問題は,わが政府を始め若干の政府は,自国民の私有財産の没収又は収用に関する憲法上及び他の法律上の一定の制約下にあるため,重要であります。又日本国政府が,良心ないし良識ある便宜手段の問題として,自発的に自らの方法で処置することを望むと思われる,連合国民のあるタイプの私的請求権があります。私は閣下が本問題に関し,本会議終了前に,その見解を述べられれば幸甚の至りと考えます。」(1951年9月7日付けオランダ・スティッカー外相発日本・吉田首相あて書簡・乙第58号証)。
これに対し,首席全権の吉田は,同月8日付けで,スティッカー外務大臣に対して,次のような書簡を送って,平和条約14条(b)に関する我が国の解釈を明らかにした。
「右閣下の書簡に述べられた問題に関し,本大臣は次のとおり申し述べる光栄を有します。
オランダ国政府の指摘された憲法上の法的制約については,日本国政府は,オランダ国政府が本条約の署名によって自国民の私的請求権を剥奪し,その結果本条約発効後は,かかる請求権はも早存在しなくなるものとは考えません。しかしながら,日本国政府は,本条約の下において連合国国民は、かかる請求権につき満足を得ることはできないであろうということ,しかしオランダ国政府が示唆する如く,日本国政府が自発的に処置することを希望するであろう連合国国民のあるタイプの私的請求権が存在することを,ここに指摘します。」(1951年9月8日付け日本首席全権吉田首相発オランダ首席全権スティッカー外相あて書簡・乙第59号証)
このような理解を前提に,連合国及びその国民と日本国及びその国民との相互の請求権は,平和条約により,完全かつ最終的に解決された。
(エ) 米国ダレス代表は,平和条約の賠償問題について,「合衆国は,日本がいつの日か経済状態を改善し,賠償を支払えるようになるかもしれないという可能性を十分に認識していた。それにもかかわらず,合衆国及び連合国は,1951年に,連合国の政府及びその国民のすべての請求権が平和条約で完全に且つ最終的に解決されることが全面的で永続的な平和には必要であると決定した。」と述べている(前掲米国政府「利害関係声明書」邦訳18ページ・乙第53号証)。
この平和条約によって,連合国最高司令官の制限の下に置かれていた我が国の主権は回復し,その基盤に立って,我が国はその後の政治的及び経済的発展を果たすことができたのである。
(オ) また,サン・フランシスコ平和条約においては,連合国及びその国民に対する日本国及び日本国民の賠償請求権についても,同条約19条(a)によって,「日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄」した。
(3)サン・フランシスコ平和条約14条(b)の解釈
ア サン・フランシスコ平和条約14条(b)の法的効果
連合国及びその国民と日本国及びその国民との相互の請求権は。サン・フランシスコ平和条約により,完全かつ最終的に解決されたものであるが,その法的効果の内容は次のとおりである。
(ア) 連合国の請求権に対する効力
連合国が日本国及び日本国民に有していた請求権は,同条項によって放棄された。この請求権には,戦時国際法違反等による国際法上の請求権のみならず,各国国内法に基づく債権も含まれていた(同条約4条去Q照)。
(イ) 連合国国民の請求権に対する効力
サン・フランシスコ平和条約14条(b)の文言上,連合国国民の請求権(債権を含む。)も連合国によって「放棄」された。その法的意義は次のとおりである。
@ まず,戦時国際法に基づくクレイムについてみれば,連合国国民が日本国の戦時国際法違反により損害を被ったとしても,国際法上,個人には法主体性が認められないのが原則であり,戦時国際法には例外的にこれを認める規定はないのであるから,連合国国民は,戦時国際法違反を理由として,日本国に対して,もともと国際法上の請求を行うことはできない。
A 次に,各国国内法に基づく請求権ないし債権についてみれば,連合国国民が各国国内法上日本国又は日本国民に対して有する請求権の平和条約による「放棄」がどのような意義を有するかは同条約の国内法的効力の問題であるが,我が国においては,平和条約の同条項によって,これらの請求権ないし債権に基づく請求に応ずべき法律上の義務が消滅したものとされたのであり,その結果,救済が拒否されることになる。
すなわち,平和条約が各国国内法に基づく債権を含む請求権(同条約4条(a))及び財産の問題を最終的に解決するために締結されたものであることからすれば(前記(2)ア),上記請求権ないし債権について何らの処理をしなかったものと考えることはできない。
そして,前記のオランダ代表と日本代表との交渉経過を見ると,我が国はオランダ政府に,条約の結果国民は請求権を日本国政府又は日本国民に対して追求してくることはできなくなるとの解釈を提示し(前記(2)オ(イ)),これに対するオランダ代表の意見を踏まえ,最終的には,「日本国政府が自発的に処置することを希望するであろう連合国国民のあるタイプの私的請求権」が残るとしても,平和条約の効果として「かかる請求権につき満足を得ることはできない」との解釈(前記(2)オ(ウ))で決着し,平和条約締結の中心的人物であるダレス米国代表も「救済なき権利」として問題を整理していたのである(前記2(6)イ)。
このような条約締結当時の経過からすれば,平和条約14条(b)にいう「請求権の放棄」とは,日本国及び日本国民が連合国国民による国内法上の権利に基づく請求に応ずる法律上の義務が消滅したものとして,これを拒絶することができる旨が定められたものと解すべきである。
(ウ) 直接適用の有無
次に,同条項が我が国内の裁判所において直接適用できるかが問題となる。
条約の規定が我が国の裁判所において直接的に適用できるというためには,主観的要件として,条約締約国が国内において直接適用を認める意思を有していることが必要であり,客観的要件として,規定内容が明確であることが必要であるとされている(東京高裁平成5年3月5日判決・判例時報1466号53ページ参照)。
そこで,この点を14条(b)について見ると,前記平和条約の目的やオランダ代表と日本代表との前記交渉過程及びダレスの前記発言等から,締約国が,各国内において,同条項により,連合国国民の日本国及び日本国民に対する請求を拒絶し得るものとする意思であったことが明らかであり,さらに,同条項の客観的な文言上も「放棄」という用語を用いて,当該請求を拒絶し得る法的効果を規定したことが明白かつ確定的に認められる。よって,同条項については,前記要件が充たされており,その内容を具体化する国内法を待つまでもなく,我が国の裁判所において直接的に適用が可能であることは明らかである。
したがって,我が国において,これに該当する裁判上の請求は,同条項の適用によって認容されないこととなる。
イ 米国政府の意見等について
(ア) このような平和条約による国家間の戦後処理が,請求権の問題の完全かつ最終的解決であることは,近時,米国において,第二次大戦中に,旧日本軍の捕虜となった元米国軍人らが日本企業の事業場で強制労働させられたと主張して,日本企業を被告として,米国内の裁判所に提訴した多数の損害賠償請求訴訟において,米国政府及び日本国政府が示した見解によっても明らかである。
この訴訟は,1999年7月15日,カリフォルニア州で成立した「補償に関して民事訴訟法に354節6項を追加し,即時に発効さすべき緊急性を宣言する法律」(提案者の名を採り「ヘイデン法」という。)に基づいて,連合国の元捕虜並びにフィリピン,韓国及び中国の民間人らが原告となり,日本企業を被告として提起された訴訟である。
ヘイデン法は,第二次大戦中にナチス政権又はその同盟国の支配下で強制労働させられた者が、その労働が行われた企業又はその子会杜等に対して,2010年12月31日までの間,損害賠償請求訴訟をカリフォルニア州裁判所に提起できるという内容である(ヘイデン法の全文の日本語訳については,戸塚悦郎「戦後補償問題に踏み込む米国」法学セミナー538号76ページ)。
米国国務省は,2000年(平成12年)8月17日,北部カリフォルニア地区・サン・フランシスコ支部連邦地方裁判所に対し,「利害関係声明書」を提出したところであるが,その意見書において,米国政府としてのサン・フランシスコ平和条約に関して,「1951年の日本国との平和条約の目的は,日本国の主権を回復し,日本国が共産主義の脅威に対して民主主義的市場経済として機能するようにし,日本国の政府及び国民に対するすべての請求権を解決し,連合国及びその国民に対する日本のすべての潜在的な請求権を解決することであった。本裁判所で係争中の訴訟において原告が主張しているような将来の戦争賠償又はその他の戦争関連の請求権の可能性を条約が残していたとしたら,これらの目的はいずれも達成することができなかったであろう。この理由から,条約は,条約に別段の定めがある場合を除き,第二次世界大戦中の行為から生じた日本国及びその国民に対する連合国及びその国民のすべての請求権を放棄するように特に起草されたのである。」との意見を示した(前掲米国政府「利害関係声明書」邦訳26ページ,乙第53号証)。他方,日本国政府も,同訴訟において,2000年(平成12年)8月8日,「元米国捕虜等による日本企業に対する訴訟に関する日本国政府の見解」として,米国政府と同様の見解を示したところである(2000年8月8日付け元米国捕虜等による日本企業に対する訴訟に関する日本国政府の見解・乙第60号証)。
(イ) これら両国政府の見解を受けて,同裁判所は,同年9月21日に,原告らの訴えを却下する判決を下した(乙第61号証)。
その判決の中で,サン・フランシスコ平和条約14条(b)に関し,「日本との平和条約は,本件訴訟において原告が主張している請求のような将来の請求を無効にする限りにおいて,原告の完全な補償を将来の平和と引き換えたのである。歴史はこの取引が賢明であったことを証明している。純粋に経済的な意味における原告の苦難に対する完全な補償は,旧捕虜および他の無数の戦争生存者に対しては拒否されたが,自由な社会およびより平和な世界における彼ら自身の計り知れない生命の恵みと繁栄は,賠償という負債に対する利息の支払となっている。」と判示している(乙第61号証邦訳12ページ)。
同裁判所は,その後,他の原告らの訴えを全て却下する判決を下したため,原告らは連邦控訴裁判所に控訴したが,2003年(平成15年)1月21日,同高裁は,28件の日本企業を被告とする訴訟について,ヘイデン法は連邦政府の排他的外交権限を侵し違憲である旨判示して,原告らの控訴を全て却下する判決を下した(乙第62号証)。
また,カリフォルニア州裁判所に係属していた事件のうち,元米兵捕虜が原告となり,被告三菱マテリアルほかが被告として提起された強制労働による損害賠償請求事件について,カリフォルニア州控訴裁判所は,2003年(平成15年)2月6日,連合国の国民の請求権はサン・フランシスコ平和条約14条(b)によって解決済みであるとして,原告らの訴えを却下する判決を下した(乙第63号証)。
このように日本国政府の見解は,米国政府の見解と」致するものであり,米国の裁判所においても,支持されている。
ウ サン・フランシスコ平和条約14条(b)の表現について
(ア) サン・フランシスコ平和条約14条(b)においては,上述の2000年(平成12年)9月21日の北部カリフォルニア地区・サン・フランシスコ支部連邦地方裁判所によって下された判決にあるとおり,「この条約に別段の定めがある場合を除き」との規定を除き,請求権の放棄について何らの条件的な文言又は制限を含んでいないことから,14条(b)により,連合国が放棄した連合国及び連合国国民の日本国及び日本国民に対する請求権は,極めて明確かつ広範なものである。
(イ) なお,14条(b)の「連合国のすべての賠償請求権」のみならず,「戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権」と規定された理由について,昭和26年11月9日の参議院の「平和条約及び日米安全保障条約特別委員会」において,西村熊雄外務省条約局長は,次のように答弁している。
すなわち,岡本愛祐議員の「そこでこの(b)項について伺っておきたいのですが,これは連合国の賠償請求権とありまして,連合国国民のというのが抜けておるのでありますが,それはどういうわけで抜かしたのか。或いは『及びその国民の他の請求権』というのでカバーをされるのか,その点を伺っておきます。」との質問に対し,西村条約局長は,「両者を含む意味でございます。」と答弁し,さらに,岡本議員の「両者を含むというのは,或るところでは書き分け,或るところでは書き分けていないのはどういうわけですか。」との質問に対して,西村条約局長は,「大体政府と国民とを総括的に申すときに,日本国と言い,又は連合国と言うのが條約上の慣行でございます。ときによってその慣行が貫かれていない点がありますのは,こういうふうな五十カ国相手の交渉でございまして,各国の提案を寄せ集めた複合的條約になり,首尾を一貫することができなかった節が間々あるのは,止むを得ない次第でございます。」(下線引用者)と答弁している。
そして,14条(b)に,「連合国のすべての賠償請求権」の他,「連合国及びその国民の他の請求権」も規定された理由について,西村条約局長は、「その点は3月の原案では連合国の賠償請求権だけあったのであります。それに対しまして,私どものほうから,それでは範囲が不明確であると主張いたしまして,戦争遂行中日本国又は日本国民がとった行動から生じた連合国政府又は連合国民の請求権という文句が入った次第でございます。連合国の賠償請求権というだけでは誤解が生じやすいから,誤解を避ける意味において,明確にしてもらつたところでございます。」と答弁している(乙第64号証)。
このように,戦争賠償の処'理は,当然,国家及びその国民の相手国及びその国民に対する請求権の処理も含むが,14条(b)については,それを明確にするために,あえて「連合国及びその国民の他の請求権」という文言を挿入したにすぎない。
5 その他の戦後処理について
我が国は,サン・フランシスコ平和条約の締結当事国以外の国との間においても,サン・フランシスコ平和条約に基づく戦後処理の枠組みに従い,概略以下のとおり対応してきた。
(1)ビルマ連邦との関係について
ビルマについては,サン・フランシスコ講和会議に参加しなかったため,別途の平和条約交渉を行い,1954年(昭和29年)11月5日,平和条約及び「日本国とビルマ連邦との間の賠償及び経済協力に関する協定」が署名された。同協定に従って,我が国は,1965年(昭和40年)までの間に,2億ドル(720億円)の賠償と5000万ドル(180億円)の借款の実施をした。ところが,同協定締結後に,ビルマ側は,同平和条約に挿入されていた「賠償再検討条項」(5条)に基づき,賠償の追加支払を要求し,その結果,1963年(昭和38年)3月の協定により,1億4000万ドル(504億円)の追加的な無償援助と3000万ドル(108億円)の借款の供与が行われた(前掲日本の賠償12,13ページ、下田武三・戦後日本外交の証言(上)190ないし193ページ,吉澤清次郎・日本外交史29講和後の外交(I)対列国関係(下)327ないし330ページ)。
そして,ビルマとの平和条約5条2において,「ビルマ連邦は,この条約に別段の定がある場合を除くほか,戦争の遂行中に日本国及びその国民が執つた行動から生じたビルマ連邦及びその国民のすべての請'求権を放棄する。」と規定された。
(2)インドネシア共和国との関係について
インドネシアは,サン・フランシスコ平和条約に署名したが,同条約の賠償条項二国内で反対が広がつたこと等から同条約を批准しなかった。その後,1957年(昭和32年)11月に,岸信介総理とスカルノ大統領との間で,我が国の約1億7691万ドルの対インドネシア債権を棒引きにすることを条件に,賠償額を2億2300万ドル(802億8000万円)とすることで合意した。そして,この合意に基づき,1958年(昭和33年)1月,両国間で「日本国とインドネシア共和国との平和条約」を締結するとともに,2億2300万ドル相当の役務及び生産物の供与に関する「日本国とインドネシア共和国との問の賠償協定」,4億ドル(1440億円)の借款供与に関する「経済開発借款に関する日本国政府とインドネシア共和国政府との間の交換公文」等が署名された(吉澤・前掲日本外交史298ないし305ページ)。
そして,インドネシアとの平和条約4条2において,「インドネシア共和国は,前項に別段の定がある場合を除くほか,インドネシア共和国のすべての賠償請求権並びに戦争の遂行中に日本国及びその国民が執つた行動から生じたインドネシア共和国及びその国民のすべての他の請求権を放棄する。」と規定された。
(3)ラオス及びカンボディアとの関係について
旧インドシナ3国中,ベトナムを除き,カンボディアは1954年(昭和29年)11月に,ラオスは1956年(昭和31年)12月に,それぞれサン・フランシスコ平和条約に規定された対日賠償請求権を放棄する旨の意思表明を行っていた。そこで,我が国は,ラオス及びカンボディアに,それぞれ1958年(昭和33年)10月と1959年(昭和34年)3月に経済協力協定を締結し,それぞれ10億円と15億円を供与した(前掲日本の賠償15ページ)。
(4)旧ソヴィエト社会主義共和国連邦との関係について
旧ソヴィエト社会主義共和国連邦との間では,1956年(昭和31年)10月19日,「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」を署名したが,その内容は,「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は,両国間の外交関係の回復が極東における平和及び安全の利益に合致する両国間の理解と協力との発展に役だつものである」(前文)との理解の下に,同宣言6において,「ソヴィエト社会主義共和国連邦は,日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は,1945年8月9日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国,その団体及び国民のそれぞれ他方の国,その団体及び国民に対するすべての請求権を,相互に,放棄する。」と規定して,すべての請求権の問題を最終的に解決したものである。
(5)その他の諸国との関係について
戦時中,領域が日本軍の占領下にあったが,サン・フランシスコ講和会議に参加しなかったインドは,1952年(昭和27年)6月に締結された平和条約6条(a)により賠償請求権を放棄した(吉澤・前掲日本外交史330ないし341ページ)。
また,第2次世界大戦中に中立国であったスイス,デンマーク,スウェーデン,スペイン等の諸国は,戦争中,日本軍が,南方地域及び中国において,その国民及び法人に人的物的損害を与えたことが,国際法の原則を侵すものであるとして,その補償を請求してきた。
そこで,スイスとの間で,1955年(昭和30年)1月協定を締結し,それに従って,我が国は,スイスに1350万フラン(約11億円)を支払い,スペインとの間で,1957年(昭和32年)1月交換公文の署名を行い,それに従って,スペインに対し,550万ドル(約20億円)の支払を行った。スウェーデンとの間には,1958年(昭和33年)5月協定が成立し,それに従って,725万クローネ(約5億円)が支払われ,デンマークとの間では,1955年(昭和30年)9月及び1959年(昭和34年)5月に協定を締結し,それに基づき,それぞれ30万ポンド(約3億円)と117万5000万ドル(約4億2300万円)の支払を行った(前掲日本の賠償15,16ページ)。
そして,スイス政府との取極3条2において,「スイス連邦政府は,第1条に掲げる金額の支払が行われたときは,同条及び第2条に掲げる損害の賠償に関する同政府のすべての要求を放棄するものとし,また,スイス国民は,その事項に関する要求をいかなる方法によっても日本国政府に提起することができないものとする。」と規定され,スペイン政府との取極3において,「1に定める金額の支払により,日本国政府は,同項にいう損害及び苦痛のすべての賠償請求に関するすべての責任を完全かつ最終的に免かれる。」と規定され,スウェーデン政府との取極4条において,「スウェーデン政府は,第1条に掲げた金額の日本国政府による支払を同条にいうすべての請求権の完全かつ最終的な解決として受諾する。スウェーデン政府は,日本国政府が同条に掲げた金額の支払の後は,前記の請求に対するこれ以上のいかなる賠償も支払う必要はないことを保証することを約束する。」と規定され,さらにデンマーク政府との取極3条において,「第1条に掲げた金額の支払により,日本国政府は,第二次世界大戦(1937年7月7日からの支那事変を含む。)の間に日本国政府の機関がデンマーク政府の機関並びにデンマークの自然人及び法人に与えた損害及び苦痛のすべての賠償請求にかかるすべての責任を完全かつ最終的に免がれる。」と規定された。
6 我が国と中国との間の戦後処理
日本と中国との間においては,戦争状態の終結,賠償並びに財産及び請求権の問題の解決については,当時の複雑な国際情勢を反映して紆余曲折があったが,両国政府の努力によって,サン・フランシスコ平和条約における戦後処理の枠組みと同様の解決が図られたものである。
(1)サン・フランシスコ平和条約との関係について
ア 中国は,連合国の一国として,サン・フランシスコ講和会議に招待されるべきであったが,昭和24年の中華人民共和国政府の成立や同25年の朝鮮戦争のぼっ発など当時の政治的及び国際状況のために,中華人民共和国政府及び「中華民国」政府のいずれも講和会議には招待されなかった。
しかし同条約21条は,「この条約の第25条の規定にかかわらず,中国は,第10条及び第14条(a)2の利益を受ける権利を有」するものとされ,条約の当事国とならなかった中国も,中国領域内にある日本国及び日本国民の資産の処分が認められた(同条約14条(a)2)。中国は,1945年(昭和20年)10月に,「日僑財産処理弁法」を公布して,その領域内にある日本人の財産を没収した(毎日新聞杜編・対日平和条約234ないし235ページ・乙第65号証)。
1946年(昭和21年)9月,外務省及び大蔵省の共管で設置された在外資産調査会による「我国在外財産評価額推計」によると,終戦当時,中国に存在した日本財産の規模は,台湾425億4200万円,中華民国東北1465億3200万円,華北554億3700万円,華中,華南367億1800万円と報告されている(塚本・前掲調査と情報228号7ページ・乙第56号証)。ちなみに,昭和21年度の我が国一般会計の歳入は,1188億円余りであり,又同年度の我が国の国民総生産は,4740億円余りであった(前掲日本統計年鑑359,364ページ・乙第54号証)。
イ なお,中国について,平和条約による最終的な賠償の前に,1945年(昭和20年)12月のアメリカ大統領に対する中間賠償計画に関する勧告案(いわゆる「ポーレー中間案」)に基づき,いわゆる中間賠償が行われている。
これは、日本の非軍事化を目的として,余分な工業施設(資本設備)を撤去し,それを特にアジア近隣諸国に対する賠償の一部に充てるというものであり,1950年(昭和25年)5月までに,合計4万3919台の工場機械等が梱包撤去され(芳賀四郎編・日本管理の機構と政策379ページ・乙第66号証),その引き渡した物件の評価額の合計は,昭和14年の円価格で1億6500万円,当時のドル価格に換算して約4500万ドルであったが,その引取国別評価額のうち,中国が54.1パーセントを占めていた(塚本・前掲調査と情報228号6ページ)。
(2)日本と「中華民国」との間の処理について
我が国と中国との間の戦後処理については,1952年(昭和27年)4月28日,我が国は,「中華民国」との間で,「日本国と中華民国との間の平和条約」(以下「日華平和条約」という。)に署名した。
この条約は,その前文にあるように,「歴史的及び文化的のきずなと地理的の近さとにかんがみ,善隣関係を相互に希望することを考慮し,その共通の福祉の増進並び二国際の平和及び安全の維持のための緊密な協力が重要である」という認識の下に,両国間の戦争状態を終了させ,賠償及び戦争の結果として生じた諸問題を解決したものである。
すなわち,我が国に対する賠償請求権については,同条約の議定書1(b)で。「中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サン・フランシスコ平和条約第14条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。」と規定し,これにより,サン・フランシスコ平和条約14条(a)1に規定する賠償請求権を放棄した。
そして,「中華民国」代表と日本国代表との問の「同意された議事録」4ににより,「中華民国は本条約の議定書第1項(b)において述べられているように,役務賠償を自発的に放棄したので,サン・フランシスコ条約第14条(a)に基き同国に及ぼされるべき唯一の残りの利益は,同条約第14条(a)2に規定された日本国の在外資産である」とされ,サン・フランシスコ平和条約21条に基づき,中国が,同条約14条(a)2の利益を受ける権利を有することについても確認された。
そして,日華平和条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サン・フランシスコ条約の相当規定に従って解決するものとする。」と規定しているところ,この規定にいう「サン・フランシスコ条約の相当規定」には,14条(b)及び19条(a)も含まれるから,この規定に従って,日本国及びその国民と中国及びその国民との間の相互の請求権は,上記のサン・フランシスコ平和条約14条(a)1に基づく賠償請求権と併せて,同条約14条(b)及び19条(a)の規定により,すべてが放棄されたことになる。
その法的効果は,前記4,(3)イで述べたとおりである。すなわち,日華平和条約11条,サン・フランシスコ14条(b)により,日本国及び日本国民が中国国民による国内法上の権利に基づく請求に応ずる法律上の義務が消滅したものとして,これを拒絶することができるのであり,その内容を具体化する国内法を待つまでもなく,我が国の裁判所において直接的に適用が可能であるから,裁判上の請求は,同条項の適用によって認容されないこととなる。
(3)日本と中華人民共和国との間の処理について
ア 日中共同声明署名に至る経緯について
「日華平和条約」締結後20年を経て,日本国政府は1972年(昭和47年)に共同声明に署名した。共同声明の交渉過程において問題となった点の中に,戦争状態の終了や賠償並びに財産及び請求権の問題がある。これらの問題は、日華平和条約についての両国の立場の違いに起因するものであるが,困難な交渉の結果,以下に述べるとおり,共同声明は,両国の立場それぞれと相いれるものとして作成されている。
例えば,戦争状態の終了については,日華平和条約1条において,「日本国と中華民国との間の戦争状態は,この条約が効力を生ずる日に終了する。」と規定されているとおり,日中間の戦争状態は,日華平和条約により終了したというのが,我が国の一貫した立場である。これは,戦争状態の終了は,一度限りの処分行為であり,法律的には,当時中国を代表する合法政府であった中華民国政府との間で,国と国との関係を律する事項として処理済みであるという考え方に基づくものである。これに対して,中華人民共和国は,日華平和条約は当初から無効であるとの立場であり,我が国の考え方とは基本的に異なるものであった。戦争状態の終結の問題は,このような日中双方の基本的立場に関連する困難な法的問題であったが,日中双方の交渉努力の結果,共同声明1項において,「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する。」と規定されることとなった。「不正常な状態」とは,これまで我が国と中華人民共和国との間の国交がなかった状態を指すというのが我が国の理解であり,日中間の戦争状態は日華平和条約によって終結しているとの立場と何ら矛盾しない。このような表現について,日中関係がいかなる意味においても正常化されたという点についての日中双方の認識の一致を図ったものである。
イ 日中共同声明5項について
賠償並びに財産及び請求権の問題についても,戦争状態の終結と同様,このような一度限りの処分行為については,日華平和条約によって法的に処理済みであるというのが,我が国の立場であり,日華平和条約の有効性についての中華人民共和国との基本的立場の違いを解決する必要があった。この点についても,日中双方が交渉を重ねた結果,共同声明5項においては,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」旨規定されている。日中両国は,互いの立場の違いを十分理解した上で,実体としてこの問題の完全かつ最終的な解決を図るべく,このような規定ぶりにつき一致したものであり,その結果は日華平和条約による処理と同じであることを意図したものである。すなわち,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた中国及びその国民の請求権は,法的には前述のとおり,日華平和条約により,国によって放棄されているというのが我が国の立場であり,このような立場は共同声明によって変更されているわけではない(竹中繁雄外務省アジア局審議官の平成4年4月7日参議院内閣委員会での答弁参照・乙第49号証7ページ2,3段)。
したがって,共同声明5項は「戦争賠償の請求」のみに言及しているが,ここには先の大戦に係る中国国民の日本国及び日本国民に対する請求権の問題も処理済みであるとの認識が当然に含まれている。この点については,中国政府も同様の認識と承知している。
このように,共同声明は,我が国の立場と相いれるものとして作成されたのであり,共同声明5項の表面上の文言のみをとらえて中国国民の国内法上の請求権に基づく請求に応じる義務が日本国及びその国民にあると主張することは失当である。
ウ 米国における裁判の推移等について
中国との間では請求権の問題が完全に解決していることについては,強制労働に関し,日本企業が提訴された米国における訴訟において,我が国政府としての見解を,2000年(平成12年)11月17日「サン・フランシスコ平和条約非締約国の国民による日本企業に対する訴訟に関する日本国政府の見解」として表明したところである(乙第67号証)。
また,中国人を含むいわゆる元従軍慰安婦15名が,日本国を被告として,コロンビア特別区連邦地方裁判所に提起した損害賠償請求訴訟において,同裁判所は,2001年(平成13年)10月4日,「フィリピンを含む連合国,中国及び韓国等との戦争請求権の解決の歴史は複雑である。1951年の日本との平和条約は,全ての「戦争遂行中に日本国及びその国民がとった行為から生じた連合国及びその国民の他の請求」を解決したのである。・・・特に韓国及び中国との間は,戦争請求権を処理するための別途の合意の交渉を行った。原告が提起している「慰安婦」についての請求は,特にこれらの条約等において明示的には言及されなかったのであろうが,戦争後に締結された一連の条約が日本に対する全ての戦争請求権の解決を目的としていたことは明確である。原告は半世紀近く後に,これらの議論を再開しようとしているが,本法廷はその適当な場ではないことに疑問の余地はない。第二次世界大戦後の日本との問の合意や条約が政府と政府とレベルで締結されたように,「慰安婦」の請求も政府問で直接に処理されるべきである。」と判示し,原告らの訴えを却下した(乙第68号証)。
7 中国政府の見解について
以下に述べるとおり,中国政府の認識も,先の戦争に係る日中間の請求権の問題は,中国国民及びその財産に関するものも含めて,日中共同声明発出後存在していないという我が国攻府と同様のものであることは明らかである。
(1)1995年(平成7年)5月3日,陳健中国外交部新聞司長は,記者から「国交正常化以来,中国政府は,日本に対する賠償請求を正式に放棄したが,最近民間組織が賠償請求を提起している。これに対する見解如何。」と間われたのに対し,「賠償問題は既に解決している。この問題におけるわれわれの立場に変化はない。」旨発言している(乙第69号証)。
(2)また,銭其?外交部長自身,1992年(平成4年)3月の記者会見において,記者より民間賠償請求の動きについての考え方を問われたのに対し,「戦争によってもたらされた幾つかの複雑な問題に対し,日本側は適切に処理を行うべきである。」と述べつつ、戦争賠償の問題については,「中国政府は,1972年の日中共同声明の中で明確に表明を行っており,かかる立場に変化はない。」と表明している(乙第70号証)。
(3)1998年(平成10年)12月の香港における報道によれば,唐家?外交部長は,記者から,中国政府の民間人の対日賠償請求について質問された際,「中国の対日賠償請求問題は,既に解決済みであり,国家と民間(国民)は一つの統一体であるので,民間(国民)の立場は,国家の立場と同じであるべきである。」と述べている(乙第71号証)。
以上にかんがみれば,先の戦争に係る日中間の請求権の問題についての日中間の認識は一致していると考えるべきである。
8 結語
(1)以上から明らかなように,日華平和条約11条及びサン・フランシスコ平和条約14条(b)により,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は,国によって放棄されている。日中共同声明5項にいう「戦争賠償の請求」は,中国国民の日本国及びその国民に対する請求権も含むものとして,中華人民共和国政府がその「放棄」を宣言したものである。
したがって,このような請求権は,サン・フランシスコ平和条約の当事国たる連合国の国民の請求権と同様,国によって「放棄」されており,これに基づく請求に応ずべき法律上の義務は消滅しているので,救済が拒否されることとなるのである。
以上のとおり,控訴人らの請求は,かかる観点からも認容される余地がないことは明らかであるから,速やかに棄却されるべきである。
(2)なお,前記福岡地裁判決の日中間の戦後処理に関する条約等の解釈について,ILO条約勧告適用専門家委員会でも問題とされただけでなく,同判決は前記カリフォルニア州控訴裁判所で係属中の事件で,証拠として提出されたため,2003年2月6日判決にも引用されるに至っている。
そこで,日本国政府は,2002年11月,ILO条約勧告適用専門家委員会に対して,「条約勧告適用専門家委員会の意見及び労働組合からの情報に対する日本国政府見解」(乙第72号証の1,乙第72号証の2)と題する意見書を提出し,「日中間においては,1972年の「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(以下「日中共同声明」という。)発出後,先の大戦に係る請求権の問題は個人の請求権の問題も含めて存在していない。」(同和訳文7ページ)との日本国政府の見解を表明した上で,福岡地裁判決の判断の誤りを指摘しているところである(同和訳文31ないし33ページ)。なお,同専門家委員会も2000年の専門家委員会意見において,「法的には,補償の問題は条約による解決済みであるとの政府の主張は正しいと認識する。」と述べているところである(同和訳文2ページ)。
以 上
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