隊』晩声社・一九九四年に収録されている)。
しかしながら、日本軍による細菌兵器の実戦使用に関しては、実態の解明は遅れ、とくに、日本軍の一次資料に基づく研究はまったくといっていいほど存在しなかった。
第三節 「日本軍の細菌戦」(『戦争責任研究』二号・一九九三年一二月)発表の経緯
このような研究状況の中で、私は、偶然に、日本軍側の細菌戦実施に関する一次資料を発見することとなった。偶然というのはつぎのような事情からである。
一九九一年、韓国人元「従軍慰安婦」の金学順さんが日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴した。そこで私は、「従軍慰安婦」に関する一次資料の調査を一九九一年一二月から開始し、翌年一月にその成果の一部を公表した(『朝日新聞』一九九二年一月一二日)。
これがきっかけとなって、日本政府は「従軍慰安婦」制度の創設・運用への関与を認めることとなるのだが、私は、その後も第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)期における日本軍の資料調査とともに、この調査を継続していた。
一九九三年になって、防衛庁防衛研究所図書館では、前記の井本熊男大佐・金原節三軍医大佐・大塚文郎軍医大佐・真田穣一郎少将の業務日誌が公開されていることを私は知り、これら日誌を閲覧したのである。
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