ある。
(c)の業務日誌・陣中日記類は、一九九〇年頃から徐々に公開されるようになったが、防衛研究所が所蔵する全量からいえばまだごく一部である。
七三一部隊に多少とも関係し、あるいはその情報に接した中堅乃至高級将校のこれら日誌には、七三一部隊等に関する極めて重要な情報が記されており、今後、これらの日誌類の公開が進めば、日本軍による細菌戦の展開に関して多くのことが明らかになるであろうことは間違いない。
第二節 日本の歴史学会における七三一部隊等研究の経緯
一九四六年五月三日、極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷されたが、それ以前に、アメリカ極東軍は七三一部隊等関係者に免責の約束をしていたので、この裁判では日本軍の細菌戦実施や人体実験の追及が起訴状に入らず、裁判ではまったく審理されなかった。
アメリカ政府は、七三一部隊等が蓄積した細菌戦のノウハウを秘密裏に独占することを優先し、七三一部隊等の犯罪は隠蔽された。このため、日本軍の細菌戦実施や人体実験の事実が確実な証拠を伴って、浮上し、解明されることは、戦後、長い間なかったのである。
日本軍の細菌戦のノウハウを入手することに失敗したソ連は、その後、一転してハバロフスク裁判を開廷し、一九四九年一二月、一二名の七三一部隊等関係者を裁き、翌年にはその公判記
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