ニ就テ」、及びAの陸軍技師吉村寿人「凍傷ニ就テ」は公開されており、田中明・松村高夫編『七三一部隊作成資料』(不二出版・一九九一年)に収録されている。
Bの遠藤三郎日誌は非公開であるが、これを使った遠藤元中将の伝記、宮武剛『将軍の遺言─遠藤三郎日記』(毎日新聞社・一九八六年)が刊行されており、七三一部隊の前身である「東郷部隊」の創設およびその業務内容を知ることができる。
Cの防衛庁防衛研究所図書館など防衛庁の機関が所蔵する資料では、(a)はおおむね公開されていると思われるが、(b)については、「北支那防疫給水部業務詳報」(一九四四年四月一日〜九月三〇日)など一部の業務詳報を除いては公開されておらず、また、非公開資料のリストも明らかになっていない。
一部公開されている「北支那防疫給水部業務詳報」(一九四四年四月一日〜九月三〇日)に関しても全面公開ではなく、一部に袋(厚さ約八mmに達する)がかけられており、その部分が非公開となっている。
アメリカ政府が七三一部隊等の資料を返還したことは、既によく知られている。
すなわち、国立国会図書館の調査によれば、「石井部隊に関する第一次資料は、日本へ返却後、最初、外務省(ママ)復員局に渡され、……その後防衛庁が設置された際、外務省(ママ)から防衛庁本庁に移され、さらに戦史室の開設に伴い戦史室に移された」ということである(『朝日新聞』一九八六年
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