平成14年(ネ)第4815号
控訴人 程秀芝ほか179名
被控訴人 国
準 備 書 面(3)
平成16年3月18日
東京高等裁判所第2民事部 御中
被控訴人指定代理人
宮 田 誠 司
石 川 さ お り
澁 谷 勝 海
高 橋 孝 信
荒 井 義 明
原 克 好
松 島 晋
第1 国家無答責の法理について
1 はじめに
2 東京高裁平成15年7月判決について
(1)東京高裁平成15年7月判決の内容等
(2)東京高裁平成15年7月判決の誤りと被控訴人の反論の概要
(3)国家無答責の法理の根拠の理解が不十分であることについて
ア 国家無答責の法理の根拠が明らかでないとの判示について
(ア) 東京毛細平成15年7月判決の判示
(イ) 被控訴人の反論
イ 国家無答責の法理が訴訟法上の制約にすぎないとの判示について
(ア) 東京高裁平成15年7月判決の判示
(イ) 被控訴人の反論
ウ 国賠法が民法の不法行為規定の特別法であるとの判示について
(ア) 東京高裁平成15年7月判決の判示
(イ) 被控訴人の反論
(ウ) 国家賠償法案の起草者の見解等について
(エ) 小括
(4) 国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決に反することについて
ア 東京高裁平成15年7月判決の判示
イ 被控訴人の反論
ウ 近時の裁判例等
(5) 結論
3 東京高裁平成16年2月判決の妥当性について
第2 除斥期間について
1 はじめに
2 東京地裁平成15年9月判決の判示等
3 民法724条後段の解釈適用に関する判例違反等
4 小括
第3 日中共同声明等について
1 控訴人らの主張の要旨等
2 サン・フランシスコ平和条約の意義等について
3 「サンフランシスコ平和条約における個人の請求権問題」関する控訴人らの主張の誤りについて
(1) 控訴人らの主張
(2) 被控訴人の反論
4 日華平和条約に関する控訴人らの主張の誤りについて
(1) 控訴人らの主張
(2) 被控訴人の反論
ア 日華平和条約締結の経緯
イ 戦争状態の終了、賠償並びに財産及び請求権の問題処理
ウ 付属交換公文について
エ 小括
5 日中共同声明に関する控訴人らの主張の誤りについて
(1) 控訴人らの主張
(2) 日中国交正常化に至る経緯について
ア はじめに
イ 中華人民共和国政府の見解と日本政府の見解について
(3) 日中共同声明の文言について
(4) 日中共同声明発出後の日本政府の見解表明
(5) 小括
6 被控訴人の主張が国際常識ともかけ離れたものであるとの控訴人らの主張について
(1) 控訴人らの主張
(2) 被控訴人らの反論
7 結論
被控訴人は、本準備書面において、控訴人らの2003年(平成15年)12月4日付け第3準備書面(以下「控訴人ら第3準備書面」という。)における主張に対し、必要と認める範囲で反論する。
なお、略語例は、特に断るほか従前の例による。
第1 国家無答責の法理について
1 はじめに
(1) 控訴人らは、控訴人ら第3準備書面において、国家無答責の法理に関し、@明治23年の時点で、国家無答責の法理が確立していたとは認められない(同書面6ないし14ページ)、A国家無答責の法理を否定する学説が存在した(同書面14、15ページ)、B現行民法の立法者意思は、特別法が制定されない場合には民法715条を国にも適用すべきであるというものであった(同書面15、16ページ)、C本件は、保護すべき公務ではないから国家無答責の法理は適用されない(同書面17、18ページ)、D国家無答責の法理は外国での外国人に対する権力作用には適用されない(同書面18ないし21ページ)、Eヘーグ条約の国内法化によって、国家無答責の法理は排除される(同書面21ないし24ページ)、F国家無答責の法理は、現在の法解釈に基づいて否定されるべきである(同書面24ないし26ページ)、G国賠法附則6項の「従前の例による」ことが国家無答責を適用する根拠とはならない(同書面26、27ページ)などと主張する。
しかしながら、控訴人らの上記主張は、いずれも控訴人らの従前の主張を繰り返したものに過ぎず、被控訴人は、被控訴人の平成15年8月4日付け準備書面(1)(以下「被控訴人準備書面(1)」という。)1ないし61ぺ一ジにおいて、控訴人らの上記主張がいずれも失当であることを既に明らかにしたところである。
(2) ただ、控訴人らは、控訴人ら第3準備書面において、新たに東京高等裁判所平成15年7月22日判決(以下「東京高裁平成15年7月判決」という。)の判示内容を指摘した上、これらを根拠として、本件に国家無答責の法理を適用することはできないとの主張を付加している。
東京高裁平成15年7月判決は、元朝鮮半島出身者を控訴人とするいわゆる従軍慰安婦及び元軍属による損害賠償請求事件に関し、同事件控訴人らの控訴を棄却し、国に対する請求を棄却した原審判決を維持しており、結論においては正当である。
しかし、東京高裁平成15年7月判決は、被控訴人準備書面(1)で指摘した東京地裁3月判決と同様、その理由中の判断において、国家無答責の法理に対する理解を誤っており、その結果として、国賠法附則6項に違反するとともに、最高裁昭和2年判決(最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3号225ページ)と相反する判断をしたものである。これに対し、その後に判断が示された東京高等裁判所平成16年2月9日判決(乙第76号証、同判決が引用する一審判決は乙第77号証。以下「東京高裁平成16年2月判決」という。)では、国家無答責の法理に対する正しい理解が示されている。
したがって、東京地裁3月判決と同様、東京高裁平成15年7月判決の相当とは言い難い判示部分を根拠とする原告らの主張は失当といわざるを得ない。
(3) 以下、東京高裁平成15年7月判決の問題点につき詳述するとともに、同判決及び東京地裁3月判決(以下、両者を併せて「両判決」ともいう。)に対する被告の反論を容れて、国家無答責の法理に関する正しい理解を示した東京高裁平成16年2月判決の判示内容を明らかにする。
2 東京高裁平成15年7月判決について
(1) 東京高裁平成15年7月判決の内容等
東京高裁平成15年7月判決は、国が、旧朝鮮地域に志願兵制度及び徴兵制度、自由募集、官斡旋及び国民徴用令を適用するなどし、元朝鮮半島出身者を旧日本軍の軍人軍属とし、また元朝鮮半島出身者の女性をいわゆる従軍慰安婦としたことなどに対し、元朝鮮半島出身者が、国に対して損害賠償等を求めた事案につき、原告らが「被控訴人の行為は、非人道的行為であって、「人道に対する罪」に該当し、民事上も著しい違法であるから、民法上の不法行為を構成し、被控訴人は民法上の不法行為(民法709条、715条)に基づく損害賠償責任を負う」(判決文79ページ)と主張したのに対し、次のとおり判示した。
@「国家賠償法(昭和22年10月27日公布、同日施行)施行前においては、一般に国の損害賠償責任を認める明文の規定はなく、国家賠償法附則6条(ママ)において、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」と規定され、同法の規定の遡及的適用が否定された以上、同法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては、民法(明治31年施行)の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈に委ねられていたと解するよりほかはない。」(判決文79、80ぺ一ジ)。
A「立法過程、学説、判例を考慮すると、明治憲法下においては、国の権力作用については民法の不法行為の適用を否定し、その損害について国が賠償責任を負わないと解釈されたといわざるを得ないが、学説上、公務員の非権力作用である私経済活動による損害については、民法による損害賠償法理の適用があると解釈され、また、判例もそのように解釈していた。」(判決文80、81ぺ一ジ)
B「しかし、戦前において、上記のような解釈が採られていた根拠は必ずしも明らかではなく、結局、国の権力作用に伴う不法行為に基づく損害賠償請求訴訟については司法裁判所において民事裁判事項と認めず行政裁判所においても行政裁判事項として認めず、共にその訴訟を受理しなかったため、その種の損害賠償請求を法的に実現する方法が閉ざされていただけのことであり、国の権力作用による加害行為が実体的に違法性を欠くとか有責性を免除されているものではなかったと解すべきである。いわゆる「国家無答責の法理」は、上記のような訴訟要件としての権利保護適格を否定する解釈が採られていたことによるものにすぎず、行政裁判所が廃止され、公法、私法関係の訴訟を司法裁判所において審理されることが認められる現行憲法及び裁判所法の下においては「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見い出し難い。もともと国家賠償法は民法709条以下の不法行為法の特別法である性格も有し、国家賠償法の制定がなければ賠償請求権の実定法上の根拠がなかったと解すべきではなく、一般法としての民法709条以下の不法行為法が原則として適用されると解すべき余地が十分にあり得たものであり、民法715条の文言上は、公務員の公権力の行使が同条の適用から排除されているとはいえないこと、行政裁判法16条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定しており、同条の規定は、実体法上は、公権力の行使に違法があった場合に国に損害賠償請求権が成立することを前提としながら、行政裁判所が損害賠償請求訴訟を受理しないという訴訟法上の規定を置いたにすぎないものと解され、他方、司法裁判所も前提問題として行政処分等公権力の行使の適否、暇疵を判断しなければならない時は、行政裁判所による行政裁判手続を設けた趣旨にかんがみ、結局司法裁判所が判断し得る私法上の民事裁判事項ではないとして権利保護適格を認めていなかったにすぎないと解されるから、現行憲法及び裁判所法の下において裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈・適用を行うに当たっては、訴訟手続上の制約が解止されたものと考えるのが相当である(もっとも、国家賠償法(昭和22年10月27日公布、同日施行)施行前においては、公務員の権力的作用による損害については、同法附則6項により「従前の例による」ものとされていたから、権利保護適格が認められないため訴えが不適法となると解する余地もあるが、同法附則6項が民事裁判事項であることを依然として否定する訴訟手続規定であると解するのは疑問がある。)。」(判決文81、82ページ)
C「そこで、民法による損害賠償法理の適用の余地があり得るので、とりあえず、その不法行為責任の成否について以下に判断しておく。」(判決文82ぺ一ジ)
東京高裁平成15年7月判決は、上記のように判示して、国賠法施行前の公務員の公権力の行使についても民法715条の適用の可能性を認め、同条に基づく損害賠償請求権の成立を認めた。その上で、同判決は、かかる損害賠償請求権は、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(以下「日韓請求権協定」という。)2条の「財産、権利及び利益」に該当するとした。その結果、在韓の韓国人の損害賠償請求権については、「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律」(昭和40年法律第144号)1条の適用により消滅するとし、他方、在日韓国人の損害賠償請求権については、日韓請求権協定2条2(a)に基づき日韓請求権協定にかかわらず存続することとなるが、日韓請求権協定の締結後20年の経過により、民法724条後段の適用によって消滅したと判示した。
(2) 東京高裁平成15年7月判決の誤りと被控訴人の反論の概要
東京高裁平成15年7月判決の国家無答責の法理の適用を否定する理由は、基本的に東京地裁3月判決と同様である。
すなわち、東京高裁平成15年7月判決は、東京地裁3月判決と同様に、@戦前において、通説・判例が、国の権力的作用による損害について、民法の不法行為規定の適用をしないと解釈していた根拠が明らかでない、A行政裁判法16条は訴訟上の規定にすぎないことから、国家無答責の法理は、国家の権力的作用に基づく損害について民法の適用を認め、損害賠償請求権が成立するが、単に訴訟において訴求できなかったという訴訟上の制約にすぎない、B民法715条の文言上、公務員の公権力の行使が排除されていない、C国賠法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては、民法715条の解釈にゆだねられていたと解するよりほかはないとし、加えて、東京高裁平成15年7月判決は、D国家の権力的作用に基づく損害に民法の不法行為規定の適用を認める理由として、現行の国家賠償法は民法709条以下の不法行為法の特別法であり、国家賠償法が制定されなければ、一般法としての民法709条以下が適用されることとなるなどとしている。
しかしながら、両判決のこれらの指摘は、東京地裁3月判決につき、被控訴人準備書面(1)44ないし61ページで詳述したように、明治23年に、国家無答責の法理が当時の法政策として採られた根拠及び行政裁判法16条、旧民法等の立法経緯についての理解を欠き、国家無答責の法理が単に手続法の問題に由来するものではなく、実体法に由来するものであることを看過し、国家無答責の法理の理解を誤っており、また、国賠法附則6項の解釈を誤り、最高裁昭和25年判決と相反するものであって、失当と言わざるを得ない。
以下、東京高裁平成15年7月判決に対し、これらの点について、さらに明らかにする。
(3) 国家無答責の法理の根拠の理解が不十分であることについて
ア 国家無答責の法理の根拠が明らかでないとの判示について
(ア)東京高裁平成15年7月判決の判示
東京高裁平成15年7月判決は、東京地裁3月判決と同様に、「戦前において、上記のような解釈(引用者注・国家無答責の法理)が採られていた根拠は必ずしも明らかではな」いと判示する。
(イ)被控訴人の反論
しかし、被控訴人準備書面(1)2ないし12ぺ一ジで詳述したとおり、我が国の明治政府は、幕末に締結した不平等条約の改正を国家目標として、ボアソナードなど外国の様々な法律学者の意見を参考にしながら、近代国家としての法制度の整備を進めていた。そして、その一環として、行政裁判法及び民法の制定を図ったが、近代法治国家として経験を有していない我が国としては、他国の法制度を参照しながら、法律の整備を図らざるを得なかった。国家賠償責任の問題については、当初、ボアソナードの意見に基づき、国家賠償責任を認める規定を民法の規定に置こうとした。しかし、ボアソナードの意見は、その前提としての比較法の事実認識に誤認があり、むしろ、国家賠償責任に関する諸外国の法制度は、「君主ハ不善ヲ爲スコト能ハズ。」を理念として、国家賠償責任を否定したものが一般であり、また、仮に、ボアソナードの意見のとおり、国家賠償責任の問題を「大胆ニモ國家ヲ一網ノ下二打盡シテ民法ノ範圍内二入レ」(井上毅の今村和郎宛書簡・乙第32号証323ぺ一ジ)れば、「此事将来國法上ニ闘係シ、一大問題と相成可申侯、且條約改正之上ハ、外國人民と政府との争議之論據と相成ル事」(井上毅の山田顕義司法大臣宛書簡・乙第32号証639ぺージ)を懸念したことから、結局、国家無答責の法理を採用し、ボアソナード民法草案から国家賠償責任の規定が削除されたのである。
以上の経緯に照らせば、東京高裁平成15年7月判決の「明治憲法下においては、国の権力作用については民法の適用を否定し」ていたとの「解釈が採られていた根拠が必ずしも明らかではな」いとの判示は、東京地裁3月判決と同様に失当である。
イ 国家無答責の法理が訴訟法上の制約にすぎないとの判示について
(ア)東京高裁平成15年7月判決の判示
また、東京高裁平成15年7月判決は、「国の権力作用に伴う不法行為に基づく損害賠償請求訴訟については司法裁判所において民事裁判事項と認めず行政裁判所においても行政裁判事項として認めず、共にその訴訟を受理しなかったため、その種の損害賠償請求を法的に実現する方法が閉ざされていただけのことであり、国の権力作用による加害行為が実体的に違法性を欠くとか有責性を免除されているものではなかったと解すべきである。いわゆる「国家無答責の法理」は、上記のような訴訟要件としての権利保護適格を否定する解釈が採られていたことによるものにすぎず、行政裁判所が廃止され、公法、私法関係の訴訟を司法裁判所において審理されることが認められる現行憲法及び裁判所法の下においては「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見い出し難い」と判示する。
(イ)被控訴人の反論
a 東京高裁平成15年7月判決のかかる判示は、要するに、実体法上、国の権力的作用に基づく損害についても、民法の適用があり、損害賠償請求権が発生するが、国家無答責の法理は、行政裁判所及び司法裁判所に対し、その賠償を求める訴訟が提起できなかったことによる訴訟法上の制約にすぎないとするものである。
しかし、被控訴人が従前から繰り返し指摘しているとおり、国家無答責の法理は、国の権力的作用に基づく損害について、民法の不法行為規定の適用がなく、国賠法施行前は、損害賠償責任を認める一般的規定がなかったことによる実体法上の法理であって(最高裁昭和25年判決参照)、単なる訴訟制度上の問題ではない。
b また、東京高裁平成15年7月判決によると、明治憲法下において、国家の権力的作用に基づく損害について民法の不法行為規定の適用を認め、実体法上、損害賠償請求権が成立するにもかかわらず、何故に裁判所において訴求できなかったのか、権利保護資格がないのかについて、何ら説得的な説明がなされていない。前記のように、国家無答責の法理は、「君主ハ不善ヲ爲スコト能ハズ。」との理念に基づくものであって、裁判所において訴求できないのは、実体法上損害賠償請求権が成立しないからにほかならないというべきである。
c さらに、東京高裁平成15年7月判決は、「行政裁判所が廃止され、公法、私法関係の訴訟を司法裁判所において審理されることが認められる現行憲法及び裁判所法の下においては「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見い出し難い。」と判示するが、問題とすべきは、現行憲法下における合理性ではなく、行為時法である明治憲法下における合理性である。
前記のように、国家無答責の法理は、行政裁判法と旧民法が公布された明治23年の時点で、国家の権力的作用について国は賠償責任を負わないとする国家無答責の法理が基本的法政策として確立し(塩野宏・行政法U(第2版)222、223ぺ一ジ)宇賀克也・国家責任法の分析409ないし411ぺ一ジ)、これに基づき、行政裁判法16条、旧民法等の規定が設けられたのであるが、戦前においては、我が国のみならず、米国、英国等の先進国において、いずれも国家無答責の法理を基本的法政策としていたのであって、その当時の我が国の政策判断が合理性・正当性を有していたことは明らかである。
米国では、「王は悪をなさず。」というコモン・ロー上の原則を引き継ぎ、1946年に連邦不法行為請求権法(FTCA)を制定するまでは、国家無答責が採用されていたが(植村栄治「各国の国家補償法の歴史的展開と動向‐アメリカ」国家補償法体系T(135ぺ一ジ))、この国家無答責の根拠について、1907年4月8日の「KAWANANAKOA
v. POLYBLANK」事件(205 U.S. 349 (1907))の連邦最高裁判所判決(ホームズ判事)は、「A
sovereign is exempt from suit, not because of any formal conception
or obsolete theory, but on the logical and practical ground
that there can be no legal right as against the authority
that makes the law on which the right depends. (統治者が訴えられないのは、因襲的な概念や時代遅れの理論によるものではなく、権利が成り立つ根拠である法律を作り出す権力を相手方とする権利というものはありえないという理論的で実際的な理由に基づくものである。)」と述べている。また、英国でも、1947年の国王訴追法が制定されるまで同様であり(古崎慶長・国家賠償法47ぺ一ジ)、ドイツ及びフランスでも、19世紀後半に、国家責任一般に民法を適用しようという試みがあったが、結局、その動きが否定される結果となったのである(宇賀克也・国家責任法の分析411ぺ一ジ)。
また、控訴人らの中華人民共和国においても、国家が、人民の国家であって、人民のために奉仕し、人民の利益と根本的に一致するため、人民の権利利益を侵害することはありえないという「国家と人民との利益が完全に一致する」という理論から演繹的に導かれた「国家無責任の法理」を理論的根拠として、1980年代初頭まで、名実ともに「国家無責任」の状態であった(張勇・「中国における行政救済法の理論的問題・行政上の損害賠償法制度をめぐって(一)」名古屋大学法政論集152号108、109頁参照)。
このように、明治憲法下における国家無答責の法理は、当時の各国の立法例の趨勢であって、日本国憲法を前提とする現在の価値観からみて、国家無答責の法理の合理性を否定することは全く根拠のないことである。
日本国憲法17条に基づき国賠法が制定されたが、国賠法制定の際の立法者の価値判断も、国賠法の遡及的適用を否定するべく国賠法附則6項に規定したように、同法施行前の行為については同法施行後においても、国は賠償責任を負わないこととするのが日本国憲法の下においても正当であるというものであって、これは合理的かつ正当な立法判断である。
したがって、現時点において、「「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見い出し難い」ことをもって、国賠法施行前の民法の解釈として、国の権力的作用に民法715条を適用できるとするのは誤りといわなければならない。
なお、最高裁判所平成15年4月18日第二小法廷判決(裁判所時報1338号3ぺ一ジ)は、法律行為がされた時点では公序に反しなかったが、その後に公序が変化した場合の法律行為の有効性について、「法律行為が公序に反することを目的とするものであるとして無効になるかどうかは、法律行為がされた時点の公序に照らして判断すべきである。けだし、民事上の法律行為の効力は、特別の規定がない限り、行為当時の法令に照らして判定すべきものであるが(最高裁昭和29年(ク)第223号同35年4月18日大法廷決定・民集14巻6号905頁)、この理は、公序が法律行為の後に変化した場合においても同様に考えるべきであり、法律行為の後の経緯によって公序の内容が変化した場合であっても、行為時に有効であった法律行為が無効になったり、無効であった法律行為が有効になったりすることは相当ではないからである。」と判示しているところである。この理は、国家無答責の法理にも妥当するのであり、明治憲法下において合理性が認められた国家無答責の法理を日本国憲法を前提とする現在の価値観によって否定して、特別の規定がないのに、無答責であった行為につき、賠償責任を認めることは法の解釈として許されないというべきである。
d 明治憲法下において設置されていた行政裁判所は、昭和22年5月3日に現憲法が施行されるとともに廃止され(裁判所法附則2項)、行政事件も含めて司法裁判所が一元的に裁判を行うこととなった(憲法76条1項、2項、裁判所法3条)。それにもかかわらず、その後の最高裁昭和25年判決においても、国家無答責の法理が採用されているのであって、国家無答責の法理が単なる訴訟法上の制約でないことは明らかである。
e 結局、東京高裁平成15年7月判決は、東京地裁3月判決と同様に、国家無答責の法理の意義を理解していないものといわざるを得ない。
ウ 国賠法が民法の不法行為規定の特別法であるとの判示について
(ア)東京高裁平成15年7月判決の判示
東京高裁平成15年7月判決は、国家無答責の法理の適用を否定し、国の権力作用に対する民法の適用可能性を肯定する理由として、「国家賠償法は民法709条以下の不法行為法の特別法である性格も有し、国家賠償法の制定がなければ賠償請求権の実定法上の根拠がなかったと解すべきではなく、一般法としての民法709条以下の不法行為法が原則として適用されると解すべき余地が十分にあり得た」と判示する。
(イ)被控訴人の反論
しかし、現行民法は、公法上の行為には適用されないとの理解のもとで制定されたものであり、このことは、被控訴人準備書面(1)22ないし34ぺ一ジで詳述した現行民法715条(草案では723条)の立法時の審議内容、現行民法の起草者である梅謙次郎及び富井政章の民法715条に関する解説等、明治憲法時代における代表的な民法学者である鳩山秀夫の同条に関する解説などから明らかである。
さらに、それだけでなく、以下に述べるように、国家賠償法も、民法が公法上の行為には適用されないとの理解のもとで制定されたものであることが、国家賠償法案の審議内容からも明らかである。
(ウ)国家賠償法案の起草者の見解等について
a 公権力の行使による国家賠償の問題と民法の不法行為責任の問題とは性質が異なること、国賠法1条は、公権力の行使による損害につき国家賠償責任を創設した規定であることについては、国会において、国家賠償法案を審議する際に、政府委員により明確にされている。
すなわち、昭和22年7月16日の第1回国会衆議院司法委員会において、質問者の「国家賠償法の第1条並びに第2条と民法の不法行為に関する法規と、その理念においてどこが違うのであるか、二つの立法を見くらべまして、その立法理念についての異なる点をひとつ弁明願いたいと思います。」との質問に対し、奥野健一政府委員は、「御承知のように民法におきましては私法関係の規定でありまして、本法におきましては国家公共団体の公権力行使による場合の関係で、いわゆる公行政の関係で、私法的関係ではありませんので、やはりこ.れを民法の中に規定するということはやはりその私的関係、公的関係と立場が違いますので、これを特別法にいたして、ここに国家賠償法案なるものを立案いたしたわけでありまして、その内容等につきましては、第4条にありますように、大体ここに規定する以外の事柄はすべて民法の規定によることにいたしたのであります。実質については、民法の不法行為に関する点そのまま適用されることになりますが、先ほども申しましたように、これは公法的な関係であり、民法は主として私法的な関係を規定してあるというところに差異があるというふうに考えます。」と答弁している。
そして、質問者の「そうしますと、民法で公権力の行使にあたつて、不法行為をあえてしたという場合においては、国家並びに公共団体は民法においては責任を負わぬ、こういう御解釈ですか。民法でもやはり負うのじゃないですか。」との質問に対し、奥野政府委員は、「従来国家公権力行使についての不法行為の場合においては、国家は賠償責任がないという理論が判例、学説で大体確立されておりますので、今度憲法の規定によつて国家が賠償責任があるというそういう立法をすべきことを憲法で要請されておりますので、すなわちこの法律によつて初めて国家が賠償の義務あることを明らかにいたしたものと考えております。すなわち民法の直接そのままの適用が、今までの解釈から言つてないということになつておりますので、特にこの特別法といいますが、この法案によつて国家の賠償の義務あることを明らかにいたしたわけであります。」と答弁している(第1回国会衆議院司法委員会議録第4号・乙第79号証46ぺ一ジ)。
民法と国賠法の関係について、立法者は、一般法と特別法の関係ではなく、別個の法体系に属するものと考えて、国家賠償法案を作成したのである(国家賠償法研究会・我が国及び諸外国の国家賠償制度の概観(1)・法令解説資料総覧12号(1979年)124ぺ一ジ(小澤文雄発言)参照)。
b そして、さらに奥野政府委員は、国家賠償法が、新たに創設された国家賠償の一般法であることも明言している。
すなわち、昭和22年7月29日の同国会衆議院司法委員会において、質問者の「次に第5条に関する問題についてお尋ねを申し上げたいと思います。この国家賠償は「民法以外の他の法律に別段の定があるときは、その定めるところによる。」と規定してございます。ところが過去における民法以外の賠償に関する特別法を通覧いたしますると、大体において非常にその賠償の責任の生ずる場合を局限しておること、生じた責任も非常に軽微にしかこれが賠償されないような形に現わされておるし、非常に窮屈な規定になつておると思いまするが、一般法、特別法の関係から申しますると、特別法は一般法に優先して適用されるというようなことになりますると、むしろ狭く考えられ、窮屈に規定された特別法が生きておるということになると、一体この国家賠償法との関係上、その特別法をどう解釈すべきかということが疑問でございますが、この点についてお答え願いたいと思います。」との質問に対して、奥野政府委員は、「本法案が国家賠償の一般法になり、さらに特別法があればその特別法によるという建前が5条であります。ただいまこの5条の特別法と申しますのは、郵便法のごときものを指しておるわけでありますが、御指摘のように郵便法は非常に古い法律でありまして、またその場合賠償額等につきましてもいろいろ制限があるようでありまして、これは新しく国家賠償法が制定されるということになりますれば、こういう特別法についても、さらに検討を要するのではなかろうかというふうに考えております。」(第1回国会衆議員司法委員会議録第7号・乙第80号証93ぺ一ジ)と答弁している。
c また、国家賠償法案の国会への提出は、GHQの認可を経てなされたものであるが、国家賠償法案についてのGHQとの折衝は、昭和22年5月から6月にかけて、10回にわたって行われた。GHQ側は、ノボットニィ大尉が中心となって国家賠償法案の審議を行った。そのGHQとの折衝の際に、日本国政府は、@国又は公共団体の公権力の行使による損害については、民法上の責任はない、A国又は公共団体の純然たる私経済活動については、民法の規定で責任を負う、Bその中間の場合、即ち、公権力の行使は伴わないが民法が働くか否か疑問の場合は2条で救済するという考えを示した。これに対し、公法私法二元論をとらない米国にとって、両者の区別を前提とした日本側の説明は理解に苦しむものであったようであるが、最終的には、日米両法制の基本的構造の相異ということで納得して、公権力の行使による損害について民法上の責任がないという日本国政府の説明を了承している(宇賀克也・国家賠償法案の立法過程・行政法の発展と変革下巻(塩野宏先生古希記念)所収・該当個所318ぺ一ジ、国家賠償法研究会・我が国及び諸外国の国家賠償制度の概観(1)・法令解説資料総覧12号(1979年)121ぺ一ジ(小澤文雄発言)参照)。
d 以上の審議内容及びGHQとの折衝過程から明らかなように、戦前及び戦後を通じて、公権力の行使による損害について、賠償責任を認める公法上の一般的規定はなく、原則として賠償責任は認められていなかったのであり、例外的に、個別の行政分野について、特別法によって賠償責任が認められていたにすぎないのである。これに対し、戦後は、国賠法の制定により、公権力の行使による損害については、原則として賠償責任を負わせることとしたが、国賠法5条により、個別の分野において、合理性がある限り、その例外をもうけたり、国賠法1条とは異なった要件をもうけることを許容した。すなわち、公権力の行使という公法関係の分野において、戦前は、国家賠償責任を認める法律がなかったことが実体法上の基本原理として位置づけられ、戦後は、一般的に国家賠償責任を認める国賠法が実体法上の一般法として位置づけられることとなった。
(エ)小括
以上のような現行民法案の審議内容及び国家賠償法案の審議内容に照らせば、東京高裁平成15年7月判決の「国家の権力的作用による損害賠償の問題について、特別法がない場合には、一般法としての民法709条以下の不法行為法が原則として適用される余地がある」との理解は誤りであることは明らかである。
(4) 国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決に反することについて
ア 東京高裁平成15年7月判決の判示
東京高裁平成15年7月判決は、国賠法附則6項について、「国家賠償法(昭和22年10月27日公布、同日施行)施行前においては、公務員の権力的作用による損害については、同法附則6項により「従前の例による」ものとされていたから、権利保護適格が認められないため訴えが不適法となると解する余地もあるが、同法附則6項が民事裁判事項であることを依然として否定する訴訟手続規定であると解するのは疑問がある。」と判示する。
イ 被控訴人の反論
しかし、このような解釈は、その前提として国家無答責の法理が訴訟手続上の制約に基づく法理にすぎないとしている点で重大な誤りがあるとともに、国賠法附則6項の解釈を誤り、さらに最高裁昭和25年判決にも反する重大なる法令違反及び最高裁判例違反の判断である。
すなわち、前記のように、国賠法附則6項は、国賠法施行前の公権力の行使に伴う損害賠償が問題とされる事例については、国賠法それ自体の遡及適用を否定するのみならず、それまで採用していた国家無答責の法理がそのまま適用されることにより、国又は公共団体が責任を負わないことを明かにしたものであって、東京高裁平成15年7月判決は、この点において、国賠法附則6項の解釈を誤っている。
また、最高裁昭和25年判決は、「論旨は、国家賠償法附則の「この法律施行前の行為に基く損害については、なお従前の例による。」との規定について、従前といえども公務員の不法行為に対し、国が賠償責任を負うべきものであつて、新憲法はこれを法文化したに過ぎないと主張するのであるが、国家賠償法施行以前においては、一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかつたことは前述のとおりであつて、大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して、常に国に賠償責にのないことを判示して来たのである。(当時仮りに論旨のような学説があつたとしても、現実にはそのような学説は行われなかつたのである。)本件家屋の破壊は日本国憲法施行以前に行われたものであつて、国家賠償法の適用される理由もなく、原判決が同法附則によつて従前の例により国に賠償責任なしとし、上告人の請求を容れなかつたのは至当であつて、論旨に理由はない。」と判示している。
この判示からも明らかなように、同判決は、国賠法附則6項の「従前の例」とは、公権力の行使に関しては民法の適用がなく、その他国の賠償責任を認める規定がなかったことから、公権力の行使については国には賠償責任がないこと、すなわち国家無答責の法理を意味し、その法理に従って判断した原判決が正当であると判示しているのである。
以上のとおり、東京高裁平成15年7月判決は、国賠法附則6項の解釈を誤り、最高裁昭和25年判決にも違反するというべきである。
ウ 近時の裁判例等
近時、元朝鮮半島出身者が、国家総動員法の下において、内地に強制連行され強制労働させられたとして損害賠償を求めた訴訟において、東京地方裁判所平成8年11月22日判決(訟務月報44巻4号507ページ)は、「明治憲法下においては、行政裁判所においても、「損害要償ノ訴訟」を受理できないものとされ(行政裁判法16条)、国家の賠償責任を肯定すべき根拠法令がなかったのであるから、国家賠償法附則6項の「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」との経過規定に照らせば、現時点における解釈としても、本件各行為当時においては、民法709条の規定によって、国がその権力的作用による損害について私人に対して損害賠償責任を負担するとの解釈を採用することはできないものというほかない(国家賠償法の右附則は、同法施行前の行為についていわゆる旧法主義を採用したものにすぎず、この規定が、民法709条適用説の根拠となるものではない。)。」と判示したところ、その控訴審である東京高等裁判所平成14年3月28日判決(乙第30号証)もこれを維持し、さらに最高裁判所平成15年3月28日第二小法廷決定(乙第81号証)も、上告棄却及び上告不受理の決定をした。
このように国賠法附則6項の「従前の例」が国家無答責の法理を指すことは、最高裁昭和25年判決以来、判例上一貫している(東京地方裁判所昭和59年10月30日判決・判例時報1137号29ぺ一ジ、東京高等裁判所昭和63年3月24日判決・判例時報1268号15ぺ一ジ、東京高等裁判所平成12年12月6日判決・判例時報1744号48ぺ一ジ、東京高等裁判所平成13年2月8日判決(乙第23号証)、同事件につき最高裁判所平成13年10月16日決定(上告棄却及び上告不受理決定、乙第43号証)。
(5) 結論
以上に述べたように、東京高裁平成15年7月判決は、国家無答責の法理の理論的根拠ないし意義を理解しないだけでなく、明確な根拠を示すことなく、国賠法附則6項及び最高裁昭和25年判決にも明らかに相反する判断を示したものであり、正当とは言い難い判決である。
3 東京高裁平成16年2月判決の妥当性について
(1) この事件は、台湾在住の女性が、先の大戦中、旧日本軍及びその構成員によって、台湾内又はその他の地域に「(従軍)慰安婦」として連行され、監禁された状況で組織的、継続的に性行為の強要をされたこと等により、多大な精神的損害等を被ったとして、国に民法等に基づき損害賠償等を求めた事件である。
国は、この事件において、東京地裁3月判決及び東京高裁平成15年7月判決における国家無答責の法理に関する判断につき、被控訴人準備書面(1)第1項及び前記2(本準備書面第1、2)と同様の反論をし、両判決の国家無答責の法理に関する判示の不当性を明かにしたものである。
(2) これに対し、東京高裁平成16年2月判決は、国家無答責の法理につき、次のとおり判示した(乙第76号証)。なお、この判決が引用している「乙11ないし17、23ないし30」とは、本件訴訟で被控訴人が提出した証拠(乙第27、26、29、32、33、30、42、34ないし37、78、38、79、80号証)である(対応関係につき、被控訴人の平成16年3月18日付証拠説明書の乙第76号証の欄参照)。
「証拠(乙11ないし17、23ないし30)を総合し、考察すれば、次の諸点が明らかである。
国家賠償法(昭和22年10月27日施行)は、公権力の行使などによる損害の賠償についての国又は地方公共団体の責任を規定しているところ、大日本帝国憲法下の我が国の法制度においては、国の行為のうち私経済的作用については、民法を始めとする一般私法関係の規律に服させるべきものと解釈されていたが、公権力の行使に当たる権力的作用については、これにより私人に損害が発生したとしても、民法の適用はないものとされ、民法その他の法律において国の公権力の行使により他人に損害を与えた場合の国の賠償責任を定めた明文の規定を置くことがなかった立法態度などから、権力的作用による損害については、いかなる場合でも国の賠償責任は存在しないものと解釈され、これが確立した法理となっていたことが明らかであり、大審院の判例は、一貫して権力的作用による損害について国の賠償責任を否定する旨を判示していたし、旧行政裁判法(昭和22年5月3日廃止)16条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定していたため、行政裁判所の訴訟手続でも公権力の行使による損害の賠償請求は認められていなかった。
ただし、このような国家無答責の法理は、後に「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」と規定する憲法17条によって改められたところであるが、大日本帝国憲法下の我が国の法制度の下では、上記のとおり、国の権力的作用による私人の損害について国は賠償責任を負わないとの国家無答責の法理が妥当していたものと解するほかないのであり、その後憲法17条がこの法理を廃棄して国又は公共団体の損害賠償責任の根拠を明らかにしたことにより、同条に基づいて国家賠償法が制定され、これによって初めて具体的に、権力的作用による私人の損害の救済が図られることとなったものである。
以上のとおり、大日本帝国憲法下において国家無答責の法理が妥当していたのは、国の権力的作用が、その優越的地位に基づき私人に対し命令し強制するという作用であるために、本来的に私法原理の適用を排斥し、対等者間の利害調整の見地から定められた民法の不法行為に関する規定に親しまない特種な法領域に属するものであると考えられていたことや、権力的作用による損害に対する賠償責任を認めるための特別の一般根拠規定も立法されなかったことに基づくものであって、単に権力的作用による損害賠償責任を追及するための手続法が存在しなかったことに基づくものではないことが明らかである。したがって、国家無答責の法理は、単に手続法上の問題に由来するものではなく、実体法に由来するものであるということができる。
そして、国家賠償法附則6項には、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」との経過規定が設けられているところ、同項にいう「従前の例」に相当する大日本帝国憲法下の法制度においては、上記のとおり国家の損害賠償責任を肯定すべき実体法上の根拠法令が存在しなかったことに照らせば、憲法及び国家賠償法施行後の現時点における解釈としても、同法施行前の日本軍の行為である控訴人ら主張の本件加害行為について、国が民法の規定によってその権力的作用による損害の賠償責任を負担するものと解することはできない。」(判決文6ないし8ページ)
(3) このように、東京高裁平成16年2月判決は、東京高裁平成15年7月判決及び東京地裁平成15年3月判決における国家無答責の法理に関する誤った判断を正し、国家無答責の法理について正当な判断を示したものである。
第2 除斥期間について
1 はじめに
控訴人らは、控訴人ら第3準備書面において、従前の主張同様、民法724条後段の適用に関し、同条後段の適用が著しく正義、公平に反し、条理にもとる場合には、これを適用すべきでないと重ねて主張する。
しかし、控訴人らの主張が失当であることは、被控訴人準備書面(1)61ページ以下で述べたとおりである。
また、控訴人らは、控訴人ら第3準備書面においては、新たに東京地方裁判所平成15年9月29日判決(以下「東京地裁平成15年9月判決」という。甲第491号証)を引用して、控訴人らの主張の根拠としている(同書面30ページ)。
しかし、東京地裁平成15年9月判決は、民法724条後段は除斥期間を定めたものであると正当に判示しながら(判決書42ページ)、除斥期間は、「その適用によって被害者の損害賠償請求権が消滅することになる反面で、加害者は損害賠償義務を免れる結果となるのであるから、そのような結果が著しく正義、公平の理念に反し、その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には、除斥期間の適用を制限することができると考えるべきである。」(同43ページ)と判示しており、民法724条後段の適用を制限することを例外的に許容した最高裁平成10年判決の射程を超え、最高裁平成元年判決及び最高裁平成10年判決に反し、明らかに実定法の解釈を超えるものであって失当である。
したがって、東京地裁平成15年9月判決の除斥期間の適用に関する誤った判断を根拠とする控訴人らの主張が、失当であることも明白である。
以下、東京地裁平成15年9月判決の民法724条後段に関する判断の誤りについて、詳述する。
2 東京地裁平成15年9月判決の判示等
東京地裁平成15年9月判決は、旧日本軍が、ポツダム宣言受諾前後に、旧満州地区(現中国東北部)内に、毒ガス砲弾等を遺棄し、その後も放置したことによって、1974年(昭和49年)に毒ガス流出等の事故が発生し、それから20年以上経過して提訴された損害賠償請求に関して、民法724条後段は除斥期間を定めたものであると正当に判示しながら(判決書42ページ)、除斥期間は、「その適用によって被害者の損害賠償請求権が消滅することになる反面で、加害者は損害賠償義務を免れる結果となるのであるから、そのような結果が著しく正義、公平の理念に反し、その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には、除斥期間の適用を制限することができると考えるべきである。」(同43ページ)とした上、本件において被告国が除斥期間の適用によって損害賠償義務を免れるという利益を受けることは、著しく正義、公平の理念に反し、その適用を制限することが条理にかなうというべきであるから、除斥期間の適用は制限するのが相当であると判示した(同42ないし44ページ)。
3 民法724条後段の解釈適用に関する判例違反等
(1) 民法724条後段の20年の期間は除斥期間であり、「被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたもの」(最高裁平成元年判決・民集43巻12号2209ページ。)である。
このような除斥期間の性質から、裁判所は、当事者が主張をしなくても、機関の経過により請求権が消滅したと当然判断すべきであり、また、除斥期間に係る主張を信義則違反、権利濫用とすることもできないとされている(最高裁平成元年判決、最高裁平成10年判決)。
ところが、東京地裁平成15年9月判決は、民法724条後段の規定を、除斥期間を定めたものとしながら、前記のように、除斥期間制度の適用の結果が、著しく正義、公平の理念に反し、その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には、除斥期間の適用を制限することができると解して、原告らの請求について除斥期間の適用を制限した。
しかし、このような判断は、以下に述べるように、最高裁平成元年判決の考え方に明らかに反するものであるのみならず、その後の最高裁平成10年判決に照らしても、到底容認することができない。
(2) すなわち、最高裁平成10年判決は、予防接種禍訴訟について、不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において、その後当該被害者が禁治産宣告を受け、後見人に就職した者がその時から6箇月内に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは、民法158条の法意に照らし、同法724条後段の効果は生じないと判示した。そして、その理由としては、心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても、被害者は、およそ権利行使が不可能であるのに、団に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面、心神喪失の原因を与えた加害者は、20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり、著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ないことを挙げている。
この最高裁平成10年判決は、「心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても、被害者は、およそ権利行使が不可能であるのに、単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面、心神喪失の原因を与えた加害者は、20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となること」は、著しく正義・公平の理念に反するとしているが、それは、あくまで民法158条の法意を除斥期間制度にも持ち込むための理由にすぎず、一般的に著しく正義・公平の理念に反する場合には何らかの法律上の根拠なく除斥期間の適用を排除できるとしたものでないことは明らかである。
そのことは、最高裁調査官の判例解説でも、「本判決の射程は、極めて狭いものと思われる。民法724条後段の適用の効果を否定する場合としては、除斥期間内に権利を行使しなかったことを是認することが本件の事案と同程度に著しく正義・公平に反する事情がある上、時効の停止等その根拠となるものがあることが必要であろう。河合裁判官の意見のように、除斥期間説に立ちながら、幅広く例外を認めることは、平成元年判決に抵触することになり、大法廷における判例変更が必要となるであろう。」(春日通良・最高裁判所判例解説・民事編平成10年度(下)576ページ)と述べられているとおりである。
したがって、この判決が、一般的に、除斥期間の適用が「著しく正義・公平の理念に反する」場合には、その適用を排除できるとしたものと考えることは、明かに判例の射程を誤ったものといわなければならない。
(3) また、最高裁平成10年判決の事案では、心神喪失の常況が当該不法行為に起因するほかは、直接国側の行為が問題にされているわけではなく、むしろ、当該不法行為によって、20年以内に損害賠償請求を提起することができない事態(心神喪失の常況)がもたらされたことが、「著しく正義・公平の理念に反する」とされたものである。
これに対し、東京地裁平成15年9月判決は、「国際法的に禁止されていた毒ガス兵器を中国に配備して使用していた旧日本軍が、国際的非難を避けるためポツダム宣言にも違反して、終戦前後に組織的にそれを遺棄したという違法な行為につき、戦後になっても被害の発生を防止するための情報収集や中国への情報提供をせず、1972年に中国との国交が回復された後も積極的な対応をしないで遺棄された毒ガス兵器を放置していた」(判決書43ページ)ことを根拠に、このような場合に除斥期間を適用することは「著しく正義・公平の理念に反する」としており、最高裁平成10年判決が重視した権利行使を不可能とする事由もないのに除斥期間の適用を制限している点で、その判断枠組みには明らかに差異がある。
(4) そもそも東京地裁平成15年9月判決の挙げる上記のごとき事情のみでは、すべての不法行為について除斥期間の適用を制限することになりかねないというべきであるし、これらの事情は、従来、信義則違反あるいは権利濫用を基礎づける事情として主張されてきたものであるところ、除斥期間の適用が信義則違反あるいは権利濫用であるとの主張は、最高裁平成元年判決及び最高裁平成10年判決においても主張自体失当とされているのである。このような事情に基づき除斥期間の適用を制限することは、最高裁平成10年判決の予定するところではない。
(5) 以上に加えて、東京地裁平成15年9月判決は、「本件においては、除斥期間の対象とされるのは国家賠償法上の請求権であって、その効果を受けるのは除斥期間の制度を創設した被告自身である。」(判決書43ページ)と判示し、国家制度としての除斥期間の制度が、国以外の者が当事者である場合は適用されても、国が当事者である場合には適用されないかのように述べている。
しかし、三権分立の下、法律は国民の代表者で構成される国会において制定されるのであって、行政権の行使に対しても、法律がその規定どおり等しく適用されるのは当然のことであり、それが正義公平の理念に著しく反するというのは法治主義に反する。
また、東京地裁平成15年9月判決は、「条理」という概念によって、民法724条後段の適用を制限しているが、そもそも「条理」は、一般的に法の欠缺を補うものであって、明治8年の太政官布告103号によれば、成文法も慣習もないときに裁判の基準としてとりあげられるものであり(有斐閣・法律用語辞典第2版746ぺ一ジ)、法の適用を排除して法の欠缺を作り出すことの根拠となるものではない。そもそも、「条理」の名の下に法律を無視すること自体、条理を逸しているというべきである。
このように、東京地裁平成15年9月判決の判断は、明らかに実定法の解釈を超えるものであって、法律の解釈適用の名の下に、このような判断がされることは許されない。
(6) さらに、東京地裁平成15年9月判決は、この点に関連し、刑事訴訟法255条1項の定める公訴時効の停止の考え方に合理性があり、参考になる旨判示する(判決書44ぺージ)が、同条同項は公訴時効に関する規定であって、除斥期間に関する規定ではない。同判決の判示は、公訴時効と除斥期間の差異を看過し、両者を混同するものであって失当である。
実質的に見ても、公訴時効の停止に関する規定は裁判権が法律上行使できない状況にあるときの規定であるが、本件においては、裁判権が法律上行使できなかったという事情は全くなく、被控訴人らにおいて提訴に事実上の困難が伴ったにすぎないのである。
4 小括
以上のとおり、東京地裁平成15年9月判決の事案において民法724条後段の適用を制限することは、例外を許容した最高裁平成10年判決の射程を超え、最高裁平成元年判決及び最高裁平成10年判決に反するというべきである。
この点について、東京高等裁判所平成12年12月6日判決(判例時報1744号48ぺ一ジ)も、「右判決(引用者注・最高裁平成10年判決)は、『不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合』というきわめて限定された事実関係の下で、民法158条の規定の適用が時効の場合について可能であるのに除斥期間については不可能となることによる不均衡等をも考慮の上、文言どおりの法規の適用が法全体を支配する正義・公平の理念に著しく反するものと判断し、民法158条の定める期間の範囲内で権利行使をすることを許容したものであり、被害が甚大であること、あるいは権利行使が困難であることを理由として除斥期間の延長を容認するものではなく、そのようなことは除斥期間を定めた民法の趣旨に反するというべきである。」と正当に判示している(東京高裁平成16年2月判決も、除斥期間の適用に関して同様の判示をしている。)。
同事件につき、敗訴した同事件控訴人は、最高裁判所に上告受理の申立てをし、上告受理申立理由書において、本件控訴人らと全く同様の主張をしたが(乙第82号証・該当部分65ないし69ぺ一ジ)、最高裁判所第一小法廷は、平成15年12月25日、「本件申立ての理由によれば、本件は民訴法318条1項により受理すベきものとは認められない。」として、不受理の決定をした(乙第83号証)。
このように除斥期間の適用制限に関する控訴人らの主張は、既に最高裁判所において排斥されたのであって、実務的に解決済みというべきである。
第3 日中共同声明等について
1 控訴人らの主張の要旨等
(1) 被控訴人は、被控訴人準備書面(1)93ページ以下において、予備的主張として、仮に控訴人らの主張する旧日本軍の行為により、控訴人に何らかの請求権が成立したとしても、日華平和条約11条及びサン・フランシスコ平和条約14条(b)により戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた中国国民の請求権は、国によって「放棄」されており、日中共同声明5項にいう「戦争賠償の請求」は、かかる「請求権」を含むものとして、中華人民共和国がその「放棄」を宣言したものであること、したがって、このような請求権は、サン・フランシスコ平和条約の当事国たる連合国の国民の請求権と同様に、国によって放棄されており、これに基づく請求に応ずべき法律上の義務が消滅しているので、救済が拒否されることになる旨主張し(同書面39ページ)、「我が国政府の見解は、先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の問題については、サン・フランシスコ平和条約その他二国間の平和条約及びその他関連する条約等に従って誠実に対応してきているところであり、これら条約等の当事国との間では法的に解決済みであって、日本と中国との間の請求権の問題についても、1972年(昭和47年)9月29日に署名された日中共同声明(同声明5項においては、「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」とされている。)発出後、個人の請求権の問題も含めて存在しておらず、このような認識は、中国政府も同様である」(同書面95ページ)と主張した。
(2) これに対し、控訴人らは、控訴人ら第3準備書面において、「被控訴人の主張が成り立つためには、第1に、サンフランシスコ平和条約14条(b)の条文によって、被害国国民、被害者個人の請求権は完全に消減したこと。第2に、日華平和条約は、サンフランシスコ平和条約の枠内で締結された中国の合法政府との有効性を持つ講和条約であること。第3に、日中共同声明は、日華平和条約を受け継ぐものであること、の3点が前提とされる。しかし、上記3点は、いずれも成り立たない議論であり、日中共同声明5項解釈の根拠を、サンフランシスコ平和条約と日華平和条約に求めるという被控訴人の主張は、それ自体失当である。」とし、「被控訴人の主張は、第1に、サンフランシスコ平和条約14条の解釈において、第2に、日華平和条約の解釈において、第3に、サンフランシスコ平和条約及び日華平和条約が日中共同声明の根拠となっているという解釈において、いずれも誤っている。」(控訴人ら第3準備書面37、38ページ)と主張して、被控訴人の主張をるる論難する。
しかし、控訴人らのいずれの主張も、以下に述べるように、条約の締結権限を有する日本国政府(憲法73条2号、3号)の見解を正解しておらず、失当である。
2 サン・フランシスコ平和条約の意義等について
(1) サン・フランシスコ平和条約及びそれに基づく戦後処理の事実関係については、被控訴人準備書面(1)95ページ以下で詳述したところである。
すなわち、戦後の講和条約は、戦争当事国のみならず、その当事国相互の国民に広範囲に発生した戦争行為によって生じた被害の賠償問題を解決する条約であり、一般的に賠償その他戦争関係から生じた請求権の主体は、国際法上の他の行為より生じた請求権の主体と同様、常に国家であって、例外的に条約で、被害者である国民個人に対して、請求権者として直接必要な措置をとる方法を設けた場合以外は、国民個人の受けた被害は、国際法的には国家の被害であり、国家が相手国に対して固有の請求権を行使することになる(入江啓四郎・日本講和條約の研究248ページ参照・乙第51号証)のであって、国民個人の受けた被害についても、講和条約によってその賠償問題が解決されるのである。
そして、第二次世界大戦後においては、ベルサイユ条約における失敗の反省から、戦後賠償問題の解決に当たって、当事国内部の利害を調整した上で、当事国が国家及びその国民が被った被害を一体としてとらえ、相手国と統一的に交渉することとして賠償問題に最終的な決着を図ることとし、その交渉の結果、締結に至る講和条約等は、戦後の国際的枠組みを構築する上で、適正かつ妥当な解決を目ざすものとして位置づけられ、当事国及びその国民の相互の真の意味での和解の印として、その後の当事国及び相互の国民の友好関係の基盤となることを目的とした。
そのため、このような講和条約の枠組みの下では、戦後賠償は、原則として国家間の直接処理、又は求償国内の旧敵国資産による満足の方法によることとして解決が図られ、個々の国民の被害については、原則として、賠償を受けた当該当事国の国内問題として、各国がその国の財政事情等を考慮し、救済立法を行うなどして解決が図られている(入江・前掲日本講和條約の研究250ぺ一ジ参照・乙第51号証)のである(被控訴人準備書面(1)96、97ぺ一ジ参照)。
(2) 殊に、サン・フランシスコ平和条約を理解する上では、そもそも、我が国が第二次世界大戦の敗戦国であることに留意すべきである。
サン・フランシスコ平和条約は、「和解と信頼」の文書と称されるが、講和条約である限り、とくに戦勝国と戦敗国との講和条約である限り、絶対の平等ということは、はじめからあり得ず、戦勝国が有利な立場に立ち、戦敗国が不利な立場に立ち、その間にいくらかの不平等があることは、戦勝国と戦敗国の講和条約である限り、当然のことであり、必然である(横田喜三郎・平和條約の綜合研究上巻59ぺ一ジ)とされている。
戦争賠償の問題も、東京高等裁判所平成13年10月11日判決(判例時報1769号61ぺ一ジ・乙第16号証参照)が判示するように「戦争被害の救済は、戦争の勝敗を離れては存在しないのが現実である。戦争終了後、戦争の後始末として、戦争被害の救済に関する外交交渉が行われ、多くの場合は、講和条約(平和条約)の一内容として、賠償に関する合意がされる。その外交交渉は、もちろん戦争の勝敗という現実の影響下に行われるから、戦敗国が戦勝国から賠償を受けることはまずない。賠償は、戦勝国か第3国のみが戦敗国から受けるのである(入江啓四郎「日本講和条約の研究」222頁)。
敗戦国である我が国にとって、サン・フランシスコ平和条約を締結するか否かは、同条約1条が、同条約発効時に我が国と連合国との戦争状態は終了し、我が国及びその領水に対する我が国国民の完全なる主権が承認される旨規定されていることから明らかなように、その内容を受諾して連合国から独立するかあるいは受諾を拒否して連合国に占領されたまま(同条約6条参照)、連合国との戦争状態を継続させるかのどちらかの道を選択するかという問題であった。
日本国政府は、サン・フランシスコ平和条約を締結することを決断し、前者の道を選んだのである。
そして、サン・フランシスコ平和条約の諸条項は、敗戦国である我が国が、連合国との戦争状態を終結させ、完全な主権を承認されるために、領土の処分、賠償並びに財産及び請求権の問題の解決について示された連合国からの条件であり、被控訴人準備書面(1)99ないし102ぺージで述べたとおり、我が国は、サン・フランシスコ平和条約を締結した後、同条約に基づき連合国に対して多額の支払を行い、誠実に対応してきたところである。
この点に関し、前掲東京高等裁判所平成13年10月11日判決}(判例時報1769号61ぺージ・乙第16号証参照)は、サン・フランシスコ平和条約14条(b)により、連合国が連合国及びその国民の日本国及びその国民に対する請求権を放棄したのは、「我が国が、敗戦により、海外の領土の没収だけでなく、連合国内のみならず、中国、台湾、朝鮮等にあった一般国民の在外資産まで接収され、さらに中立国にあった日本国民の財産まで賠償の原資とされるといった過酷な負担の見返りであった。また、それは将来における日本の復興と国際社会への貢献を期待しての措置であった」と判示し、正確な事実認識に基づき正当な評価をしている。
(3) 控訴人らは、「アメリカの講話政策は、本来の戦争処理という目的とは離反し、日本を経済的軍知事的にいわゆる「西側陣営」に取り組むことを目的としたもの」で、「その結果、サンフランシスコ平和条約14条における賠償の軽減・放棄が図られた」(控訴人ら第3準備書面41ページ)と主張し、あたかも、サン・フランシスコ平和条約14条(b)による請求権放棄が、不当に我が国の賠償を軽減したものであるかのように主張する。
しかし、サン・フランシスコ平和条約の承認を支持した米国上院外交委員会は、「「明らかに、いかなる比率であれ被害を受けた諸国及びその国民の請求権の価額に比例する賠償金の支払いに固執することは、日本経済を破壊し、日本が現在有する対外債権を消し去り、日本国民の進取の気性を打ち砕き、みじめさと混沌を生み、そこに不満の種と共産主義が栄えるであろう。」(上院報告No.82-2
2d Sess(1952)」(カリフォルニア州控訴裁判所2003年2月6日判決・乙第63号証9ページ)と述べ、また、「ダレス代表も、「日本は、現在、国民が生きるために必要とする食糧又は仕事をするために必要とする原材料を生産することができない4つの島に縮減されている。」「このような状況において、平和条約が日本に対する金銭賠償請求を有効であるとし、又は条件付きで存続させた場合、日本の通常の商業信用は消滅し、国民の意欲は壊滅し、そして日本国民は心理的な苦悩に陥り、容易に搾取の餌食になってしまうであろう。」「幻想的な夢の実現を最大限に求めて、連合国内において、一層熾烈な競争が起きるであろう。」と憂慮した。」(前掲東京高裁平成13年10月11日判決・判例時報1769号72ページ・乙第16号証29、30ページ)とされる。
そもそも、いくら最高法規たる憲法が存在するからといって、連合国の占領軍に領域が占領され(サン・フランシスコ平和条約6条((a)参照)、日本国及びその領水に対する日本国民の完全なる主権がなければ(同条約1条(b)参照)、「自国の主権を維持し、他国と対等な関係」(憲法前文)に立つことはできないのであって、その観点からも、サン・フランシスコ平和条約こそ戦後の我が国の存立基盤であることを正当に理解することが必要不可欠である。
日本国政府は、平成12年に、北部カリフォルニア区サンフランシスコ支部連邦地方裁判所に係属していた元米国捕虜等による日本企業に対する訴訟に関して、サン・フランシスコ平和条約の意義に関して意見を述べ、同意見書は、同裁判所に提出された。同意見書で、日本国政府は、「歴史上最も破壊的な戦争の一つを同条約(引用者注・サン・フランシスコ平和条約)の締結によって正式に終了させた後、日本国と米国は、世界で類を見ないような最も建設的で有益な国際的パートナーシップの一つを築いた。この関係は、相互尊重、信頼並びに民主主義、自由市場経済、法の支配及び基本的人権の尊重等の共有された価値観に基づいて築かれたものである。50年以上も前に最終的に解決したと日米両国が同意している賠償の問題を蒸し返そうとすることによって、この偉大なる財産が悪影響を受けるようなこととなれば、真に遺憾である。」(乙第60号証)と述べ、また、米国政府もサン・フランシスコ平和条約が連合国と我が国との関係の基盤をなすことを強調した。
以上にみられるように、米国を含む連合国も「和解と信頼」の文書である、サン・フランシスコ平和条約の意義を正しく理解しており、これが戦後我が国と連合国との「共通の福祉を増進し且つ国際の平和及び安全を維持するために主権を有する対等のものとして友好的な連携の下に協力する国家の間の関係」(サン・フランシスコ平和条約前文)の基盤となったことは明らかであって、控訴人らの主張は失当である。
3 「サンフランシスコ平和条約における個人の請求権問題」に関する控訴人らの主張の誤りについて
(1) 控訴人らの主張
控訴人らは、前記のとおり、「被控訴人の主張が成り立つためには、第1に、サンフランシスコ平和条約14条(b)によって、被害国国民、被害者個人の請求権は完全に消滅したこと」が前提になる(控訴人ら第3準備書面37ページ)とした上、「被控訴人の、「日中共同声明によって中国国民の請求剣も放棄された」という主張の前提である、「サンフランシスコ平和条約14条によって個人の請求権が完全に消滅した」という被控訴人の解釈は成り立たないものである」(同書面45ページ)と主張する。
(2) 被控訴人の反論
控訴人らは、被控訴人が、サン・フランシスコ平和条約14条(b)によって、個人の請求権が消滅したと主張しているかのような前提に立って、上記主張をしている。
しかし、被控訴人が被控訴人準備書面(1)で主張したのは、サン・フランシスコ平和条約14条(b)にいう「請求権の放棄」とは、「日本国及び日本国民が連合国国民による国内法上の請求権に基づく請求に応ずる法律上の義務が消滅したものとして、これを拒絶することができる旨定められたものと解すべきである」(同書面109ページ)と主張したのであり、個人の請求権が消滅したと主張したものではない。
この問題については、昭和31年4月10日、参議院外務委員会において、下田武三外務省条約局長が、サン・フランシスコ講和会議において、オランダ代表から提起された問題(被控訴人準備書面(1)104ないし106ページ)について、「法律的には義務を負わないで、しかも何らかの満足をオランダ側に与えるという見地から、将来自発的にすることがあるということにいたしまして、それによって、とにかくオランダの条約署名を取りつけたわけであります。」(乙第84号証2ページ)と述べていることからも明らかであり、平成13年3月22日、参議院外交防衛委員会において、海老原紳外務省条約局長も「今回、我が方が主張しました点に関しまして消滅したと述べておりますのは、個人の請求権そのものが消滅したというふうな言い方はしておらないわけでございまして、14条(b)項によりましてこれらの請求権、債権に基づく請求に応ずべき法律上の義務が消滅し、その結果救済が拒否されるということを述べておるわけでございます。」(乙第85号証)14ページ)と答弁しているところである。
したがって、控訴人の主張は、被控訴人の主張を誤解した上で批判であり、前提を欠き失当である。
4 日華平和条約に関する控訴人らの主張の誤りについて
(1) 控訴人らの主張
控訴人らは、前記のとおり、「被控訴人の主張が成り立つためには、……第2に、日華平和条約は、サンフランシスコ平和条約の枠内で締結された中国の合法政府との有効性をもつ講和条約であること」が前提になる(控訴人ら第3準備書面37ページ)とした上、「日華平和条約が締結された1952年4月28日(発効は同年8月5日)において、すでに蒋介石政権が中国の合法政府とはいえないことは明白であり、少なくとも1972年の日中共同声明の時点で、日華平和条約は無効となったといわなければならない。仮にそれが有効なものとしても、その時期は1972年9月29日(日中国交正常化の日)までであり、その有効範囲は、中国全土ではなく、台湾地域にしか及ばないものである。この点は、先にあげた条約締結後の政府答弁によって、日本政府も認めているところであり、日華平和条約自体にも、交換公文第一号という形で「この条約の条項が、中華民国に関しては、中華民国政府の支配下に現にあり、又今後入るすべての領域に適用がある旨のわれわれの間で達した了解」と銘記されている」などと主張し、「「日華平和条約は、サンフランシスコ平和条約の枠内で締結された中国の合法政府との有効性を持つ」という被控訴人の主張は成立しない」と主張する(控訴人ら第3準備書面49ページ)。
(2) 被控訴人の反論
しかし、我が国は、当時、中国を代表する唯一、合法の政府として承認していた中華民国政府との間で日華平和条約を締結したものであるから、この条約が国際法上合法かつ有効な条約であることに疑いの余地はなく、しかも、
日華平和条約による日中間の戦争状態の終結及び賠償並びに財産及び請求権の解決は、一度限りの処分行為であるから、かかる内容の規定は、条約発効と同時に最終的効果が生じ、その後における条約の存続の有無によってその法的効果が変わるところがない。
また、日華平和条約に附属する適用地域に関する交換公文(以下「附属交換公文」という。)は、中華民国政府の正統性を地理的に限定したものではなく、戦争状態の終結や賠償並びに財産及び請求権の問題等は、その性質上、地理的適用範囲が問題となるものではない。
したがって、前記の控訴人らの主張は失当である。
以下、これらの点につき詳述する。
ア 日華平和条約締結の経緯
第二次世界大戦後の中国において、一つの国家としての「中国(china)」を代表する政府として、中華民国政府と中華人民共和国政府が互いに自己の正統性を主張していた。
そのため、サン・フランシスコ講和会議に中華民国政府、中華人民共和国政府いずれを招待するかについて問題が生じた。この問題につき、連合国の間、特に米英両国の間で意見の対立があり、結局、いずれも招かないということになったが、その結果、日本はいずれの政府と戦後外交関係を結ぶかが問題となり、米国にとっても非常に大きな政治問題となった。昭和26年暮れに、米国政府の中で対日平和条約問題を担当するダレス特使が来日し、同特使が、吉田茂総理大臣に対して、我が国が中華民国政府と平和条約を締結するのでなければ、サン・フランシスコ平和条約自体が米国議会の承認を得られないと説得したため、吉田総理もこれに応じ、いわゆる吉田書簡(日中関係基本資料27ないし29ページ・乙第86号証)を発出し、日本は中華民国政府と平和条約を締結することを約束した(栗山尚一・日中国交正常化・早法74巻4号40ページ・乙第87号証)。
このようにして、我が国は、中華民国政府をもって、中国を代表する正統政府であると承認して、国家としての中国と日本国との戦争状態の終結等の問題を解決するために日華平和条約を締結した。なお、昭和27年までに約35ヵ国が中華民国政府を承認し、20ヵ国が中華人民共和国政府を承認していたといわれ、日華平和条約締結当時の中華民国政府は、国際連合における代表権を有し、国連加盟61ヵ国のうち、中華人民共和国政府を承認していた国は、12ヵ国に過ぎなかったものである(入江通雅・日華平和条約の合法・有効性について・法と秩序第1巻6号41ページ)。
イ 戦争状態の終了、賠償並びに財産及び請求権の問題処理
戦争状態の終了、賠償並びに財産及び請求権の問題の処理については、前記のとおり、平和条約の締結によって、国家と国家の間で解決されるべき問題であり、我が国が締結したサン・フランシスコ平和条約をはじめとして、各国の実行が積み重ねられてきている(前掲平成14年12月20日付け衆議院議員近藤昭一君提出朝鮮人強制連行・強制労働に関する質問に対する答弁書五・乙第88号証の1及び第88号証の2)。
そして、日中間の戦争状態の終了、賠償並びに財産及び請求権の問題は、日華平和条約によって法的に完全かつ最終的に解決した。このような問題の処理は、一度限りの処分行為であり、同じ国と2度平和条約を締結することは法的に不可能なことである。この点については、高島益郎外務省条約局長が、昭和48年7月26日、衆議院内閣委員会において、「日本と中国との関係において、その代表する政府を従来の中華民国政府から中華人民共和国政府に承認がえをするという方針に基づいて昨年日中共同声明をやったわけでございますけれども、基本的に法律関係は日華平和条約によって中国との間にすべて処理済みである、この前提に基づいてやったわけでございますので、新たにまた法律関係を中国との間に締結し直すということは不可能な状態にあった」(乙第89号証2ページ)「中国との間に戦後平和条約を締結しました事情もありまして、同じ中国との間に二度平和条約を締結するということは法律的に不可能なこと」(同書証3ページ)と答弁しているとおりである。
したがって、日華平和条約によって、日本と中国との間で一度法的に解決した問題を、再度両国間で処理することはあり得ず(被控訴人準備書面(1)120ページ)、先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の問題は、日中間においては、日華平和条約によって法的には解決済みである。
ウ 附属交換公文について
(ア)附属交換公文には、「この条約の条項が、中華民国に関しては、中華民国政府の支配下に現にあり、又は今後入るすべての領域に適用がある」との規定があるところ、控訴人らは、この附属交換公文の存在により、日華平和条約が中国大陸には適用されない旨主張する。
(イ)確かに、日華平和条約締結当時、中華民国政府は、中国大陸の実効的支配を失い、台湾及び澎湖諸島等の実効的支配をしているにすぎなかった。したがって、通商航海条約(日華平和条約第7条)、民間航空(第8条)、漁業協定(第9条)等、当該条項の内容からして現に支配していない地域を対象とすることができない規定が本件附属交換公文の対象となることは、疑いのないところである。
(ウ)しかしながら、戦争状態の終結、賠償並びに財産及び請求権の問題の処理といった、国と国との間で最終的に解決すべき処分的な条項は、正に国家と国家の間の関係として定められるべきものであって、その性質上、適用地域を限定することができないものである。すなわち、伝統的な「戦争」の概念については、一般的には、国際紛争を解決する最後の手段として、二つの国が対等の立場で国権の発動として武力を行使し合うことをいい(平成11年3月15日参議院・外交防衛委員会東郷和彦条約局長答弁・乙第90号証16ページ参照)、国家と国家との間の関係としてとらえられるべき事柄であって、戦争状態の終了、戦争の処理そのものである戦争に係る賠償並びに財産及び請求権の問題も、国際法上の当事者としての国家間において最終的に処理されるべき事項であり、国家内における適用地域による限定を受ける性質のものではないのである。
したがって、日華平和条約は、戦争状態の終了と戦争に係る賠償並びに財産及び請求権の問題に関し国家としての中国と日本との間で完全かつ最終的に解決したものである。
(エ)このことは、次の規定からも裏付けられる。
a 日華平和条約1条は、「日本国と中華民国との間の戦争状態は、この条約が効力を生ずる日に終了する」と規定する。
前記のように、日華平和条約締結当時、中華民国政府は、中国大陸の実効的支配を失い、台湾及び澎湖諸島等の実効的支配をしているにすぎなかったが、そもそも台湾及び澎湖諸島は、第二次世界大戦中には、日本国の領土の一部を成していたのであるから、日本国と台湾・澎湖諸島との間には戦争状態は存在しなかったのである。それにもかかわらず、日華平和条約1条に、前記の規定が置かれたのは、同条約が国家としての中国との間の戦争状態の終了について中国を正当に代表していた中華民国政府との間で定めたことを如実に示すものである。
これは、日華平和条約締結時から今日までの日本政府の一貫した見解である。
すなわち、下田武三外務省条約局長は、昭和27年6月17日の参議院外務委員会において、日華平和条約「第一條の日本という国と中国という国との国家間の戦争状態を終了させるということは、現実に支配している地域がどうのこうのという事実問題とは無関係な全面的な法律関係を意味するわけであります。従いまして或る地域に、いやそうでない、戦争状態は依然として継続しておると主張する政権があるかないかということは、つまり事実問題でありまして、この條約の解釈論として両締約国の意思は明確にそこにある、そう御解釈願いたいと思うのです」と述べ、さらに、「この條約を結んだ法的の効果というものはですね、当然に中国の国家というものに帰属するんだからして、仮にこの政府というものが将来それを代表する正当な政府というものが変った、という場合にも、その権利義務の関係は当然継承せられるものですね。これは当然のことだと思うのですが、念のため。」との質問に対し、「お考えの通りだと思います。」と答弁した(乙第91号証14ページ)。
さらに、昭和44年3月13日の参議院予算委員会において、愛知揆一外務大臣が「地理的に言えば中国本土にかかりましても戦争状態は終結した。この日華平和条約において」、「これはその当時、条約締結、そして国会の批准をいただきましたときからの、もう一貫した政府の見解である」と述べている(乙第92号証10ページ)。
b 日華平和条約11条の定める「この条約及びこれを補足する文書に別段の定」として、同条約附属議定書1(b)は、「中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、サン・フランシスコ条約第14条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利益を白発的に放棄する。」と定めた。
ここで放棄された役務賠償とは、サン・フランシスコ平和条約14条(a)1によれば、日本国軍隊によって占領され損害を被った連合国が希望する場合に認められるとされていたものである。
これを中国との関係でみた場合、日本と当時日本の領土であった台湾・澎湖諸島との間には戦争状態は存在しないから、戦争賠償の問題も生ぜず、役務賠償を放棄するとすれば、それは国たる中国を代表する中華民国政府による賠償請求権の放棄を意味することになる。
この点については、昭和39年3月11日の衆議院外務委員会において、中川融条約局長が、「……付属交換公文で、適用地域は国民政府が現に支配しまたは将来支配する地域に適用されるのだという合意があるわけでございますが、これは、しかし、事の性質から、その条項の内容の性質から適用し得ないものもあるのだ、それは、たとえば第1条で、日本国と中華民国との間には平和状態が回復したというような戦争終結の条項、これは、戦争が国家と国家との間の戦争で、状態である以上、その終結というのが地域的に限定するということは無意味である、これは国家全体に適用がなる、中華民国という国家全体に適用になるということを言っております。賠償につきましても同じような性質であるのでありまして、戦争の結果持つであろう相手国の賠償請求権、これを放棄したというのに、地域的に限定して台湾、澎湖島だけに賠償権を放棄したというようなことは無意味でございます。そもそも台湾、澎湖島は日本の旧領土でありまして、これと戦争状態はなかったわけでありまして、そこに賠償というものが起こるということはあり得ないわけであります。これはやはり国家として中華民国政府が賠償権を放棄しておる、こういうことに解釈せざるを得ない。つまり、日華平和条約の規定の内容によって、地域的に適用し得るものは適用する、しかしながら、国家全体に適用すべきものは国家全体に適用があるということは、これは当然である、こういうことがその当時の政府の御説明でありまして、その後政府としてはもちろんこの趣旨で一貫して考えておるわけでございます。」(乙第93号証10、11ページ)と明確に述べている。
エ 小括
以上のように、我が国は、中国を代表する唯一、合法の政府として承認していた中華民国政府との間で日華平和条約を締結したものであるから、この条約が国際法上合法かつ有効な条約であることに疑いの余地はない。
そして、日華平和条約による日中間の戦争状態の終結及び賠償並びに財産及び請求権の解決は、一度限りの処分的行為である。
したがって、日中間の戦争状態の終結及び賠償並びに財産及び請求権の問題については、付属交換公文の規定によって限定を受けることはなく、日華平和条約によって、国家と国家の間で完全かつ最終的に解決されたものであり、かかる規定の内容は、条約発行と同時に最終的効果が生じ、その後における条約の存在の有無によってその法的効果が変わることがない。
以上述べたことから明らかなように、控訴人らの前記(1)記載の主張は、失当である。
5 日中共同声明に関する控訴人らの主張の誤りについて
(1) 控訴人らの主張
控訴人らは、日中国交正常化交渉の経緯や日中共同声明5項の解釈などをるる述べるところ、その趣旨は必ずしも明らかではないが、これをもって日中共同声明は個人の請求権を放棄していない旨を主張するようである。
控訴人らの上記主張は、控訴人らの請求権が日中共同声明によって放棄されるか否かを問題とするものであるが、これは日中共同声明の位置づけを誤るものである。
そこで、以下に、日中国交正常化に至る経緯及び日本国政府の見解を述べた上で、日中共同声明の内容が日本国政府と中華人民共和国政府の双方の主張を相容れる内容として規定されたことについて説明する。
(2) 日中国交正常化に至る経緯について
ア はじめに
前記のように、日本国政府は、当時、中華民国政府を中国の唯一・合法の政府として、日華平和条約を締結し、同条約によって日本国と国家としての中国との間の戦争状態を終結させ、賠償並びに財産及び請求権の問題を含めて解決したのであるが、1969年に、ニクソン政権が誕生すると、米国の対中国政策が大きく転換し、国連への中華人民共和国政府の招請(中華民国政府の追放)等の国際環境の変化から、日本と中華人民共和国との国交正常化が可能な国際環境が生まれることとなり、田中角栄内閣において、日中国交正常化が図られることとなった(栗山前掲書40ページ・乙第87号証)。
イ 中華人民共和国政府の見解と日本政府の見解について
(ア) 日中国交正常化については、中華人民共和国政府は、かねてから復交三原則を明らかにし、これを日本国政府が受け入れることによって、正常化が実現できるという立場を採っていた。この三原則とは、@中華人民共和国政府は、中国を代表する唯一の合法政府である、A台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部である、B日華平和条約は、不法であり、無効であって、破棄されなければならないというものである。
(イ) 日本国政府としては、中華人民共和国政府と国交正常化を行う政策に転換した以上、同政府を中国の唯一・合法の政府と認めることは当然であり、中華人民共和国政府を承認することによって、中華民国政府との外交関係が断絶するのはやむを得ないという立場を採り、中国が明らかにしている復交三原則のうち第1原則を受け入れることとした。
しかし、日本国政府としては、第2原則及び第三原則は到底受け入れることができない内容であった。
(ウ) すなわち、第2原則の台湾の帰属問題について、昭和20年8月、我が国が受諾したポツダム宣言においては、カイロ宣言が履行せられるべきことがうたわれており、カイロ宣言には、台湾、澎湖諸島などが中華民国に返還されるべきことが記載され、いずれ台湾、澎湖諸島は中国に返還されるべきものであった。
しかし、サン・フランシスコ平和条約2条(b)では、台湾、澎湖諸島に対する日本国のすべての権利、権限及び請求権の放棄だけが定められ、その帰属先は定められていないので、法的には、台湾などの帰属先は連合国にゆだねられたことになったまま、まだ決まっていないといわざるを得ない(これは、英米仏など主要連合国がとっていた法的見解である)。そして、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄した我が国としては、その帰属先を云々することはできないのである(時の法令802号・乙第94号証10ページ参照)。
(エ) 次に、第三原則の日華平和条約の有効性については、同条約は、以前から我が国が中国を代表とする正統政府と認め、国際社会の多くの国もそのように認めていた中華民国政府との間に適法に締結された条約であるから、日本国政府が、その合法性を否定して、これを一方的に廃棄することは、国際法上も、また中華民国政府に対する信義上からも許されない。したがって、中華人民共和国政府の主張を正面から受け入れることは、法的にも政治的にも不可能であった(栗山前掲書51ページ・乙第87号証)。
しかも、日華平和条約第11条は、「この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外、日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は、サン・フランシスコ条約の相当規定に従って解決するものとする。」と規定している。ここにいう「サン・フランシスコ条約の相当規定」に、サン・フランシスコ平和条約第14条(b)が含まれることは、日華平和条約の議定書1からも明らかであり、中国及びその国民の日本国及びその国民に対する請求権は、日華平和条約第11条により、サン・フランシスコ平和条約第14条(b)の規定に従って、国家としての中国によって放棄されている。
そして、日華平和条約による戦争状態の終結や賠償並びに財産及び請求権の問題の解決は、いずれも処分的効果を有する一度限りの処分行為であって、同じ国が2度同内容の処分を行うことは法的には不可能なことであるし、その規定の内容は条約発効と同時に最終的効果が生じ、その後における条約の存続の有無によって、その効果が変わることがないものである。したがって、我が国としては、当時中華民国政府によって代表された中国との間の戦争状態は、日華平和条約1条によって終結しており、賠償並びに財産及び請求権の問題も同条約11条等によって解決済みであるという立場をとっていたのである。
この点については、高島益郎外務省条約局長が、昭和48年7月26日、衆議院内閣委員会において、「日本と中国との関係において、その中国を代表する政府を従来の中華民国政府から中華人民共和国政府に承認がえをするという方針に基づいて昨年日中共同声明をやったわけでございますけれども、基本的に法律関係は日華平和条約によって中国との間にすべて処理済みである、この前提に基づいてやったわけでございますので、新たにまた法律関係を中国との間に締結し直すということは不可能な状態にあった」(乙第89号証2ページ)「中国との間に戦後平和条約を締結しました事情もありまして、同じ中国との間に二度平和条約を締結するということは法律的に不可能なこと」(同書証3ページ)と答弁していることでも明らかである。
(オ) このような日本国政府の見解は、日中国交正常化交渉の際に、中華人民共和国政府に対して、伝えたところでもある。すなわち、昭和47年9月26日の大平外相と姫鵬飛外交部長との会談において、高島条約局長は、日華平和条約に対する双方の基本的立場の相違を認めた上で、戦争状態の終了及び日華平和条約につき、「今日未だ日中両国間に法的に戦争状態が存在し、今回発出されるべき共同声明によつて初めて戦争状態終了の合意が成立するとしか解する余地がない表現に日本側が同意することはできない。」、賠償の問題についても、「戦争状態終結の問題と全く同様に、日本が台湾との間に結んだ平和条約(引用者注:日華平和条約)が当初から、無効であつたことを明白に意味する結果となるような表現が共同声明の中で用いられることは同意できない。日本側提案のような法律的ではない表現であれば、日中双方の基本的立場を害することなく、問題を処理しうる」(乙第95号証3ページ、同別紙1「日中共同声明日本側提案の対中説明」3枚目及び11枚目)と述べ、我が国の法的な見解を明かにしているのである。
そして、姫外交部長は、我が国のかかる見解に対し、「周総理もはっきり(日本側の困難はわかつていると)言明しておられるので、何とか良い案を考えたい。」と応じており(同書証8ページ)、双方がお互いの立場を理解した上で、両国の立場それぞれと相容れるものとして、日中共同声明が成立したのである。
(3) 日中共同声明の文言について
以上述べた経緯は、被控訴人準備書面(1)120ページにおいて、「共同声明の交渉過程において問題となった点の中に、戦争状態の終了や賠償並びに財産及び請求権の問題がある。これらの問題は、日華平和条約についての両国の立場の違いに起因するものであるが、困難な交渉の結果、…、共同声明は、両国の立場それぞれと相いれるものとして作成されている。」と要約して主張したとおりである。
そこで、以下、日中共同声明の第1ないし3項及び第5項について、日本国政府の理解を明らかにすることとする。
ア 第1項は、「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。」と規定するが、この「不正常な状態は…終了する」とは、我が国政府の立場からは、日中間の戦争状態は、日華平和条約により、国家としての中国との間で法的に終了しているため、ここでいう「不正常な状態」とは、これまで日本と中華人民共和国との間に国交がなかったという状態を指すということであり、したがって、我が国が日華平和条約が不法かつ無効であるとの復交三原則の第三原則をそのまま受け入れたわけではなく、日中関係がいかなる意味においても正常化されたとの点についての日中双方の認識の一致を図ったものである。
イ 第2項は、「日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。」と規定するが、これは我が国が復交三原則の第1原則を受け入れたことを意味する。
ウ 第3項は、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分に理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する。」と規定するが、これは、台湾の帰属についての双方の立場を明らかにしたものである。
エ 第5項は、「中華人民共和国政府は、日中両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」と規定する。
我が国政府の立場からすれば、日華平和条約は、日本国と国家としての中国との間で合法有効に締結された条約であって、日中間の賠償並びに財産及び請求権の問題に関しては、日華平和条約によって法的に解決済みである。前記の大平外相と姫鵬飛外交部長との会談における高島条約局長と姫外交部長とのやり取りからも明らかなとおり、日中双方が両者の立場の違いを十分理解した上で実体としてこの問題の完全かつ最終的な解決を図るべく、日中共同声明第5項の規定ぶりにつき一致したものであり、その結果は日華平和条約による処理と同じである。
オ 以上述べたように、日本国政府は、いわゆる復交三原則の第2、3の原則を完全に受け入れたわけではなく、日中両国が双方の立場を十分理解した上で日中共同声明の発出に至ったものである。
この点については、水野清外務政務次官及び高島外務省条約局長が、昭和48年7月26日の衆議院内閣委員会において、明確に述べている(乙第89号証7ページ)。日中共同声明の前文第5項が「日本側は、中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分に理解する立場に立って国交正常化の実現をはかるという見解を再確認する」としているのも、三原則に完全に同意したわけではないことを示している。
(4) 日中共同声明発出後の日本政府の見解表明
以上の日本政府の見解は、国会の審議等において、再三示しているところである。
例えば、昭和54年2月16日、衆議院予算委員会において、中島敏次郎外務省アメリカ局長兼条約局長は、「日中間の戦争状態につきましては、法的な見地からは日華平和条約により終了したというのが政府の一貫した考えであります。ただ、日中国交正常化に際しては、かかるわが国の法的立場と中国側の法的立場の相違があり、日中国交正常化という大目的のために、双方の本件に関する基本的立場に関連する困難な法的問題を克服するために、共同声明の発出をもってこの戦争状態の終結の問題を最終的に解決した次第であります。したがって、日中間に戦争状態が終了していることについて、共同声明発出後、日中双方の立場は完全に一致しているのであります。わが国は昭和27年当時、中国を代表する合法政府が中華民国政府であるという立場に立って、日華平和条約により、中国という国家との戦争状態を終了させたものであり、戦争状態の終了のように国家と国家との関係を律する事項は、同条約の適用地域に関する交換公文によって地域的限定は受けないという点についても、従来政府が御説明しているところでございます。これに対して、日台間の民間航空とか通商関係のような事項につきましては、この交換公文によって地域的限定を受けていた次第であります。日華平和条約は日中国交正常化の結果としてその存続の意義は失い、終了しましたが、同条約第1条による戦争状態の終了という処分的効果に影響を与えるものではありません。」(乙第96号証45ページ)と説明し、又、賠償問題についても「サン・フランシスコ平和条約第14条の(a)の1の規定によって、連合国は、日本国民の生産物、役務による賠償を受ける権利があるわけでございますが、これを日華平和条約によりまして、その当時の中華民国がその役務賠償の権利を放棄したということで、わが国の立場といたしましては、この賠償請求権の問題はそれで処理されておるというのが考え方でございます。」(同46ページ)と説明して、日本政府の立場を明らかにしている。
(5) 小括
以上から明らかなように、日中間においては個人の請求権の問題が解決されていないと解するのは失当である。日華平和条約11条及びサン・フランシスコ平和条約14条(b)により、中国国民の日本国及びその国民に対する請求権は、国によって放棄されている。日中共同声明第5項にいう「戦争賠償の請求」は、中国国民の日本国及びその国民に対する請求権を含むものとして、中華人民共和国政府がその「放棄」を「宣言」したものである。したがって、このような請求権については、日本国及びその国民は、これに基づく請求に応ずるべき法律上の義務は消滅しているので救済が拒否され、裁判上の請求も、認容される余地がないことは明らかである。
6 被控訴人の主張が国際常識ともかけ離れたものであるとの控訴人らの主張について
(1) 控訴人らの主張
控訴人らは、被控訴人の「先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の問題については、サン・フランシスコ平和条約その他二国間の平和条約及びその他関連する条約等に従って誠実に対応してきているところであり、これら
条約等の当事国との間では法的に解決済みである」との主張について、日本政府による一方的で恣意的な解釈であり、また、国際常識ともかけ離れたものである旨主張する(控訴人ら第3準備書面59ページ)。
(2)被控訴人の反論
しかしながら、以下に述べるように、米国の裁判所においても、先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の問題については、サン・フランシスコ平和条約により法的に解決済みである旨の判決が重ねて出されており、被控訴人の見解が、国際常識というべき見解であることは明らかである。
ア 被控訴人が、被控訴人準備書面(1)122ページで指摘したように、中国人を含むいわゆる元従軍慰安婦15名が、日本国を被告として、コロンビア特別区連邦地方裁判所に提起した損害賠償請求訴訟において、同裁判所は、2001年(平成13年)10月4日、「フィリピンを含む連合国、中国及び韓国等との戦争請求権の解決の歴史は複雑である。1951年の日本との平和条約は、全ての『戦争遂行中に日本国及びその国民がとった行為から生じた連合国及びその国民の他の請求』を解決したのである。……特に韓国及び中国との間は、戦争請求権を処理するための別途の合意の交渉を行った。原告が提起している『慰安婦』についての請求は、特にこれらの条約等において明示的には言及されなかったのであろうが、戦争後に締結された一連の条約が日本に対する全ての戦争請求権の解決を目的としていたことは明確である。原告は半世紀近く後に、これらの議論を再開しようとしているが、本法廷はその適当な場ではないことに疑問の余地はない。第二次世界大戦後の日本との間の合意や条約が政府と政府とのレベルで締結されたように、『慰安婦』の請求も政府間で直接に処理されるべきである。」と判示し、原告らの訴えを却下した(乙第97号証、同判決の解説につき、山手治之「アジア人元慰安婦の対日本政府訴訟に関する米国連邦地裁判決」乙第98号証)。
この判決に対して、同事件の原告らは、控訴していたが、平成15年6月27日、コロンビア特別区の控訴審裁判所は、原告らの訴えを却下した原審判決を維持した(乙第99号証)。
この裁判で争点となったのは、Altmann対Republic of Austria事件の第9巡回控訴裁判所判決が、「オーストリア人は、国務省がユダヤ人財産の違法な公用徴収に対し「恩恵と礼譲」の問題として免除を勧告するであろうという期待、いわんや確定的期待を持つことはありえなかったであろう」(訳文8ページ)として、外国主権免除法1605条(a)(3)の主権免除の例外規定(「国際法に違反して接収された財産に関する権利が問題となっている場合であって、当該財産自体又は当該財産と交換された財産が、その外国が合衆国内でした商業活動に関連して、合衆国に所在している場合、又は、当該財産自体又は当該財産と交換された財産がその外国の機関によって所有若しくは運用され、かつ、その機関が合衆国内で商業活動に従事している場合」)を、1930年代と1940年代のドイツ政府とオーストリア政府の行為に遡及して適用され得ると判示した判例が、この事件に適用されるべきかという点であった。
この争点につき、平成15年6月27日の前記コロンビア特別区控訴審裁判所は、「第9巡回控訴裁判所の判決は、勿論、当裁判所を拘束しない。当裁判所がAltmann事件の判決に従うか否かにかかわらず、日本と連合国によって署名された1951年の平和条約のため、当裁判所は同判決の理由づけが本件訴訟に適用されるとは認めない。3
U.S.T. 3169。アメリカ合衆国が法廷助言者として弁論趣意書で述べているように、平和条約は「第2次世界大戦の遂行から生じた日本に対するすべての請求権は、政府間の合意を通じて解決されるべきであるというアメリカ合衆国の外交政策の決定を体現している」。当裁判所は、平和条約が第2次世界大戦から生じた問題をアメリカ合衆国(またはいずれかの署名国)の裁判所をかかわらせることなく解決するという当事国の意図を明示しているという点に同意する。いずれにしても、アメリカ合衆国が提示した平和条約の解釈は合理的である。Sumitomo
Shoji Am. Inc.対Avagliano事件、合衆国判例集第457巻、178ページ、184-185ページ(1982年)(「平和条約の規定の交渉と執行を担当する政府機関によって平和条約の規定が有するとされた意味は、確定的なものではないが、大きな重みを与えられる」)。
平和条約第14条は、日本による請求の相互放棄および各連合国の管轄の下にある日本の資産を押収する連合国の権利と引き換えに、「連合国のすべての……請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の……請求権」を明示的に放棄している。平和条約はさらに、日本が他の国連加盟国とその国民の戦争関連請求を日本が実際に解決したのと「同一の又は実質的に同一の条件で」、すなわち政府間の合意により(第26条参照)解決すると規定している。1952年4月28日の日本国と中華民国との間の平和条約、138
U.N.T.S. 3参照。また、1965年6月22日の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定参照。その結果、連合国は、それぞれの国の国民の請求権を放棄し、他の国の国民の請求権は政府間交渉によって解決するという明白な政策を表明したため、日本は第2次世界大戦から生じた請求権について連合国国民、中国国民又は韓国国民によってアメリカ合衆国の法廷において訴えられることを予期することはできなかった。外交政策の問題として、一方においてアメリカ合衆国が日本に対するアメリカ国民のすべての請求権を放棄し、他方においてアメリカ国民でない者がアメリカ合衆国の裁判所で日本に対して訴訟手続を行うことを認めるのは確かに奇妙である。ドイツまたはオーストリアとの間では類似の条約は存在せず、したがって同じような確定的期待はないため、Altmann事件の意見は本件訴訟に関係ない。」(訳文8、9ページ)と判示し、Altmann事件に関する控訴審判決は本件に適用されないとした。
この控訴裁判所の判決は、ドイツが我が国の場合と違って、連合国との間で平和条約を締結していない事実を正確に認識した上で、我が国については、サン・フランシスコ平和条約、日華平和条約等によって、先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の問題が法的に処理されていることを判示している。
イ また、平和条約による国家間の戦後処理が、請求権の問題の完全かつ最終的解決であることは、近時、米国において、第二次大戦中に、旧日本軍の捕虜となった元米国軍人らが日本企業の事業場で強制労働させられたと主張して、日本企業を被告として、米国内の裁判所に提訴した多数の損害賠償請求訴訟において、米国政府及び日本国政府が示した見解によっても明らかにされている。
この訴訟は、1999年7月28日、カリフォルニア州で施行されたカリフォルニア州民事訴訟法354.6条(以下「加州民訴法354.6条」という)に基づいて、連合国の元捕虜並びにフィリピン、韓国及び中国の民間人らが原告となり、日本企業を被告として提起された訴訟であり、加州民訴法354.6条は、第二次大戦中にナチス政権又はその同盟国の支配下で強制労働させられた者が、その労働が行われた企業又はその子会杜等に対して、2010年12月31日までの間、損害賠償請求訴訟をカリフォルニア州裁判所に提起できると規定していた(同条文の全文の日本語訳については、戸塚悦郎「戦後補償問題に踏み込む米国」法学セミナー538号76ページ)。
米国国務省は、2000年(平成12年)8月17日、北部カリフォルニア地区・サン・フランシスコ支部連邦地方裁判所に対し、「利害関係声明書」(乙第53号証)を提出したところであるが、その意見書において、米国政府として、サン・フランシスコ平和条約に関して、「1951年の日本国との平和条約の目的は、日本国の主権を回復し、日本国が共産主義の脅威に対して民主主義的市場経済として機能するようにし、日本国の政府及び国民に対するすべての請求権を解決し、連合国及びその国民に対する日本のすべての潜在的な請求権を解決することであった。本裁判所で係争中の訴訟において原告が主張しているような将来の戦争賠償又はその他の戦争関連の請求権の可能性を条約が残していたとしたら、これらの目的はいずれも達成することができなかったであろう。この理由から、条約は、条約に別段の定めがある場合を除き、第二次世界大戦中の行為から生じた日本国及びその国民に対する連合国及びその国民のすべての請求権を放棄するように特に起草されたのである。」との意見を示した(前掲米国政府「利害関係声明書」邦訳26、27ページ、乙第53号証)。他方、日本国政府も、同訴訟において、2000年(平成12年)8月8日、「元米国捕虜等による日本企業に対する訴訟に関する日本国政府の見解」として、米国政府と同様の見解を示したところである(2000年8月8日付け元米国捕虜等による日本企業に対する訴訟に関する日本国政府の見解・乙第60号証)。
これら両国政府の見解を受けて、同裁判所は、同年9月21日に、原告らの訴えを却下する判決を下した(乙第61号証)が、その判決の中で、サン・フランシスコ平和条約14条(b)に関し、「日本との平和条約は、本件訴訟において原告が主張している請求のような将来の請求を無効にする限りにおいて、原告の完全な補償を将来の平和と引き換えたのである。歴史はこの取引が賢明であったことを証明している。純粋に経済的な意味における原告の苦難に対する完全な補償は、旧捕虜および他の無数の戦争生存者に対しては拒否されたが、自由な社会およびより平和な世界における彼ら自身の計り知れない生命の恵みと繁栄は、賠償という負債に対する利息の支払となっている。」と判示している(乙第61号証邦訳12ぺ一ジ)。
また、同裁判所は、その後、他の原告らの訴えを全て却下する判決を下したため、原告らは連邦控訴裁判所に控訴したが、2003年(平成15年)1月21日、同高裁は、28件の日本企業を被告とする訴訟について、加州民訴法354.6条は、連邦政府の排他的外交権限を侵し違憲である旨判示するなどして、原告らの控訴を全て却下する判決を下した(乙第62号証)。
さらに、同事件の原告らは、連邦控訴裁判所の上記判決を不服として、連邦最高裁判所に上告したが、連邦最高裁判所は、2003年(平成15年)10月6日、上告を棄却した(平成15年10月7日付け東京新聞夕刊、同日付け日本経済新聞夕刊、同日付け朝日新聞夕刊・乙第100号証)。
ウ さらに、カリフォルニア州裁判所に係属していた事件のうち、元米兵捕虜が原告となり、被告三菱マテリアルほかが被告として提起された強制労働による損害賠償請求事件について、カリフォルニア州控訴裁判所は、2003年(平成15年)2月6日、連合国の国民の請求権はサン・フランシスコ平和条約14条(b)によって解決済みであるとして、原告らの訴えを却下する判決を下した(乙第101号証)。
7 結論
以上述べたように、控訴人らの主張は、いずれも被控訴人の見解を曲解したものか、全く理由のないものであるだけでなく、日中間の戦後処理の枠組みを崩す主張であって、失当である。
以 上
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